第1章 世界平和への第一歩は、漆黒の巨腕から
少年ユーミンは、もつれる足を必死に動かしていた。
深い森の中を、ただがむしゃらに逃げ回る。
「……っ、走って! ユーミン、後ろを向いちゃダメ!」
繋いだシスター・ステラの手を離さないよう、必死に縋る。
喉を焼くような呼吸を繰り返した。
背後からは、獲物を追い詰める飢えた獣の遠吠え。
地を這いずる気味の悪い音が、じわじわと二人の背中に迫る。
振り返る余裕などない。
聞こえるのは、湿った土を無数に踏み荒らす足音。
そして、鼻をつく魔物の――腐敗臭だった。
「はぁ、はぁ……っ!」
肺を焼くような苦しさに耐え、木の根を跳ね除けようとした――その瞬間。
ユーミンの足が、虚空を掴んだ。
無残にも転倒し、地面に這いつくばる。
「ユーミン! 大丈夫!?」
駆け寄ったステラが、少年の足元を見て息を呑んだ。
「ステラ先生……っ、足が、足が……」
足首をひどく挫き、擦りむいた箇所から血が滲んでいる。
もはや立ち上がることも、一歩を踏み出すことも叶わない。
「大丈夫よ、私がついているわ!」
ステラは迷わずユーミンを抱きかかえる。
細い肩に少年の命を感じながら、泥にまみれて再び走り出した。
ようやく見つけた巨大な岩の裂け目へ、転がり込むように身を隠す。
「……先生……っ、こわい、こわいよぉ……」
「大丈夫……。女神様が見守ってくださっているわ……」
しかし、その願いを嘲笑うかのように。
岩の真上から、別の異形が粘つく涎を垂らして覗き込んでいた。
死の爪が、二人の喉元を切り裂こうと振り上げられた――その時。
不可解な突風が渦を巻き、視界を激しく遮った。
直後。森の静寂を打ち砕いたのは、あまりに暴力的な破壊の音だった。
「――ドドォォォォンッ!!」
重機で叩きつけたような、あるいは大口径の銃で撃ち抜いたような。
空気を震わせる轟音。
「…………え?」
ユーミンがおそるおそる目を開ける。
そこにあったのは、自分を追い詰めていた魔物の――無残な成れの果て。
一体は頭部を粉砕され、もはや物言わぬ肉塊へと変わり果てていた。
もう一体は、鋭利な刃物のようなもので、ズタズタに切り刻まれている。
魔物の身体は、すぐに崩壊し塵へと還っていく。
硝煙の匂いが立ち込め、舞い散る草木の向こうから二つの人影が歩み寄る。
一人は、白金色の髪を揺らす美しいエルフ。
そしてもう一人は、清廉な雰囲気を纏った修道服の少女だった。
「大丈夫? 怪我はない?」
修道士の少女は、慈愛に満ちた微笑みを浮かべて覗き込んできた。
だが。その右手には、聖職者にはおよそ似つかわしくない。
銀色の鈍器と見紛うほどの、重厚なリボルバーが握られていた。
「う、……う、あ……っ」
ユーミンは声にならなかった。
ただ、溢れ出す涙を拭うこともできず、震える肩を抱きしめる。
「ちょっと……。そんな物そばで見せてたら、怖がらせちゃうわ」
隣に立つエルフの女性が、呆れたように少女の肩を叩いた。
「あ……。ご、ごめん。つい、反射的に……」
少女は慌ててリボルバーを下げた。
流れるような手つきでシリンダーを戻すと、腰のホルスターへ収める。
ガチャン、と重たい金属音。
「もう大丈夫。……怖かったね」
そっと差し伸べられた白く柔らかな手が、ユーミンの頭を優しく撫でる。
温かな手のひらが、少年の凍りついていた心をゆっくりと溶かしていった。
「私は、修道士の梨愛です。こちらがフィリス。危なかったですね」
ふわりと微笑み、梨愛は軽く自己紹介をした。
ステラは震える手で襟元を正すと、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます……! 私は近くの孤児院を営んでいるステラと申します。こっちはユーミン……。お二人がいらっしゃらなければ、私たちは……っ」
必死に涙を堪え、ステラは心からの感謝を口にする。
だが。微笑む梨愛の視線は、すでに別の方向を向いていた。
「フィリス。……まだ、残ってるよね?」
梨愛の言葉に、フィリスは短く息を吐く。
「ええ、そうね梨愛。お礼を聞くのは、この『掃除』が終わってからにしましょうか」
「えっ?」
ステラが驚愕の声を上げる。
その直後。森の奥から、さらなる魔物の咆哮が響き渡り、無数の紅い瞳が闇を裂いて浮かび上がった。
「……群れで行動する魔物。イービルウルフね」
フィリスが低く、冷徹な声で呟く。
仲間の死を悟った狼たちは、牙を剥き出しにし、狂気じみた殺気を放っている。
「グルゥゥゥ……ッ!」
一体、また一体と、影の中から巨大な体躯が姿を現した。
「すごい数……っ。先生、逃げなきゃ……!」
ユーミンがステラの服の裾を、震える手で掴んだ。
突如、イービルウルフの群れのさらに後方。
木々の隙間から、禍々しく拍動する「赤き魔法陣」が浮かび上がった。
「……っ!?」
ステラが息を呑む。
魔法陣の中心から、泥のように這い出してきたのは、数体の「人の形」をした影。
だが、それは決して人間などではなかった。
不自然なほど透き通った白い肌。
獲物を呪い殺さんとするような、昏い赤色の瞳。
そして、その頭部には――忌まわしき悪魔のような「巻き角」が生えている。
彼らこそが、人間の負の感情を糧として現れる、この世界の異形。
「やっぱり……。冥族が、今回も犯人だったわね」
冥族。
人間の負の感情を糧とし出現し、世界を乱す存在。
絶望、憎悪、悲しみ。それらを喰らって顕現する「負の化身」。
彼らの出現とともに、森の空気は一気に氷のように冷え切った。
イービルウルフたちが、主を畏怖するように道を開けていく。
「まぁ……そうだとおもったけど……」
恐怖に震える親子のような二人を背に梨愛とフィリスは、一歩も引くことなくその「死の群れ」へと歩み寄る。
冥族の一人が、二人へ問う。
「人間とエルフ、なぜ我らの邪魔をする」
「たまたまよ……たまたまこの場に鉢合わせ、襲われている二人を助けた。それだけのことよ」
フィリスが冷たく言い放つ。
「そうか……ではたまたま我らに殺されても文句はあるまいな」
「殺せるのなら……ね」
「減らず口を……」
梨愛は再び白銀のリボルバーを構え、迷いなく銃口を先頭の個体へ向けた。
隣では、フィリスがその白く細い手のひらに眩い光を収束させる。
光が弾け、彼女の手の中に一本の「白銀のタクト」が出現した。
「さあ、行くわよ。梨愛……」
フィリスが掛け合いをしようとした、その瞬間。
「――ドドォォォォンッ!!」
隣で鼓膜を震わせる轟音が響き渡った。
呼び掛けを待たず、梨愛が即座にイービルウルフを打ち抜いたのだ。
「……」
フィリスは言葉を失い、タクトを構えたまま固まる。
梨愛は「えっ? なに?」ときょとんとした顔を見せた。
「……なんでもないわ」
「なによ……」
「……こういう時は……はぁ……バディとして何かやりとりがあるじゃない?」
フィリスが恨みがましく言うと、梨愛はあっさりと首を振った。
「えー……いいよ、そういうの」
言いながら梨愛はまた引き金を引き、さらに一体の魔物を葬る。
「もう……この子ったら……」
フィリスが呆れたように吐息をつく。
だが、その容赦のない発砲が、さらに群れを刺激した。
「ガァァァァァッ!!」
遠吠えが重なり、イービルウルフが一斉に二人へと躍りかかる。
「――ドドォォォォンッ!!」
梨愛の放った弾丸が、空中で狼の頭部を「消失」させた。
跳ね上がる重厚な銃身を、梨愛は祈るような所作で押さえ込む。
そのまま、流れるような動作で次弾を叩き込んだ。
一方で、フィリスも溜息を吐きながらタクトを振るう。
指揮者が旋律を描くように、空中に光の軌跡が走った。
「――『ヴィント・レリーフ(風の安らぎ)』」
フィリスが魔法名を口ずさむと、戦場に優しい風が吹く。
その直後。横から飛びかかろうとした二体の狼が、声もなく一瞬で四散し、塵へと還っていく。
目に見えぬほど鋭利な複数の風の刃。
それが、次々と奥の狼を刻んでいく。
重い銃声と、空気を切り裂く魔法の高音。
森の静寂は、聖職者とエルフによる「死の演奏会」によって、完全に塗り替えられた。
「……あ……あぁ……」
ステラは、ただ座り込んだままその光景を仰ぎ見る。
自分たちを死の淵まで追い詰めた群れが。
羽虫のように、いとも容易く、一方的に蹂躙されていく。
「…………すごい」
ユーミンの瞳に、救世主を見つめるような光が宿る。
だが。群れの数は、まだ尽きてはいなかった。
「……きりがないね」
梨愛が呟き、引き金を引く。
――ガキンッ!
乾いた金属音が虚しく響いた。
「あっ! フィリス、弾切れ」
梨愛がリボルバーのシリンダーをスイングアウトさせ、熱を持った空薬莢を地面にぶちまける。
「もう……いつもカウントしながら撃ってって言ってるじゃない」
呆れるフィリスを余所に、梨愛は手のひらに小さな魔法陣を描いた。
そこから、予備の弾丸が詰まった「スピードローダー」を実体化させ、手慣れた動作で装填する。
「ごめんって……。私、この世界に来てまだ数か月だし……」
「言い訳ね」
二人の一瞬の隙――。
それを見逃さず、冥族たちが一斉に詠唱を開始した。
禍々しい魔弾と、負の魔力で形成された刃が、雨あられと二人へ降り注ぐ。
「梨愛、下がって」
「う、うん」
フィリスが梨愛の前に進み出ると、銀のタクトを自身の胸元に掲げた。
「――『ブリーゼ・ベール(そよ風の衣)』」
彼女の身体を柔らかな風が纏い、白金色の髪が優雅になびいた。
放たれた数多の魔弾は、フィリスに触れる直前でピタリと停止し、あらゆる方向へと無造作に弾き飛ばされた。
魔弾が連射されるが、フィリスの「衣」を突破することは叶わない。
さらに、冥族たちが召喚して投げつけてきた刃物が「衣」に触れた瞬間、チェンソーのような激しい風の唸り音を立てて木っ端微塵に切り刻まれる。
「なっ……! なんだ、あれは?」
戦慄する冥族たちの隙を突き、装填を終えた梨愛は一切の躊躇なく、襲い来る魔物と冥族を次々と撃も抜いていく。
フィリスが鉄壁の守りで敵を翻弄し、梨愛が致命の一撃を叩き込む。
それが二人の、いつもの連携パターンでもあった。
フィリスが白銀のタクトを軽く一振りし、周囲の気配を断つ。
冥族と森を埋め尽くしていたイービルウルフの紅い瞳は、すでに一つとして残っていない。
「これで、全部だわ」
「――ふぅ。終わったね」
梨愛がリボルバーをホルスターに収め、軽く伸びをする。
ドロドロとした魔物の死骸が塵へと還り、森には元の静寂が戻った――はずだった。
「――キャァァァァァッ!!」
直後。背後の岩の裂け目から、ステラの鋭い悲鳴が響き渡った。
「「……っ!?」」
梨愛とフィリスが弾かれたように振り返る。
そこには、一体の冥族が、ステラの首筋に鋭い爪を立てていた。
戦闘の混乱に乗じて、裏手から回り込んでいた個体がいたらしい。
「動くな 」
ステラは恐怖に顔を強張らせ、声も出せない状態で引きずられている。
「貴様らの力は見た……。このシスターを殺されたくなければ、指示に従ってもらおう。タクトと武器を手放せ」
勝ちを確信した冥族は、ステラの細い首をさらに強く締め上げた。
緊迫した場面。だが、対峙する二人の反応は、冥族の期待とは大きくかけ離れていた。
「……ねぇ、フィリス。どうする?」
梨愛が、まるで「今日の夕飯は何にする?」とでも聞くような軽さで問いかけた。
「……はぁ。冥族って、なんでいつもこうなのよ……嫌になるわ」
フィリスは心底呆れたように吐き捨てる。
「本当。学習能力がないというか、知恵が足りないというか……」
梨愛もまた、深くため息をつき、リボルバーを握る力を抜いた。
自分たちが圧倒的な窮地に立たされていると信じて疑わない冥族を、二人は憐れみさえ含んだ目で見つめる。
「仕方ないわね。……とりあえず指示に従うわよ」
フィリスがそう言うと、あっさりとタクトを光の粒子へ戻して消し去った。
梨愛もまた、手にあるリボルバーを無造作に冥族の足元へと放り投げる。
「ほら、言われた通りにしたわよ。……それで、次は何?」
武器を捨てたはずの二人の顔には、微塵の焦りも浮かんでいなかった。
「これだから人間は愚かだ、死ね」
勝ちを確信した冥族が、その醜い手のひらを二人へ向けた。
放たれた数多の魔弾が唸りを上げて着弾し、激しい爆発と共に土埃が舞い上がる。
「ああ……! お二人とも!」
ステラの悲鳴が響く。
だが、もうもうと立ち込める煙が晴れた時、そこには無傷のまま、退屈そうに佇む二人の姿があった。
「なっ……!? なぜだ、直撃したはずだ」
冥族が動揺し、狂ったように魔弾を連射する。
だが、それらは二人の数センチ手前で、まるで見えない壁に衝突したかのように火花を散らして弾け飛んだ。
「貴様、さっきの風魔法か」
「いいえ、私は何もしてないわ?」
フィリスが静かに答え、両腕を上げて手のひらを見せる。魔力の行使はない。
冥族の視線が梨愛へと向けられた。
「貴様か! 貴様が何か細工を……!」
「私も、今は何もしてないよ」
梨愛も同じように手を上げるが、魔法の兆候すら見当たらない。
焦れた冥族は、今度は無数の刃物を空中に具現化させ、豪雨のように浴びせかけた。
だが、キン、キンと硬質な音を立てて刃はすべて弾き飛ばされる。
「なんだ……何が起きている?」
「ねぇ梨愛、いい加減見せてあげましょ? なんか可哀そうだわ……」
フィリスが横から茶化すように言うと、梨愛は心底嫌そうな顔をした。
「……嫌だよ。意外と疲れるんだよ?これ。あと冥族の間で変な噂になったら嫌……」
「でもこのままだよ、ずっと何か飛ばしてきそうよ?」
冥族は別の魔法陣を出現させ、何か詠唱を口遊んでいた。
「はぁ……」
梨愛が重い溜息をつくと同時に、彼女の背後の空間に、禍々しくも神々しい漆黒の幾何学模様――『魔法陣』が展開された。
「なっ…… なぜだ! なぜ人間が、その魔法を使える…」
冥族が絶叫する。
それは、冥族の中でも選ばれた高位の者にしか許されない、禁忌の召喚闇魔法。
魔法陣からは、巨大な獣の如き鋭い爪を備えた、漆黒の武装した片腕が召喚されていた。
「えっ? ……知らない。むしろ私が逆に教えて欲しい」
梨愛が困惑したように、だが冷ややかに答える。
「それは冥族の王族に連なる者のみが扱える高位魔法だ。 なぜ貴様のような小娘が…」
梨愛とフィリスがお互いの顔を見合わせると、冥族が気づいたように口に出す。
「そうか…我が王を打ち破ったのか貴様らか…」
「そこまでよ…梨愛」
「はいはい…」
梨愛は自身の右腕を大きく振り上げた。
背後に浮かぶ漆黒の巨腕が、主の動作と完全に連動して空を裂く。
「しまっ……!」
梨愛が腕を振り下ろした瞬間、漆黒の爪が冥族を捉えた。
爪には闇魔法の極致『常闇』が付与されており、触れたそばから冥族の肉体は防護魔法ごと容易く抉り取られていった。
ステラを拘束していた腕は一瞬で消失し、冥族の体は塵ひとつ残さず消し飛んだ。
「……ふぅ」
梨愛が息を吐くと同時に、背後の空間を埋め尽くしていた漆黒の巨腕と魔法陣は、霧が晴れるように静かに消えていった。
後に残されたのは、冥族が塵となって消え、無残に抉り取られた地面だけだ。
梨愛は足元に転がっていた銀色のリボルバーを、よっこらしょ、と腰を落として拾い上げた。
衣服についた土をパッパと払い、手慣れた動作でホルスターに収める。
「ステラさん。……怪我はない? 大丈夫?」
梨愛は、まるで転んだ子供に声をかけるような、慈愛に満ちた柔らかな微笑みを浮かべて駆け寄った。
「あ……、あ……」
ステラは、腰を抜かしたまま震える声で呟く。
今、目の前で微笑んでいる少女。その背後に、かつて世界を絶望の淵へと叩き落とした、あの『冥族の王』と同じ漆黒の影を見た。
禍々しく、絶対的な、禁忌の力。
目の前のシスターは、あろうことか「それ」と全く同じ魔法を、呼吸をするように振るってみせたのだ。
脳裏をよぎる、数か月前に世界を駆け巡った驚天動地の噂。
ステラは縋り付くような瞳で、二人を見上げた。
「……もしかして、貴方方が……。あの『冥族の王』を討伐した一行だったのですか……?」
その問いに、梨愛とフィリスは顔を見合わせた。
二人は言葉を交わすことも、否定することも、肯定することもしなかった。
ただ、悪戯が見つかってしまった子供のように。
フィリスは可笑しそうに口角を上げ、梨愛は少しだけ困ったように――。
けれど、どこまでも晴れやかで屈託のない笑顔を、ステラへと返した。
梨愛が差し伸べられた柔らかな手が、ステラの震える手をそっと握りしめる。
森の隙間から差し込む木漏れ日が、世界を救った二人の横顔を、ただ神々しく照らし出していた。
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