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唯は沙枝の目元から手をそっと下ろすと、沙枝がまたゆっくりと目を開けた。
「唯…私、どうなっちゃうのかな」
「ご心配なく…あなたは私たちが責任を持って守ります」
「俺も、守るよ」
谷崎が乗り出した。
ここまで関わっておいて逃げる奴なんて、いるのか?
答えは反語だ。
「当たり前だろ」
俺は沙枝に笑いかけた。
沙枝は少し安心したらしく、涙の痕までついた頬を二、三回軽く掻いた。
唯は沙枝の回復を確認すると、立ち上がり、閉まったままのドアの方を向いた。
「では、まずここを出ましょう」
「うん」
沙枝が立ち上がり、俺と谷崎もそれに続いた。
沙枝は、この一件がひと段落ついた後、二度と会えなくなることは知らない。
だから少しでも明るい顔がしていられるんだ。
せめて俺達も、と俺と谷崎の間で暗黙の会話が流れた。
唯が慎重にドアを開き、外に転がり出た。
「!?」
「…何だよ、コレ…」
物置の外の床を、白い煙が徘徊していた。
火事でも起きたのか。
いや…火事の煙って、こんなに白かったっけ…?
「…催眠ガス!」
「!」
唯が気づくと、俺達は反射的に口を押さえた。
しかし、唯はすぐにその手を制し、周囲を見渡す。
「この高さなら…大丈夫です。もう蔓延しきった後なんでしょう」
「じゃあ、今学校にいる連中は…」
「全員夢の中、ってこと?」
唯は静かに頷いた。
「これからどうするの、アキ」
沙枝は心配そうに俺に聞いた。
俺が知るわけないだろ!と言ってしまいたいが、そんな無責任なことは言っていられない。
「屋上に行こう」
「え?」
谷崎が階段を見つめた。
「逃げるなら、裏口とか、昇降口とか…他にあるだろ!?」
「多分、敵もそこは包囲してるんじゃないかな?…なんとなく、だけど」
「屋上に逃げてどうするの?」
「それは…」
谷崎が口をつぐむと、唯が続けた。
「ヘリを用意しておきましょう。仲間に通信します」
ヘリ、か…。
近くで拝んだことはないな。
あまりに突飛な世界だ。
唯が小さな通信機を取り出し、アンテナを伸ばすと、ぼそりと何かをつぶやいた。
多分、そういう旨の言葉なのだろうな。
「行きましょう」
唯は、通信機のアンテナをしまうと、階段を駆け上がっていった。
カツカツと音を立てて走る唯の背中を俺達は精一杯ついていった。
後続の沙枝が少し息切れしかけている。
谷崎はまだまだ行ける、という表情だ。
俺は沙枝の制服の袖を引っ張りながら走っていた。
しかし、沙枝のスピードがだんだん落ちてくる。
俺は、沙枝の手首をつかんだ。
夏服だから、そこは素肌だ。
沙枝の体温がうっすら伝わってくる。
普通の人間じゃないか。血も通ってる、体温もある、感情もある・・・。
それなのに、人間じゃない?
違う。
俺は沙枝を今となっても、ただの人間だと思ってる。
友達だと思ってる。
友達なんだ。
誰がなんと言おうとも、沙枝は人間だ。
瞬間、唯の肩を銃弾が掠めた。
大きな銃声が響いた。
「そこを動くなっ!」
見上げると、人影があった。
小柄な人影だ。
でも、礼じゃないことだけはなんとなく分かる。
声も違う。
それが背にした窓からの光に目を細めつつ、俺達はその人影に目を凝らした。
「次は撃つんだから!」
マシンガンだろうか?とても大きな銃だ。
目が慣れてきたころ、そいつの格好がよく見えてきた。
…ガスマスクだ。
そいつはガスマスクとしか形容しようのないものを顔全体にかぶっていた。
制服は…この学校の女子の制服…沙枝と同じものだった。
なんとなく、見たことある髪型のような気もするし、なんとなく聴いたことがある声だと思った。
そいつは構えたマシンガンを下ろした。
「沙枝、あんたこんな所にいたんだね」
そう言いながら、そいつはガスマスクを外して、投げ捨てた。
見たことがある。
言葉を交わしたこともある。
いけ好かない奴だったことも覚えてる。
「・・・春香?春香!!?」
叫んだのは沙枝だった。
そうだ、中村だ。
そいつは中村だった。
「春香!あんた…何やってんの!?」
「見て分かるでしょー、あんたを破壊するために来たの」
中村はフフン、と嘲笑した。
「ああ、12点クンも一緒なのね、関係ないけどっ」
中村はもう一度マシンガンを構えると、沙枝に向けて引き金を引いた。
マシンガン特有の銃声がする。
大きくて耳障りな騒音だ。
唯がさっと身を引き、俺達をかばうように俺達のほうを向いた。
相手も狙いを定めるのが苦手と見える。腕が銃に持っていかれているような状態だった。
しばらくすると、弾切れを知らせる乾いた音が鳴る。
俺達は間一髪で銃弾の雨から逃れた。唯も無事だ。
中村はちっと舌打ちをすると、マガジンを取り替えようとした。
「沙枝さんのことは諦めなさい、そして礼に伝えて。『帰りなさい』と」
唯が冷静に声を発する。
中村は空になったマガジンを捨て、怒鳴った。
「はぁ!?ワケ分かんない!今そこにあるのに、どうして帰らなきゃいけないの!」
弾が充填されたマガジンに付け替え、中村はさらに声を荒げる。
「あんたこそ、礼を何とかしようとか、まだそういう無駄なこと考えてるワケ?」
「無駄なこと…?」
「そう!無駄に決まってるじゃない、絶対に礼は裏切らない。心から私達の組織に忠誠を誓ってるもの」
「・・・・・・・・・」
「あんたこそ早く戻ってきなさいよ、まぁ、碌な扱いされないと思うけどね」
「戻る気なんてありません!絶対に…」
「じゃああんたもここで死ねばっ!」
中村がマシンガンを構えた。
今度こそ、奴は俺達を撃つだろう。
逃げればよかったと後悔するのはもう遅い。
足が動かない。
それに、みんな体力も等しく消耗しているんだし、逃げ切れる自信もなかった。
中村と唯のやり取りがなんとなく気にはなったのだが、そんなことを気にしている暇はない。
しかし、その緊張を破って、沙枝が叫んだ。
「春香!どうして?何で春香がそこにいるの!?」
「だから言ったでしょ、あんたを壊すためだってば」
「どうして?私を壊すの?」
「どうして、って…そんなの決まってるじゃないの」
「え…?」
フフ、と中村が含み笑いをする。
「中学校であんたと出会うところから今まで、仲良しこよしも全部お芝居。ホント疲れたんだからね」
「やめてよ…春香…!」
「友達のフリして近づいて、上からの命令を忠実にこなしてれば、報酬がもらえるの」
「黙りなさい!」
唯が叫ぶ。
そして、刀を構えて中村の方に駆け上がった。
「…あっ!」
沙枝が叫ぶ。
「春香!春香ァ!!」
目に涙をためている。
「やめてぇ!!唯ッ!!」
何に泣き叫んでいるのかは、なんとなく分かった。
俺は、初めて会話したときの中村を思い出した。
いけ好かない奴ではあったけど、…。
唯も怒りに任せて刀を振るっているように見える。
中村は至近距離で発砲することにためらい、マシンガンで唯の刀を受け止めていた。
いったん跳ね返して、後ろに下がったところで、中村がマシンガンを発砲した。
しかし、銃弾は唯の耳の横を通過し、壁にめり込んだ。
唯はそのまま突っ込んでいき、中村の懐に飛び込む。
「春香ァァ!!」
沙枝の叫びは、聞こえていないようだった。
唯はそのまま刀を突き出し、その切っ先は、中村の胸を貫いた。
グシャリ、と鉄が潰れるような音がした。
ああ、春香も…。
「あ、あ、あ…はる、か…!!」
沙枝は動かなくなった春香に駆け寄り、また、泣いた。
そうなんだろう?沙枝。
これと同じ光景が見えたんだろう?
唯が負けるなんて信じたくなかった。でも、クラスメイトが死んでいく姿も見たくなかった。
唯は肩で息をしていた。
まるで一思いに殺人を犯してしまった後のような感じだ。
谷崎が泣き叫ぶ沙枝の肩に手を置いた。
唯は息を整えると、刀を鞘に納め、上を見上げた。
「先に…行きましょう」
「…うん」
沙枝は分かっていた。
今は、屋上に走るべきだということを。
俺達はさらに階段を駆け上がる。
…友達ってなんなんだ。
春香も結局は、敵方の改造人間だった。
春香は、本当に沙枝のことを友達と思っていなかったのだろうか。
目の錯覚だと思うのだが、俺には、沙枝と言葉を交わしていた春香の目が微妙に潤んでいるように見えた。
改造人間が泣くのかどうかは知らないが、もしそうなのだとしたら…?
…いや、今はそんなことを考えている場合じゃない、か…。
もう少し続きます