1-(3)参戦
宮野奏多が病室で目を覚ましたのは、巻き込まれた事故から1週間が経過したころだった。
当初、彼女にはまるで生きているという実感はなかったものの、担当医から怪我の状態などを聞かされ、さらにベッドの近くの棚にあった手持ち鏡で自分の頭に巻かれた包帯を見て、改めて自身が置かれている現状を把握したのだった。
しかし、あの事故は確実に奏多を『死』へと追い込んだことには間違いはなかった。彼女自身が、自分の体を中心にして致死量の多量出血をしていたのを目の当たりにしている。そのはず、なのだが、
「…………どうして、私はまだ……」
「その答えが知りたいか、宮野奏多」
僅かに漏らしたその呟きに誰かが答える。その声のした方を奏多が向くと、病室のドアの入り口に1週間前に会った青年が立っていた。
「あなたは、確かあの時の……。それに、どうして私の名前……」
「それのことについては今説明をする。椅子、借りるぞ」
「え、あ、はい」
と、奏多が返事を返す前に青年は室内にあった丸椅子へと腰を掛ける。そして、静かに辺りを見渡すや否や、おもむろにその口を開いた。
「まず、名を名乗ろうか。……僕の名は麻桐幽理。麻の桐に、幽かな理と書く」
「麻桐、幽理さん。……あの、麻桐さん」
「幽理で構わない」
「あ、じゃあ幽理さん。……あの時、私はあなたから黒い巻物のようなものを譲り受けました。あれは……、いったいなん何ですか?」
「…………少し、質問返しになるが、いいか」
「……はい。別になんでも」
「……年端。いくつに見えるか?」
「年端……って、年齢、ですか?」
「あぁ」
質問返しにしては些かシビアなものが来てしまった、と奏多は直感した。その上で、例の巻物とそれがつながるのかと考えつつ、奏多は思考を巡らす。
「えと……、24、ぐらいですか?」
「……やはり、そうなるのか」
「間違って、ました…………?」
「いや、あらかたは間違えてはいない。その上で先の数字に100を足せば、と言えば理解できるか?」
「24に、100を足す……、って、はい!?」
いった意味を理解したうえで、奏多はとんでもないことに気づいてしまった。24に100を加える。つまり、それはこの目の前に座る青年が、100年以上を生きているということになるのだ。しかし、当の幽理本人はまるでそんな長い年月を生きているとは思えないほどの、寧ろ現代でも通用できるほどの顔立ちでもあ。そのことに奏多の思考はついていけず、果てに混乱してしまった。
「えと、あの、えぇ……」
「そこまで狼狽えることではないだろうが、まぁ想定の範疇と言ったところだ。」
「ですが、それとこれの関係がすえんぜんつかめないのですが」
「話すよりは、見てもらった方が早いか」
そういうと同時、幽理は自身の線の細い体から奏多が譲り受けたものに似たような巻物を取り出した。その光景を間近で見た奏多は相当に驚く。しかし、そんな彼女に目もくれず幽理はその巻物を広げる。そこには、多少の空白はあるものの達筆な叢書体で文字が書かれてあり、その中にはなぜか奏多の名前もあった。
「これが、僕が君に譲った巻物の正体。正式名称は『呪詛』と云う」
「呪詛って、これが……?」
改めて向き合った噂の正体に、思わず奏多は目を丸くする。1週間前に遠坂玲の話していたことが頭をよぎるが、まさか、こんなものだったとは。
「その様子だと、大方は知っているようだな。だがこれは、14組のどれにも含まれない唯一無二の1本。正式には『環祖理書』という。これには、今現在誰が何番の呪詛を持っているかを把握できると同時に、14組28本の全ての異能を操ることができる」
「じゃあ、ここに私の名前があるのは……」
「君に譲ったのは、28本あるうちの最終番号、『白天空陰書』というものだ。僕の知る限りでは最初の第1、第2番と最後の第27、第28番は他からは想像もつかない能力を秘めていると聞いている。もっとも、そのうち第27番は僕が所持しているんだが」
「……あれ、でも待ってください。それって、幽理さんが2本所持していることになるんじゃあ」
「……『戦争』のことについて多少は知っていると思ったんだが、直々に説明する必要があるか。確かに、噂では100年前から現代まで続いているとはあるが、それは本当だ。しかし、ペアのどちらかが呪詛を奪われてしまうともう一人は勝利した側へ所持していた呪詛を明け渡すというルールになっている。だから、現実僕が2本持っていても疑問に思われることはない。もっとも、全てを集めると何が起こるかというのは、僕にも知り得ないが」
「…………それじゃあ、収穫なしなのでは」
思わず、肩をがっくりと落してしまう奏多。その顔を俯けた状態でそろりと幽理はのほうへ顔を向けると、なぜか彼の表情は少しばかり強張っていた。
「……あに、幽理さん?何か、ありましたか……?」
「……奏多。ベッドを降りることはできるか?」
「え、でもまだ先生には絶対安静って」
しかし、まだ言い終わらないうちに、それはこの病室に向けて飛んできた。
まるでドラマか映画のように、窓にはめられたガラスが甲高い音を立ててリノリウムの床へと砕け落ちる。異常なまでの速さをキープし奏多へと向かってきたそれは、すかさず彼女を庇った幽理によって阻まれ、消失した。
「くっ……、もう始まったというのか、あいつら……っ」
「!幽理さん、腕が……」
奏多の目の前にあった幽理の右腕は、彼が着ていた薄手のコートを襤褸布のごとくにし、皮膚は庇った時に傷が生々しく残っていた。
「これくらいは、別に問題はない」
「でも……!」
「よく見てみろ」
そう云われて見たときには、…………すでに腕の傷はほとんど完治したといってもいい状態になっていた。
「これは、一体、どういう……」
「呪詛の所持者になると、たいていの傷は一瞬、致命傷でも5日足らずでほぼ生活に支障が出ないほどになる。君があの事故で生きれたのはこれが関係している」
「……それで、私は……」
「何より、今回の『戦争』が始まってしまった上にここをリークされた以上、ここにいるのは危険だ」
そう言うと、幽理は病室の入り口へと足を向かわせる。そして目の前へ来たところで、奏多の方を振り返る。
「僕がこの『戦争』に参戦する理由はただ1つ。今回でこの『戦争』を終わらせることだ。しかし、そのことに赤の他人である君を巻き込んでしまった。……だから、これはせめて君への贖罪として受け止めてほしい。……僕の、パートナーと、なってくれるか、宮野奏多」
静かな告白。しかし、その誘いを聞いた奏多はただ静かに笑う。そして、答えた。
「そのようなことでしたら、別に構いません。いいですよ、なっても」
「……………………意外、というべきなのか?」
「何鳩が豆鉄砲くらったような顔してるんですか」
「まさか、ここまであっさり受け入れてくれるとは思ってもいなかったからな…………」
まさかの意外な奏多の回答に、思わずほおを紅潮させる幽理。しかし、これによりすべてが確定した。
この、宮野奏多の参戦決定により、今回の『戦争』の所持者が確定。奪い奪われる戦いは、静かに、しかし大胆にその幕を開けた。