1
もしも、あなたの隣の席に座っている人が、何か特殊な能力を持っているとしたら?
タイム・ガール
1
教室の大きな窓を開けると、青い初夏の風が舞い込んできた。
その生暖かい風が、近い夏の訪れを教えてくれる。
俺、秋川洋二は今年、中学3年生だ。
成績は下の上あたり。彼女なし。
またこの一年も、無難に終わってしまうのだろう…そう思うと、また一つため息をつかずにはいられない。
閉めかけた窓をもう一度大きく開けると、ちょうど吹き込んできた風が心地よかった。
もうすぐ夏休みか。
と、どこからか鼻歌が聞こえてきた。
窓際の席…ちょうど俺が立っているすぐ近くの席に、女子生徒が座っていた。
俺に気付いた女子生徒が、俺を手招く。
「アキ、何ボサーっとしてるのさ」
「うるせぇ。好きにボサっとさせろ」
その女子生徒――山本沙枝は、俺が中学校に入学してから初めてできた友達だった。
お互い初めてできた友達が異性だろうが、そんなことはあまり気にしなかった。
特に恋愛対象としてもお互い見たこともない、普通の関係。
「そういえば次、英語のテスト返しだよね」
先週、期末テストを行った。
俺は、誤答でも書けている部分より空欄のほうが多いような答案用紙を思い出した。
「どう?自信、ある?」
そう言って首を傾げてくる沙枝。
俺は首を横に振ってNOと答える。
すると、つまんないの、と沙枝は口を尖らせた。
沙枝の成績はなかなか良い。常にクラスの平均は上回っている。
「勉強じゃお前には勝てないよ」
「アキも少しは頑張りなさいよ。最初からそうやって諦めないでさ」
「そんなこと言ったってなぁ…」
俺は語尾を濁らせ、ため息をついた。またか。
そんなことを喋っているうちに、聞きなれたチャイムが始業を知らせた。
俺はさっと席に戻り、自分の椅子に着席した。
と言っても、先日の席替えで、俺の席は沙枝の隣だった。
適当に集めたテストが、出席番号に関係なく返ってくる。
沙枝がまず取りに行き、自分の机に戻ってうすら笑みを浮かべていた。
この野郎。
そして、突然沙枝はこちらを向いて言った。
「…12点」
「は?」
そうだ、言い忘れていたことがあった。
沙枝は時々、
「あんたの点数だよ。この後のテスト返しの」
「……また、見えたのか」
ふと、数分先の未来が『見える』ことがあるらしい。
誰がそんな非科学的なことを、と言うかもしれないが、これは本当のことだった。
沙枝は明るい顔で言う。
「うん、でもどうせなら、自分の点数見たいよね!」
「ま、俺は得したと言うか絶望したと言うか」
「得したってことにしておけば?」
秋川、と先生が俺を呼ぶ声が聞こえた。
俺はのんびりと返事をし、のろのろと答案を取りにいった。
席に戻って答案を見ると、そこには赤字で『12』としっかりかかれていた。
「ほら、当たったでしょ?」
俺は悔しかった。
小さく「畜生」と呟くと、沙枝に言い返した。
「そういうお前は何点なんだよ」
沙枝はつんと澄ました顔で、90と書かれた答案を俺の顔面でひらひらさせた。
やっぱり腹の立つ奴だ。
「お前、テストの設問が見えてましたーみたいな、そういうオチか」
少しイライラしながら俺は聞いてやる。
すると、12点を横目に見ながらそいつはさらに頭にくる返答をする。
「これは違いますゥ~私の実力ですゥ~あんたがバカなだけですゥ~」
「お前ぇぇぇ」
俺は拳を握り締める。
沙枝が男子ならば絶対に殴っていたところだ。
ここで怒っていても仕方ないので、俺は怒りをため息にしてはきだす。
「いいなあ、お前はそういう能力があって。…俺も欲しいよ、そんな便利な…」
「そんなことないよ!!」
沙枝がいきなり立ち上がって、声を荒げた。
俺はびっくりして思わず、うつむいた沙枝を見上げた。
「私は確かに未来が『見える』けど…」
沙枝の拳に入る力が強くなる。
「『見える』だけで、未来を変えられるわけじゃない…」
俺はただ一言、「ごめん」と謝ることしかできなかった。地雷を踏んでしまったか。
沙枝はそんな俺に「アキが謝ることないよ」と笑ってくれた。
「やーっほー!沙枝、どうだった?テストはっ!」
いきなり横から、女子生徒が飛び込んできた。
何だ、コイツ。
見慣れない…いや、校内で今まで何度か見かけたことがある程度だが、名前までは知らない女。
沙枝は「90点だよ」と優しくそいつの興奮をいさめた。
そいつは机に投げ出された俺の答案を見るなり、
「うっわ!何コイツ、12点とかヘッボ!ウケる~!!」
沙枝以上に腹の立つ女の登場だ。
こういう女とは仲良くなれそうにない。
「アキ、こいつは中村春香。私と部活一緒なんだよ」
沙枝は春香に俺のことを紹介すると、俺の前に仁王立ちした。何でだ。
「よろしく、12点クン」
「黙れ。お前は何点なんだ」
春香はフフンと不敵な笑みを浮かべると、バッと自分の答案を俺の顔面に突き出した。
「見よ!この光り輝く赤ペンの軌跡をッ!!」
俺の目に飛び込んできたのは、89に見える『赤ペンの軌跡』。
なんて奴だ。
付き合いきれないな。こいつらとは。
「沙枝には一点及ばなかったけど、まずまずでしょ?やっぱ沙枝は頭いいからね」
「予復習の賜物だよ。アキもそれくらい勉強すれば?」
「うるせぇ!」
と、俺の視界にもう一人、女子生徒の姿が入った。
天野唯。学年トップの成績を持つケタ違いの女だ。
「あいつは今回もトップか…」
「え、なになに、アキって唯みたいのがタイプなの?」
「バ、バカ!あんな地味でネクラな奴、俺の守備範囲外だっつーの!」
唯は必要以上に周りとコミュニケーションをとらない。
それこそ授業には休まずに参加するが、挙手することは決してない。
存在感もさほど感じたことはない。
身体が細く、何も喋らない姿は気が弱そうで引っ込み思案のようですらある。
唯がいじめに合わないのか不思議なくらいだ。
ふと、俺が唯に視線を戻すと、唯が見つめ返してきた。
何だよ。
俺に何か伝えたいことでもあるのか。
「……」
唯の口が動いた。
しかし、雑音にかき消され声は聞こえない。
あいにく俺は読唇術なんか習っちゃいない。
俺はわざとらしく首を傾げると、唯を視界から外した。
そうして、全ての授業と補習も終わり、帰り道。
部活動なんてもうとっくに引退した。
俺達は学校から我が家まで徒歩で登下校している。
テストの成績が悪かった俺と、同じく赤点スレスレの親友・谷崎悠也は、担任教師の補習を受けた。
が、その補習に何故か沙枝と春香が付き合ってきて、四人仲良く一緒に家路に着くこととなった。
真っ赤な夕焼けが眩しいほどに美しい。
というか眩しい。
前列に沙枝と春香が並んで喋っていて、男性陣は後ろでぼそぼそと他愛のない話をする。
「お前はいいよなぁ」
聞き覚えのあるフレーズで会話が始まった。
俺が沙枝に発して地雷を踏んだ台詞だ。
「何がだよ」
「ああいう奴と友達で、さ」
言いながら谷崎が、顎の先で沙枝を指す。
「まぁ、退屈はしないけどな…」
「ふふ、お前と親友でよかったよ」
「は?」
いきなり素っ頓狂なことを言い出す。
これが青春ドラマのラストシーンでもあれば、絵になる台詞なんだろうが、今はそんな状況でもなんでもない。
「俺のこんなすぐ近くに非日常を生きる人間がいたなんて、俺はなんて幸運なんだ!…ってコト」
谷崎はミュージカルのように大げさに両腕を振ってみせた。
俺はせいぜい両腕を避けながらため息をつく。本日何回目か、誰かカウントしてくれ。
「あいつには興味が尽きないわ」
「このオカルトオタクが」
俺の精一杯のイヤミを、谷崎はかるくかわして身を乗り出す。
「でもさ、お前だって気になるだろ?なんで沙枝ちゃんにあんな能力があるのか」
「…気にならなくはないけど、気にしたところでどうにもならないだろ。『見える』んだから仕方がない、とかなんとか言ってたし」
「そこをなんとか解明すんのが楽しいんだろ!!ロマンの欠片もない奴だな」
「なくて結構」
すると谷崎は突然ぽんと手を叩いて名案だとでも言うように目を輝かせた。
「そうだ!今年の夏休みの自由研究。沙枝ちゃんっていうのはどう?」
「お前なぁ…」
「一昨年が交霊実験、去年がオーパーツ研究、そして今年は未来予知能力の大研究!いい流れだ」
谷崎のキラキラは止まらない。
俺はあえて冷めた態度をとる。
ここで無理にテンションを合わせようものなら、本当に沙枝を自由研究ってことになりかねない。
「俺、パス」
「えー、面白そうなのにな。アキちゃんノリ悪い~」
オカマのように身をクネクネさせる谷崎。
この状態を一言で表すなら…
「きしょい」
「うえー」
「そんな下らない事考えてる暇があるなら、勉強しろ。工業高校行くのだって試験が必要なんだぞ」
そう言ってふっと谷崎のほうを見ると、すっかり肩を落としていたかに見えたそいつが、勘ぐるようにこっちを覗き込んできた。
「そんなに沙枝ちゃんを俺に研究させるの嫌なの?…もしかしてアキって沙枝ちゃんのことが…」
「それはない!」
俺は谷崎の頭をポカリと小突いた。
しかし、全然気にならないというわけではない。
そういえば俺は、沙枝に『見える』理由を聞いたことがなかった。
というか、聞いても適当にごまかされ、教えてくれなかった。
その上、中学入学と同時に引っ越してきたとかで、誰もそれ以前の沙枝を知らない。
知りたかった。沙枝のことが。
やはり夕日が眩しい。
【続く】
2に続きます。