17
目を覚ました時には、僕はベンチの上に寝そべっていた。目線の先には、白いクロスが張られた天井、そして、40Wの蛍光灯の明かり2本を灯していた照明器具。その光が、目覚めたばかりの僕の目には、頭痛を催すくらいに煌々としていた。
はて? 僕は、今ここで何をしていたのだろう? そんな疑問を抱く。しかし、何かを考えると頭痛が酷くなっていく。
「気がついた? よかった~。」
その声の主はいったい誰? 依然として続く頭痛を堪えつつ、首を声のした方向へ回してみた。
――美栄? 何だ?
「すみませ~ん。気がつきました。」
おそらく、どこかの一室に僕はいるみたいだが、次から次へと、この部屋に入ってくる人の気配が感じられた。一気に周りが慌ただしくなる。
「気がついたかー。よしよし、頭は動かすな。今医者を呼んでくる。」
声をかけてきたのは、ジムの会長だった。いつもの、厳しい鬼のような形相が、この時ばかりは見られず、今まで見たことのない、優しさが溢れ出た表情だった。しかし、美栄といい、会長まで、なぜここに? ここは、どこなんだろう?
「会長?」
「よしよし、まだ喋るな。」
会長は、僕の言葉を抑え付けるように慌てていた。
次に、僕の顔を覗き込んできたのは、白衣を身につけた30代の男だった。さっきの会長の言葉の通りであれば、この人は医者だろう。
「うん。瞳孔もしっかりしているし、今のところは問題ないでしょう。ただ、精密検査をしていただくことになります。まあ、大事をとって。」
医者の男は、ペンライトで僕の、目を照らし覗き込んだり、聴診器を胸に当てたりした。神妙な面持ちで、僕の診察をしている。
――救急車呼んでください。
医者は、誰にというわけでもなく、声を高らかに言い放った。その言葉に反応してか、誰かが部屋の外へ駆け出していくのが気配でわかった。
「誠一。大丈夫?」
美栄は、まだ僕の傍に腰をかけていた。僕の右手が彼女の両手に包まれている。さっきよりは、少し余裕があってか、目に入るものや状況を正確に認識することができる。彼女の目が、少し潤んでいた。
「会長。僕は?」
僕の声は、自分自身の耳を通してわかるくらい、かなり弱弱しい。
「おまえ、KOされたんだ。」
「KO?」
「ああ。試合で見事に吹っ飛ばされた。」
「試合……。」
「何だ? 覚えてないのか?」
「脳震盪を起こしましたから、前後の記憶が飛んでいる状態ですから、無理もないです。」
僕らの会話に割り込むように医者が言葉を挟んだ。そして彼が会長の疑問を解決した。しかし、僕にはまだ、この状況が全て飲み込めていない。
「まあ、いい。取り敢えず病院だ。詳しいことは、あとでゆっくり話してやる。」
会長は、少々困惑気味な様子だったが、少しだけわかったことは、僕は今、皆から心配されていることだった。
しばらくして、ジムのトレーナーが部屋にやってきた。彼の声は、男にしては、少々高く、独特の声質だったから、耳にするだけで彼だとわかった。
「救急車到着しました。」
「よし。病院へは俺が付き添う。トレーナーたちは、ここら辺を片して、帰っていいから。」
会長が、周囲の人へそそくさと指示を出し、それに皆も従い、すばやく行動し始めた。
「あの~。私も付き添ってもいいですか?」
美栄は、会長に、一人だけ場違いだと思ったのか、遠慮しがちな声で頼み込んだ。
「いいよ。お嬢ちゃんは、帰りな。家族も遅くなっては心配するだろう。」
「いいえ。もう家族には連絡しておきましたから、大丈夫です。」
「参ったな・・・・・・。あの、救急車へは何人乗れますか?」
会長が、救急隊員の人に聞いた。
「2人くらいまででしたら大丈夫ですが。」
「わかりました。じゃあ、お嬢ちゃんもおいで。その方がこいつも安心するだろうから。」
「ありがとうございます。」
そのやり取りを、僕は、静かに見守った。
救急隊員の人が持ってきた担架に乗せられ、頭や体をベルトで固定されてから、僕は部屋から運び出された。見上げた廊下の天井には、規則正しく、一定の間隔で蛍光灯が次から次へと視界へと映りこんできた。それらを見るとまた具合が悪くなってきた。
肌に触れる空気が変わり、外に出たんだと感じた。空は、雲がなく、朱色に染まっていた。疲労感がそこで、一気に押し寄せてきた。
――眠いな。少しだけど眠るかな。今日は、何があったかはわからないが、疲れた。
目を閉じ、僕は意識を失った。