16
「工藤君。」
月曜日の授業も終わり、そそくさとジムへ向かうため、下足場で靴を履き替えていたときだった。僕を呼び止めるような声が僕の背中へ浴びせられた。声の主は、赤木だった。
「赤木さん。どうかしたの?」
僕の問いかけに、彼女は一瞬口ごもったが、それはいつものような躊躇いを感じさせるものではなく、一呼吸間をあけた、そんな感じだった。
「この間は、その・・・・・・ありがとう、観に来てくれて。」
「いやいや、本当によかったよ。いいものを見せてくれた。そんな感じだよ。」
「ちょっとだけ、いい?」
赤木は場が悪いのかと思ったのか、周囲を気にするように見渡しながら言い放った。
「うん、いいよ。だけど、用事があるから、帰りながらでもいい?」
「ええ。それでかまわないわ。」
僕らは、また一緒に下校することになったわけだが、いつもと違うのは、僕からの意図ではなく、赤木から誘いがあってこういう場面が作られていることだ。
「初めてだったの・・・・・・。」
何をいきなり言い出すのかと、僕は驚いて、彼女の顔を見た。
「な、何が?」
「初めて、友達に私のダンスを見せたの。」
「そのことか・・・・・・。」僕はボソッと口から独り言をこぼしてしまった。
「どういうこと?」
「いやいや、なんでもない。そうなの?前のところとかでも友達に見せたことなかったの?」
初めてだったのなんてセリフは、いい年頃の男女がするとちょっと違うように聞こえてしまうからか、別の意味で捉えてしまった自分自身に恥じらいを覚えた。
「ええ。今みたいに前の学校でも、ダンスをしていることは誰にも言わなかった。皆、学校では、ファッションのこととか、好きな芸能人の話、恋愛の話。ごくごく普通のことだけれど、私がダンスをしていることを話すと、この子は、何か違うとか、そういう偏見をもたれると思ったの。」
「なるほど。つまりは、赤木さんって恥ずかしがり屋?」
純粋に思っただけのことだった。彼女は、核心をつかれたのか、顔をうつむき、長い髪の奥からは頬が赤みがかっているのがわかった。「それは、ひとつの理由でしかないと思う。」
「じゃあさ、ひとつ聞くけど、何で俺を誘ってくれたの?」
「それは、このままではいけないと思ったからかな。それに工藤君は、何かと私を気にしてくれていたみたいだし、それに、私がダンスをしていることを口外しないって約束してくれたから。」
「そうか。はじめの一歩ってことか。」
「でも、よかった。本当は怖かったの。私が踊っている姿を見て、友達がどう思うのか? でも、工藤君は、よかったって言ってくれたし、お世辞でも嬉しかった。それを聞いて、私もダンスしていてよかったって、心の底から思えたから。」
依然として、彼女は僕の顔を見ることなく、うつむいたまま話をしていた。
「ところでさ。この間のお礼がしたいんだけど。」
「お礼? 何で? お礼をしなきゃならないのは私のほうよ。」
「いやいや、あれだけいいものを見せてもらったんだから、そのお返し。大したもんじゃない。」
僕は、彼女を制止するように自分の胸の前で両手を広げ、話を先に進めた。
「赤木さんは、自分がダンスをしていることを俺に教えてくれた。そして、発表会にも誘ってくれた。だから、俺も、赤木さんに似た感じでお礼をするよ。」
意を決した。赤木は、僕に対し、ほんの一部だが赤木沙耶香という姿を見せてくれた。僕も、同じように、彼女へ、僕の姿を教え見せてあげるべきだと考えた。だからこそ、言おう。
「何?」
「今日、用事があるって言ったろ? 今日だけじゃない。ほぼ毎日、俺も通っているところがあるんだ。」
「そうだったの。」
「赤木さん、格闘技って観たことある?」
「格闘技? ボクシングとかプロレスとか? ないよ。」
やはり、赤木も普通の人と変わらぬ格闘技の位置づけを抱いていたようだ。
「ボクシングとかとは、ちょっと違うんだけど、総合格闘技っていうやつ。それのジムに通っているんだ。」
「工藤君って、体が大きいのに、何も部活してないなんてもったいないと思っていたけれど、そんなことをやっていたのね。」
「でね、今度試合があるんだ。プロデビュー戦。」
プロという単語に、赤木は驚いたといった感じで、彼女の眼がいつもより大きくあけられた。僕は、彼女のそんな表情に目が合わす事ができなかった。
「プロ? すごい。」
「いやいや、たまたまそういう話がきただけで、プロといっても、テレビに映るわけじゃないし、小さい大会だから。」
照れています。と表現するように、僕は、照れ笑いを浮かべながら、右手で後頭部をかきながら答えた。
「でも、話が来るだけでもすごいじゃない。」
「いつも会長からは、そんなんじゃプロっていえないぞって言われてるんだけどね。」
僕はため息をつき、うつむきながら答えた。
「皆は誘わないの?」
赤木は眉間に皺をよせ、僕の顔を覗き込みながら聞いてきた。せっかくの美形の顔がわずかばかり崩れていた。
「うん。デビュー戦だし、どうなるかもわからないから。敢て誘わない。俺も、怖いんだ。格闘技やっていることを皆が知って、どうなるのか? 皆、俺を恐れて離れていくんじゃないかって。赤木さんと、一緒なのかな?」
「そう。でも、私は誘ってくれるのね。」
「言ったろ。お礼だって。それに、もし仮に、このまま有名にでもなったら、そんなことを考えてられないからね。俺もはじめの一歩を踏み出すってわけ。今度は俺が、いいもの見せてあげるよ。」
僕は、右腕を折り曲げ、力瘤を作り、そう答えた。
「随分頼もしいのね。」
「いや。調子に乗りすぎた。」
その後、一瞬だけだが、僕らは眼を合わせ、大笑いを互いにした。