森で生まれた猫と銃
ほんの少し、人(と猫一匹)が死ぬという描写があります。
とある国の、辺境の地にある森に貴族が持つ別邸が一つあった。
その別邸には数人の使用人と、数人のメイドと、数人の料理人と、別邸の持ち主の右手ともなりうる執事が一人、全員の主で別邸の持ち主の青年が一人、静かに住んでいた。
――そして、静かに別邸に住み、彼らをじっと見ている黒猫が居た。
私が生まれたとき、お母さんは死んだ。お母さんが死んで、私はご飯が食べられずにその場でどんどん弱くなっていった。
他の兄弟は、既に死んでいる。残りは私、ただ一匹だけ。
もうすぐ家族の許へ行けると思った時に、木の間から射し込んで私に当たっていた日の光が突然無くなった。
体を動かす事が出来なかったので、目だけを動かすと、目の前にはダークブラウンの髪と瞳を持つ綺麗な男の人がいた。男の人は、死にかけている私を抱き上げると、この場から少し近くにあったらしい別邸と呼ばれる家に入れてくれた。
男の人は、近くに立っていた女の人に何かを言うと、女の人は何処かへ行ってしまった。
そのまま男の人は歩いて、暖かい所に入った。
男の人は「安心して、ただ君に温かいご飯を食べさせて、お風呂に入れて綺麗にするだけだよ」と、初めて声を掛けてくれた。
その言葉通り、すぐに温かい牛乳を飲ませてくれて、最初だけ少し驚いたけれどお風呂に入れてくれて、綺麗にしてくれた。
お風呂に入れてもらって綺麗になった後、男の人は微笑んで私をまた抱き上げて話し掛けてくれた。
「ここに居ても良いし、また森で暮らすのも良い。どっちが良いかな?」
男の人の声はとても優しそうで、だけど少し寂しそうな様子だった。
私は一鳴きして、男の人の手に頭をこすりつけて、ここに居るっていう意思表示をした。
何でかは分からないけど、一緒に居ないとこの男の人は駄目になりそうだと思った。
それに、一緒に居たら、私を生かしてくれたお礼を出来るかもしれない。あまり知られてないけど、猫だって助けてくれたりしたら、猫の恩返しという言葉がある位お礼をする義理はある。
……他の動物は知らないけど。
――まぁ、一匹で野良猫をするよりも、この男の人と一緒にいる方が遥かに安全だし。何か落ち着くんだよね。
私はもう一回一鳴きすると、男の人は少し驚いた後は嬉しそうに私の頭を撫でてくれる。
「よろしくね」
よろしくお願いします、ご主人。
男の人が私の飼い主……もとい、ご主人になってから早五ヶ月が経った。
私は三ヶ月の間で、結構成長して大きくなった。ご主人はそんな私を見て、凛々しくなったねと言ってくれた。
まぁ、そう言ったご主人は何も変化は無かったけど。
――ただ、ご主人の婚約者なる者から手紙が届くようになった。
ご主人は最近、手紙の届いた日にため息をつく。
一応は、手紙に目を通すけれど、さっさと目を通すと火にくべてしまうのだ。
ご主人は、望んでやった婚約ではないと、哀しそうな目をして言う。
年の若いメイドが言うには、婚約は相手側がご主人を見初めて無理矢理したもので、元々ご主人には愛し合っていた恋人が居たという。その恋人は、どこかへ行方不明に。
そうして婚約者は、嬉々として家の力を使ってご主人の婚約者の立場を得たと。
ちなみに、恋人は婚約者に殺されたというのが専らの噂らしい。
さらにメイドは私に向かって独り言を続けた。
そんなご主人は、全てに疲れて森にあるこの別邸へ来たんだと、今まで月に二回の手紙が週に二回に多くなったのは、そろそろ結婚しないと外聞等がいけないらしく、結婚するには本人のサインが入った結婚同意書が必要らしい。
ご主人はそれにサインをしようとしないらしい。
焦った婚約者はサインをさせようと、説得の手紙を送っているという。
私は、婚約者のその執念さが凄いなと思った。
次に、ご主人に婚約者からの手紙が届いたときは、この別邸にいるメイドや使用人達に好評な肉球で慰めてみようと思った。
最後に婚約者から手紙が届いて三日。別邸に来訪者がやって来た。
――来たのは、件の婚約者。
とうとう痺れを切らしてやってきたのである。
ご主人は、来訪者の名前を聞いた時、眉を顰めていた。
来訪者の知らせをした執事の方へ目をやると、執事はご主人と同じような顔をしてため息をついていた。
ご主人は、婚約者に嫌々会いに行こうと部屋を出て行った。
執事は、ご主人を見送った後私を抱き上げた。
「お二人の会話が終わった頃、メイドと共に部屋に入ると良いですよ」
……と言ってくれた。ご主人の事を気にしていたのを分かったのかな……?
そして、執事はそのまま、近くにいたメイドにお茶の用意と共に私を預けてどこかに行ってしまった。
「さぁ、十分後位にはお茶を持って行けるだろうし、用意しないと!」
ここで待っていてねと、メイドは私をイスに座らせて、お茶を取りに行った。
「さてと、そろそろかな……?」
メイドはポケットに時計を入れ、ドアをノックした。
ドアの向こうから「はい」と、ご主人の返事が返ってくる。メイドは「失礼いたします」と言ってドアを開けた。
そこには、向かい合わせのイスに、ご主人と婚約者らしき人が座っていた。
「あぁ、お茶か。ありがとうね」
いつものようにご主人は、メイドに微笑む。
メイドによると、お茶を出す時にお礼を言う人は少しだけ珍しいらしい。ご主人は本当に優しいと思う。
「何故お茶出しなんかでお礼を言うんですの!?メイドはそれをするのが仕事で、当たり前でしょう!!」
いきなり、婚約者がご主人がメイドにお礼を言った事に怒り始めた。
――どうやら婚約者は、差別的な人間らしい。さらに、ご主人がメイドに微笑んだ事も許せなかったのだろう。
片思いで、尚且つ相手側には嫌がられている人の嫉妬は、とても見苦しいと思う。
メイドも苦笑いしているよ……?
そんな状況で、ご主人は婚約者に口を開いた。
「仕事だからといって感謝は当たり前だ。僕は礼儀知らずの人間になりたくないし、なるつもりも無い」
それに、とご主人は婚約者に口を挟ませずに言葉を続ける――。
「メイドや使用人が居てくれて、執事も居て屋敷は廻っている。そんな人達を差別するような愚か者にも、成り下がるつもりも全くもって無い!」
婚約者に言い放ったご主人の目は、酷く冷たい、冷ややかだった。
私は、ご主人が座っているイスの、まだ少しスペースがある所へ入り込んで一鳴きして存在をアピールした。
ご主人は、部屋に私が入っているとは思わなかった様子で、一瞬驚いていたけれどすぐに微笑んで背中を撫でてくれた。
背中を撫でられて私は、少しうっとりとしてしまった。
しばらく背中を撫でられてふと我に返ると、目の前の婚約者が殺気を漂わせて私を睨んでいた。
多分、メイドの時同様に嫉妬だろう。
婚約者がまた文句を言おうとして口を開こうとするのだが――ご主人の言葉に遮られた。
「取り敢えず、僕は結婚するつもりは全く無い。いい加減分かってくれ」
「……」
婚約者は憤怒の表情で、そして無言で立ち上がり部屋を出ていった。
ご主人はそんな婚約者に目もくれず、私の背を撫で続けた。
婚約者が来訪した日から二日後に、また婚約者がやって来た。
ご主人が、何とも言えない表情で立ち上がった時に、私はご主人の肩に乗った。
執事が慌てて私をご主人の肩から降ろそうとして、ご主人はやんわりとそれを止める。
執事は少し不服そうだったけれど、ご主人は気にせずに婚約者の居る部屋に行った。
ご主人がノックしドアを開けると、少しやつれた様子の婚約者が立ってご主人を見た。
婚約者が私を見て、今度は憎悪を分かり易く目に浮かべて私を睨んだ。
その後に婚約者は俯いて、再度顔を上げた――。
「単刀直入に申し上げますわ。私は、あなたの事が好きですの。いいえ、愛しています!!」
「断る。僕は彼女しか必要ない。他の人と結婚するつもり断じてない」
「どうして……どうしてあの女を……!!憎い、憎いわっ!!死んだくせに、いつまでも私の邪魔をしてっ!!」
行方不明だったのは、婚約者が恋人を殺したから――本当に噂通りだったと私は思った。
「彼女を殺した人間と一緒に居たいとは欠片も思わない」
「な、何で知って――!」
「彼女を殺す瞬間をこの目で見たんだ!!銃で後ろから撃っただろう!!」
「ち、違いますわ!他人の空似です!!」
「嘘をつくな!!君が撃った後に、すぐ駆けつけた!!彼女は復讐等は考えるなと言うから、そんな気を起こさないように遠く離れたここに来たんだ!!」
急展開。ご主人は、婚約者が恋人を殺す瞬間を見ていた!
私は少しだけ驚いた。
「やっぱりあの女は……」
婚約者は、暫く、ぶつぶつと何かを呟いていたけれど顔を上げる。あぁ、また目があった。
「その黒猫……あの女も忌まわしい黒の髪と瞳を……!!憎い、憎いっ!!」
婚約者は、何かを思い出したのだろう。それによって瞳に狂気を浮かべた。
「私の物にならなければ……そうだ!殺してしまえばいいわっ!ついでにその黒猫も死んでしまえば良いのよぉっ!!」
そう言い切った後に、手に持っていたバックから美しい装飾をされた銃を取り出し――。
「死んで私の物になって下さいな!!あはははははは!!」
そう叫ぶと、引き金を“二度”引いた。
先にご主人の身体に衝撃があり、その後すぐに私の身体に衝撃と激痛。
どさりとご主人と一緒に倒れた。
「ううっ」
ご主人の呻き声が聞こえた。私はご主人に鳴いた。
「あぁ、一緒に、撃たれてしまった、のか……。すまない、生かしたのは、僕なのに……」
いえいえ、楽しく暮らせたので十分ですよ、ご主人。
「彼女は、どうしている、のかな……?ハハ……」
外が騒がしくなってきたのが聞こえて、目の前が暗くなった。
ふわりとした感覚に気がついて目を開けた。目の前には、死んでいる私の猫の姿と同じ様に死んでいるなっているご主人。
魂が肉体から出たんだと分かった時、私は全てを思い出した。理解した。
魂の姿が変化したのが分かった。そして私は、ご主人を……愛する恋人を探す。
彼は部屋のイスの傍に、目を瞑って立っていた。
彼の元に、私は走って抱きついた――。
彼は目を開くと、私を見て驚いていた。けど、私と同じ様に抱きしめて、名前を呼んでくれた。
彼は、彼の魂は、温かった。
その温もりは、生前と変わらなくて涙が出そうになった。
私達を殺した婚約者――人殺しは私達が見えるのか、呆然と私達を見ている。
そして私達は、互いの顔を見て笑った。
「だから、私が死んじゃった時にあなたが心配だったから、一緒に居てもおかしくない猫に生まれ変わったの」
「え、じゃああの黒猫は……」
「そう!私だよ!まぁ、家族が死んじゃうとは思わなかったんだけどね」
「君を拾わなかったら、再会は出来なかったのか……。良かった……」
彼は、私の頭を撫でながらほっとしていた。
「でも結婚出来なかったね……」
私は、唯一の心残りを口に出す。
「大丈夫、次がある」
彼は、まだ私の頭を撫で続けている。
「うん。……ねぇ、何で頭を撫でているの……?」
「あぁごめん。よく黒猫を撫でたりしていたから!」
「……」
猫扱いか……。
「次も、出会えたらいいねぇ」
「何言っているの?出会うよ」
「どうして言い切れるの?」
「生まれ変わっても忘れない。探すよ」
「……」
私は下を向いて、声を出さず笑った。
「そうだね、私を探し出して愛してね!絶対!指輪も持って行くから」
「当たり前だよ。僕も持って行く」
そして、私達は手を繋いだまま消えた。
「初めましてー、隣に引っ越してきました佐原ですー。これどうぞ」
「どうもご丁寧にありがとうございますー。双介!佐原さんに挨拶して頂戴!」
「あら、じゃあ凪も挨拶しなさい」分かったと、私はお母さんに返事をした。
「初めまして、佐原凪です。今年で十六歳になります。宜しくお願いします」
「初めまして、貴瑠双介です。今は十七歳だよ。宜しくね」
「はい!あ、ちゃんとか言われ慣れてないので呼び捨てでいいですよ」
「じゃあお言葉に甘えて。俺も、これからお隣だし敬語はいらないよ」
「本当!?やった、敬語苦手だったんだ!」
私は不意に、懐かしさがこみ上げて涙がでそうになった。同時に、いつの間にか持っていた高そうな指輪の事を思い出した。
たった今知り合った双介の顔を見ると、双介も少し目元が濡れていた。
さらに双介の顔を見続けていると、心臓がドキドキして、私の顔が熱くなっていく。
母達は、二人で話していて私達の様子には気がついていない。
――やっと会えた。
無意識にそう思った瞬間に、私は全てを思い出した。
思い出したら思い出したで、ぎりぎり保っていた涙腺が崩壊し、とうとう涙が出てきた。
目を擦り涙を止めると、双介が声を掛けてきた。
「凪は本好き?」
「本?大好きだけど」
「へぇ、何読むの?」
「私、雑食なの。何でもいける」
「俺の部屋に結構本あるけど……見る?」
「本当に!?」
「うん、本当」
「見たい!お母さん、本見せてもらってくる!」
「え!?」
「あはは、どうぞー!汚いけど許してねー」
双介のお母さんは、笑顔で許してくれた。
「大丈夫です、お邪魔します!」
開いていたドアは、双介によってゆっくりと閉まった。
「やっと、やっと会えた……!」
「もう離さない、絶対に!!」
おそまつさまでしたorz