伝えたかった言葉
「…………音咲くん」
音咲くんの話を聞き終え、呟くように彼の名を口にする。音咲くんが、杉崎くんが具体的に何を言われたのかまでは分からない。それでも……どんな類の言葉を言われたのかは容易に想像できて。そして、彼らが日々、どんな類の視線に苛まれ過ごしてきたのかも。
「……俺の、せいで……俺が、考えなしに告白なんかしたせいで、唯月は……」
そう、絞るように呟く音咲くん。聞いているだけで胸が塞がる、甚く痛ましい声で。そんな彼に、僕は――
「……君は、すごいね……音咲くん」
「…………へ?」
僕の言葉に、ポカンと目を丸くする音咲くん。まあ、そうなるよね。全く以て何の脈絡もなさそうな発言だし、それ以上に――
「……ふざけてんの?」
そう、じっと僕を見つめ尋ねる。息を呑むほどに綺麗なその瞳には、明確に怒りの色が宿っていて。そんな彼に、僕は――
「ううん、ふざけてなんかいない。僕は、本当に君を――」
「――それがふざけてるって言ってんだよ!!」
直後、後方から衝撃が響く。きっと、黒板に直撃したのだろう。直前、音咲くんが放ったスパナが黒板に――
「……あ、その……ごめん……」
すると、ややあって謝意を口にする音咲くん。僅かに掠り血の零れた、僕の左の頬を真っ青な表情で見つめながら。分かってはいたけど、彼とて意図した行動ではなく……あまりの衝動に、脳が指令するより前にすぐ傍にあった物を投げてしまっただけなのだろう。……実際、頭が真っ白になったんじゃないかな。それなりに大きかったはずの、扉側から響いたもう一つの衝撃にまるで気が付かないくらいに。
だけど、謝る必要なんてない。それほどの衝動を彼の中に生じさせてしまったのは、この僕。気にしないでと伝え、そのまま彼をじっと見つめる。そして――
「……僕は、人を死なせてしまったんだ。その尊い想いを僕に告げてくれた、大切な友人を」
「…………へっ?」
「……いや、なに言って……」
僕の言葉に、茫然と呟く音咲くん。……まあ、そうなるよね。死なせてしまった、なんて物々しい言葉、そうそう耳にすることもないだろうし。それも、よもや自身の担任教師の口から。だけど――
「……事情は、似たような感じだよ。皆が皆というわけでもなかったし、理解を示してくれた人達もいたと思うけど……それでも、きっと似たような感じかな。僕に告白してくれたその友人は、ほどなく社内で《《そういう目》》に晒され、心ない言葉や根も葉もないことまであれこれ言われ……」
「…………由良」
「……だけど、僕は何も出来なかった……いや、何もしなかった。僕に対してもなくはなかったけど、主に被害を受けていたのは彼……だから、巻き込まれないよう卑怯にも逃げて、大切な部下を……友人を見殺しにしたんだ」
そう話す僕を、口を一文字に結び見つめる音咲くん。軽蔑、したかな? うん、それも当然。軽蔑されて当然の人間なのだから、僕は。……だけど、それでも――
「……ねえ、音咲くん。僕の友人は……友希哉は、なにか間違っていたのかな? あんなにも苦しまなきゃいけない……死ななきゃいけないような罪を、彼は犯してしまったのかな?」
「……いや、そんなことは……」
そう、じっと目を見て告げる。……全く、我ながら意地が悪いと思う。何も間違っていないし、罪なんて何一つない――そんな分かりきった答えを、敢えて彼の口から引き出そうとしているのだから。
「……でも、それでも……」
そう、少し顔を附せ呟く音咲くん。きっと、頭では分かっている。だけど、感情が許さない。何も間違っていない、罪なんて何一つない――そう言って友希哉を肯定することで、結果的に自身を肯定してしまうことを感情が許さない。ほんと……蒔野さんといい君といい、優しいにもほどがある。ほんと、僕なんかには眩しいくらいに。
……うん、きっとここまで。僕じゃ、きっと彼の心は動かせない。だから――
「……ねえ、音咲くん。今だったら、信じてくれると思うんだけど……さっき言ったこと、ほんとだよ。僕は君のことを本当にすごいと思うし、心から尊敬している。だって……君はそんなにも辛く苦しい思いをしたのに、大切な友人のことを一番に心配して、必死で護ろうとして……そして、今もずっと助けようと頑張っているんだから」
「…………由良」
「……でも、僕じゃ君の心は動かせない。だから――」
「……? どうしたん……っ!!」
刹那、弾かれたように目を見開く音咲くん。僕が移した視線の先――扉の方をじっと見ながら。そこには――
「……その、久しぶりだね……成海くん」
そう、仄かに微笑み告げる端整な少年。そんな彼に、茫然とした表情の音咲くん。それから、ややあって――
「…………いつ、き……」
「……なんで、お前が……てか、いつから……」
「……うん、ついさっきかな。その、先生に……ってどうしたの先生!? なんか、血が出てるけど!!」
「……あ、いや……うん、ちょっと階段で転んじゃってね」
「そうなの!? ……えっと、大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ。ありがとう杉崎くん。だけど、それよりも……」
「あっ、うん!」
そんなやりとりの後、再び音咲くんへと視線を移す杉崎くん。……ふぅ、あぶないあぶない。良かった、あの場面を見られてなくて。……ただ、我ながらごまかし方がひどい。杉崎くんが素直でほんと良かった。
ともあれ、再び音咲くんをじっと見つめる杉崎くん。そして――
「……その、成海くん。ほんとに……本当に今更なんだけど……その、ほんとにごめん!」
「…………なんで、お前が謝って……」
そう、茫然と呟く音咲くん。そんな彼を、じっと見つめたまま口を開いて――
「……成海くんは、ずっと僕を護ろうとしてくれてた。自分が一番辛かったはずなのに、それでも僕を一番に護ろうとしてくれてた。それも、君の大切な想いに応えられなかった僕を」
「……唯月」
「……なのに、僕は逃げた。僕は、弱くて臆病で……そんな自分が嫌で、君に顔を合わせられなくて、ずっと……昨日も、僕に会いに来てくれていたのに、ずっと逃げたままで……だから、ごめん。それから……少しびっくりしたけど、嬉しかった。だから……こんな僕を好きになってくれて本当にありがとう、成海くん」
「……っ!! ……いつ、き……っ」
そう、真摯な瞳で話す杉崎くん。その綺麗な瞳には、今にも零れ落ちそうな涙が湛えられていて。その後、少し間があって――
「……俺こそ、俺の方こそごめん……そして、俺の方こそ、本当にありがとう……唯月」
そう、絞るように告げる音咲くん。その綺麗な頬に伝うのは、一滴の雫。そして、それは瞬く間に数を増していって……うん、邪魔者はそろそろお暇しなきゃね。




