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4人目 怒りは身を焦がし、融かしつくす

 もう少しだ。あと少しで、復讐は完了する。残りはあと二人。

 次のターゲットは青山茂。奴らの『金稼ぎ』の首謀者だ。元はと言えば、青山があんな事を計画しなければ、奴らがあいつを殺す事もなかった。

 俺は絶対にこの復讐を完遂する。あと二人だからと言って、気は緩めない。こんなところで警察にバレでもしたら最悪だからな。

 俺は新聞の切り抜きが貼ってあるノートを見た。あの事件の事が書いてある。さらに、そこに俺の手書きの情報も加えられている。あの事件に関して、一番詳細に記されているだろうこのノート。俺はこれを見るたびに、奴らへの憎悪が揺り戻される。

 今回も、黒い炎のような感情が俺を包んだ。


   * * *


 俺が眼を開けると、そこは全く知らない場所だった。


 どこだここは? なにか透明な――何と表せばいいんだろうか――そう、フラスコのような、巨大な入れ物に俺は入れられていた。

 そのフラスコの底に近い、右側の側面には、穴が開けられていた。そこから外に向かってチューブが伸びていて、その先は四角い箱に繋がっている。


『ハァイ、お早う青山茂クン。聞こえてるかな?』


 そのポンプのような装置の上にあったモニターが急に喋り出した。画面には、紫色の覆面をした奇妙な男が映っていた。


『返事がないけど続けるよぉ。君、今の自分の状況は理解してるかな?』


 覆面はねちっこい声で言った。嫌悪感を催す声。人工的に加工された声だ。


『今君は、巨大なフラスコの中に入れられている。そして、そのフラスコの底の近くに、穴が開けてある。そこからは特殊なチューブが伸びていて、その先はある液体が入った装置に繋がっている。そこまでは分かってる筈だな』


 確かに、俺はそこまで理解していた。でも逆に言えば、それ以上の事は全く分からない。


『さて、肝心の装置の中身だが、HF、と言うものが入ってる。何だか分かるか?』


 覆面は楽しむように言った。俺が頭の悪い事を知っていて言っているんだ。


『ま、分からないだろうな。答はフッ化水素、だ』


 フッ化水素? どこかで聞いた事があるような、ないような……。


『フッ化水素は劇薬だ。皮膚に容易に浸透し、骨を侵す。そして人体をも融解する。まぁ大丈夫さ、それが流れ込んでこなければね』


 流れ込んでこなければ――その言葉は俺の頭を思い切り揺すぶった。


『そして、そのフッ化水素が入っている装置、それはもちろん、フッ化水素を送り出す、ポンプの役割をしてくれる。ポンプから送りだされたフッ化水素は君のいるフラスコの中に流れ込み、君を融かすだろうね』


 覆面の男はくくく、と笑った。

 訳が分からない。どうしてこいつは笑っていられるんだ? こいつは明らかにイカレてる。こんな奴に俺は殺されるのか?


「お前……お前は誰だ! どうして俺を殺そうとする!?」

『ん? まだ分からないのか、仕方のない……。俺はお前らに殺された、由美の仇を取りに来たのさ』


 由美の仇を取りに? って事は奴の正体は……。


『さて、これが見えるかな?』


 覆面は赤いボタンを俺に見せた。


『これを押せば装置が作動して、高濃度のフッ化水素がフラスコの中に流れ込む。そうなれば君が死ぬのは、時間の問題だろうね』


 そう言って、覆面は俺の事を見下ろした。


「待て、やめてくれ!」

『残念だけど、それは出来ない。俺はこの復讐をやり遂げるまで、立ち止まることは出来ないんだ』


 覆面はついに赤いボタンを押した。四角い装置が作動して、チューブに液体が通るのが見えた。


「ちょっと待て! 俺は彼女を殺してなんかいない!」

『その言い逃れは聞き飽きたんだ。実行犯だとか実行犯じゃないとか、そんな事を聞いてるんじゃないんだよ俺は』


 その言い逃れは、聞き飽きた? つまり、俺の他にも、既に誰かを殺してるって訳か……。


『その台詞を吐いたのは早乙女だったかな? つくづく、君と早乙女は似ているようだな』


 あいつはよく、そう言っていた。俺と早乙女は似ている、と。だがそれが、まさかこんな重みを背負って俺にのしかかって来るとは……。


 穴から液体が流れ出てくる。水よりも僅かに粘着性を帯びた劇薬だ。フラスコ内に流れて来ているフッ化水素水の量はまだ多くない。フラスコの底の、僅かな面積を占めているだけだ。まだ逃げ回れる。

 だが奴の言った通り、俺が死ぬのはもはや時間の問題と言えるだろう。


『おっと、フッ化水素が流れ込んで来たようだな。まぁ安心してくれ、暫くは君も無事だろう』


 俺は覆面の男に激しい憤りを覚えた。


「お前、あいつの仇だって言ってたな」

『ああ』

「お前のこれは、仇取りなんかじゃない」


 覆面はやれやれ、と言うように肩をすくめた。だが俺はそんな事じゃあ引き下がらない。


「お前がやっているのは、ただの自己満足だ! あいつの仇取りなんて銘打って、あいつの死に関わった者全員を苦しませたいだけだ!」

『ああそうさ。そんな事、俺はとっくに自覚してるよ』


 だが覆面は、俺の糾弾すらも一蹴した。


『俺がやっているのは、私欲を肥やすための行動だ。つまり、お前たちがやっていた事と同じさ』


 俺は反論できなかった。確かに、俺はあの時、私欲を肥やすために仲間たちを牽引し、金を得た。


『何をやったんだっけ、ええ? 会社の金の横領に? 詐欺、恐喝? 挙句の果てに、それをやめさせようとした由美を口封じに殺した?』

「違う! 俺たちは何も、彼女を口封じに殺した訳じゃない! それに、彼女の方から俺たちを強請ってきたんだ!!」


 俺の言葉を聞いて、覆面はハァ、と溜息を吐いた。


『全く同じ事を誰かが言っていたなぁ。誰だっけ? ……あぁそうそう、乾だ』


 覆面の言葉を聞いて、俺の頭は真っ白になった。


 嘘だろ? 乾って、乾美琴か? そう訊きたいのに口が動かない。舌が回らない。声が出ない。

 美琴が死んだ?


 俺は美琴と婚約をしていた。近々挙式するつもりだった。それなのに。


 少しだけ、あいつの気持ちが分かった気がした。


『俺の気持ちが少しは理解できたか? 憎いだろう、俺が? 俺がお前らに持ち続けていた感情はその比じゃないぞ』


 気付けばフッ化水素が俺の足下に迫ってきている。俺は慌ててそこから離れた。


『ふん、今更逃げ回ったって無駄さ。すぐに足の踏み場もなくなる』


 それは事実だった。フッ化水素は徐々に接地面積を増やしている。そして、俺の足に触れる。


「くっ!」


 触れた瞬間に痛みが走った。ビリッ、と痺れるような痛み。


『おお痛そうだ。可哀想に』


 覆面が棒読みでそんな事を言ってくる。完全ないやみだ。


『さて、こんな光景を延々眺めていてもしょうがない。少し注入のスピードを上げるか』


 覆面が何かの装置を操作すると、流れ込んでくるフッ化水素の量が眼に見えて増えた。俺のくるぶしまで嵩が上がってくる。


「う、ああぁぁぁ……」


 俺はフラスコからの脱出を試みたが、つるつるな材質で出来ていて取りつく事も出来ない。


「くそっ!」

『諦めろ。諦めて、大人しく融かされろ』


 冷酷で薄情な声が降って来る。確かに、成す術はない。


「くおお……」


 痛みが俺の意識を引き剥がそうとする。皮膚が剥がれ、内部をも融かそうとしている。


『痛いだろう? それが由美の負った痛みで、すなわち俺の負った痛みだ。甘んじて受けろ。等価交換だ』


 奴は口癖だった言葉を口にした。フッ化水素の水位はどんどん上がって来る。今や膝までだ。ズキンズキンと脚が痛む。

 水位は上がり続け、既に胸に達していた。


「ああああああああぁぁぁぁぁぁ……」

『ああ、そう言えば、フッ化水素が頭の上まで達したら溺れてしまうな。ま、せいぜい頑張って泳げ。それが出来る気力と体力があるなら、の話だが』


 覆面はまた楽しそうに口元を歪めた。


「くそっ!!」


 俺は悪態を吐いた。だがフッ化水素は、そんな俺を嘲笑うかのように流れ込んでくる。首まで浸かった。下半身は殆ど融けたような状態だ。


「くっそおおあああああああ!!」


 だがどうしようもない。フッ化水素の海を泳ぐ事は出来るかもしれないが、それは一時的な延命措置にすぎない。やがて俺は死ぬ。その事に変わりはない。


 だったら早く殺してくれ。こんな回りくどい方法を取らず、直接俺を殺しに来ればいいじゃないか!


「うあああああああ……」


 意識が飛びそうなほどの痛みが俺の身体中を駆け巡る。胸から下の感覚はない。


 ついにフッ化水素が俺の口許を覆った。ビリビリと痛む。鼻まで上がって来た。息が出来ない。息をしようとすると、フッ化水素が鼻の中に入ってきて中から俺を融かす。


 俺はごぼごぼと動きながら、次第に意識が朦朧としてきて、いつの間にか、訳が分からなくなって、そして―――、








 多分、死んだ。

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