第6話 初縁
彼女の視点から、彼に再会します。
緊張した。
彼とはじめての電話。
近くにやっちゃんがいなかったらどうなっていたことか。
「なに、おどおどしてんだよ。おまえの人生だろが」
「そうは言ったって……」
あの日、不動産屋から離れてすぐ、やっちゃんに電話した。
「私も、そっちに行っていい?」
やっちゃんは何も聞かず「来い来い」と言ってくれた。
それからすぐに健康ランドで働かせてもらうことになったのだけど、やっちゃんはやっぱり何も聞かなかった。
ここの仕事は、主に掃除や話し相手になることが多かった。使用済みのタオルの回収や、床のモップ掛けは常にしていた。
常連のじいちゃんばあちゃんに頻繁に話しかけられ、仕事がおろそかになることもしばしば。その合間を縫っての休憩時間、私はやっちゃんに話をした。
「ねえ、なんで何も聞かないの」
「そっちから話してくれるなら聞くけどよ」
さすが、数少ない友人なだけのことはある。私が口を開けるまでずっと待っていたらしい。
「不動産屋へ行ったとき、知らない人から携帯の番号をもらったの。『部屋が空いてるから、来ないか』って」
「いいじゃん、行けば。念願のルームシェアだべ」
「でも、その人、男の人だから。どうなんだろって」
『おとこ』と聞いたやっちゃんは眉間にしわを寄せた。そして腕組みをして、ううんと唸った。
「さすがにそれはマズイんじゃねえの? 何歳か知らねえが独身の男と年頃の娘が一緒の部屋ってのはさすがにな」
「やっぱり、そう思うよね。でも、見た感じはいい人そうに見えた。30、いや40代くらいかな」
「おまえ、騙されてるんじゃねえか?」
電話番号をもらったとき、棚からぼたもちとはこのことかと思った。でも、そのもちの中に毒が仕込まれていたとしたら……。
「でも、番号受け取った時点で、私の中では決まってたんだと思う。そこでお世話になろうって」
乗り掛かった舟が泥船でも、私の人生は一度きり。どうせなら面白く生きたい。
「いやぁ、おまえもおとなになったな。ちょっと前まで、俺の後ろを金魚のクソみたいについてきてさぁ」
やっちゃんは鼻をすすりながら泣いている。そんなに私はダメな子だったのか。
「だけど、ヤケクソじゃないから安心して。一応、護身術とか心得あるし」
「まあ、おまえの貞操はご自由にだが、おまえが傷つく姿は見たくない。もちろん、友人としてな」
口は悪いが、気は優しく思いやりのあるやっちゃん。
私が珍しく初対面で仲良くなった唯一無二の親友だ。
「ありがとう。でも、私はそんなにやわじゃない」
「ああ、わかってる。気をつけて行って来いよ」
出発する少し前、健康ランドのオーナーに事情を説明したら、ありがたいことに、いつでも戻っておいでと声をかけてくれた。
心配してるのが見え見えなやっちゃんは、いつもと変わらず笑顔で送り出してくれた。私にはそれで充分だった。
健康ランドから出ているバスに乗り、駅を経由して市街地のはずれに降り立った。
しかし、そこから記憶が曖昧になっている。どこをどう通って、目的地のアパート近くまで来たのか。
不動産屋の前を通ったのかすらも覚えていない。極度の緊張からくるものだとしても、今まで一度も記憶が飛ぶようなことはなかったのだが……。
スマホの地図では、この辺りのはず。
細い路地を進んだ先に『メゾン・ド・福子』の文字を見つけた。
あった。二階の角部屋、ベランダに色の悪い作業着が干してあるのが見える。
そこにあの人がいるはず。
私は一度深呼吸して、アパートの階段を一段一段確かめながら上がっていく。
通路を通り、ドアの前まで来ると、急に心臓がバクバクして、呼吸も早くなった。
しっかりしないと、またやっちゃんに怒られる。しっかりしろ。
自分に何度も言い聞かせながら、震える指でチャイムのボタンを押した。
静かな空気の中、ピン、ポーンと鳴り響くが、誰も出て来ない。
もう一度、押しても物音ひとつしない。
おかしいな、やっぱり騙されたのだろうか。
そう思っていた矢先、ドアノブがガチャガチャと動き出した。
「いらっしゃい」
ドアが開かれた瞬間、彼の姿に私は息を呑んだ。
「お、おやすみのところ申し訳ありません」
休日らしい、ラフなんてもんじゃない格好だった。
乳首が透けて見える襟元ダルダルな半袖シャツに、色も生地も薄くなった柄パン。
その状態に彼も気づいたらしく、目を見開いて少し慌てた様子だった。
「えっと、立ち話もなんだから、とりあえず中入って」
「あ、はい」
あのとき出会った腕まくりの紳士は、ここにはいなかった。
次回は、俺の視点です。




