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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。

大女優の吸血鬼さんは婚約中

作者: せい
掲載日:2025/12/19

「カット!」

 カチン、と音がしてワンシーンが終わる。今この国……種族間の境界が曖昧になり始めたここで人気を博している大女優が、監督の声を受け物憂げに黒い髪を一房耳にかけ、溜息をついた。共演の俳優はもう慣れたもので彼女に「それじゃ」とだけ声をかけるとその場を離れる。ラブシーンの途中だったセットには恋煩いとしか言えない表情をした女優がひとり佇んでいる……というのが現場の人から聞いた話だったのだが。

 

「アラクネ」

 機材と人の影に隠れていた私が小さくそう呼ぶと、名を呼ばれた彼女はぱあっ、と音がつきそうなくらいの笑みを浮かべ、すぐにこちらに近づいてくる。この国じゃ誰もが羨むその真っ赤な瞳は私だけしか見ていないなんて、今や私じゃなくたってわかるらしい。

 

 私の名前を彼女はうっとりと口に出す。

「ああ!来てくれたのね!私の婚約者様。待っていたわ。ほんとうに寂しかった。あなたが今日ここに来てくれるのをずっとずっと待っていたのよ。ご飯は食べたかしら?おやつはいる?飲み物は?寒くはなあい?」

「だ、大丈夫だから……アラクネは今から休憩時間でしょ、ちゃんと休まなきゃ」

「愛する婚約者といることが、私にとって最上の休憩よ」


 私の、これはいいんですか?との意志を込めた目線を受けた監督は今撮ってるラブコメディ映画の登場人物のようなウインクをして去っていってしまった。

「大丈夫よ。ちゃあんと、戻る時間は聞いてるから。さあ、行きましょう。私も喉が乾いちゃった」

 そう言って彼女は私の腰に手を回し歩き出す。今回の「高飛車なお嬢様」を演じるために履いている10cmヒールが高く規則的な音を鳴らす。外では周りの視線が痛いが、この現場には私と彼女の関係をよく知っている人しかいない。一般人と大女優アラクネの婚約はそれこそ話題にはなったが、大半の人間たちの間では数ヶ月後にはああそんなこともあったね、程度の話になった。いつの世もそんなものだ。当事者以外は。


「顔が遠くて寂しいわ、後でこんなヒールは脱いじゃいましょ」

 私のうじうじとした内面とは違って、彼女の声はカラッと晴れているようにご機嫌だ。まあ、彼女は太陽の下には出られないのだけれど。


 マネージャーさんが「15分後に来ます」と言ってから、彼女はヒールを脱ぎ、綺麗に揃えて端に置いた。控室の扉は閉ざされてふたりきり。

 私は彼女のそういう所が好きだった。自分の好きなように生きているように見えてとても繊細で、小さな気遣いも上品さも無くさないところ。もうひとつ、彼女の好きなところ。それはもちろん、私のことを誰よりも愛していること。

マネージャーさんによると100年前にデビューしてから彼女は変わらないという。世界初の吸血鬼の女優。それがアラクネ。永遠に変わらぬ美貌に、いや、それ以上にどんな役でもそつなくこなす彼女は華々しいデビューという訳ではなかったそうだが少しづつ、しかし確実に人気を獲得していった、らしい。人間の20代の女、という私からすると数百年生きてきた彼女の人生は夢物語に近いけれど。


「お疲れ様、喉乾いたんでしょ。私の血、飲む?」

「ありがと」

 差し出した左手の薬指に光る指輪が、会話の遠慮のなさを象徴している。そりゃあもう、色々なことがあった。性別は……この国ではもはや問題のないものとして、吸血鬼の恋人になるとはどういうことか、人の体を害することでしか生きられない彼女たちをどう受け止めるか、恋人になる前に散々話し合って、喧嘩して、ようやく私たちはここまで来た。


 異種族間の婚姻はようやく数が増えてきたが、まだまだ問題も世間の目もある。種族にもよるのだ、人間に無害の精霊みたいな種族なら婚姻は簡単に認められるし、恐れられてきた存在との婚姻は難航する。簡単に認めてしまっては人とその他との境界が曖昧になるとか何とか、繁殖しすぎた人間たちの主張だ。愛があれば、とも思うが彼女も私もこの国で仕事を貰って生きる以上、無視は出来なかった。


「……はい、ご馳走様。気分はどう?くらくらしない?」

「問題なし、大丈夫だよ」

 ぷつりと手首にふたつの穴が空く感覚にはもう慣れた。血を吸ったら傷口の消毒。貧血になってないかの確認。私たちがパートナーであり続けるための大切な儀式のようなものだ。


 吸血が終わったあとは彼女のメイク直しを眺めながら雑談をする。私はしばらく故郷に帰っていたため、この時間は久しぶりだった。彼女との婚約にあたり必要な手続きとか、家族に結婚式の詳細を伝えたりだとか。そっけない書類を片付けてようやくこれた恋人の隣は、この世のどんなところよりも暖かい。香水の甘い香り。ファンデーションを直してルースパウダーの粉が舞って、彼女の青白い肌がほんの少しだけ私に少し近づく。


「……映画、面白いの出来そう?」

「ええ!あの監督さん作品に出るのはもう15回目くらいかしら……あの人も長命を持つ種族だから色々と挑戦しているみたいで、私も出ていて楽しいわ。ラブコメディはまだ数回しか経験がないから」

「そうだよね、珍しい役だなって思ってた」

 これまでの彼女の役は悪役とか、主人公の恋敵とか、そういったものが多かった。彼女が持つ冷たく張り詰めたような美しさがそうさせるのだ。けれども吸血鬼である以上あまり見た目に変化がないために、最近ではそれ以外の役も多くなってきた。女優としての彼女はこれからそうして生き続けていく。――私は?


「……ねえ、私が死んじゃったらどうするの?」

 2人が行き着く先について、確かに話し合ったことはあるがそれは聞いてみたことがなかった。私が吸血鬼になることはできない。人間の吸血鬼化、生存確率60%。それが選べない理由の全てだ。

「結婚式がすぐそこなのに、そんな意地悪なことを言うのね」

「……うん、でも知りたい」

 私が臆病で優柔不断なのもわかっていて彼女は軽く返してくれる。軽いけれど私の目をちゃんと見て言葉を返す。その言葉ひとつひとつには彼女の数百年が込められているのを、私はいつも感じ取っている。


「あなたが死んでしまってもどうもしないわ。私は変わらず生きていく、あなたの死体には触らない。……あなたの命ですもの、あなたの意志を尊重するわ。寂しいのは、本当だけれどね」

 頬に添えられた指の、お揃いの指輪が冷たかった。いつか終わること。私と彼女の命、それでも私はあの日出会ったことを後悔はしていない。もちろん、彼女も。

「けれどね、あなたが死んじゃったら許して欲しいことがあるの。どうか聞いて」


 彼女の懇願はいつかにも聞いたことがある。あなたを愛してごめんなさいという言葉も、その赤い唇から聞いたことがある。雪の日だった。彼女の肌と同じくらいの白い地面にに赤い血が飛び散った日。あの日私たちはお互いの違いの全てに恐怖し、それでも切り離せない感情を見つめた。映画のワンシーンにしてもいいくらい。最近の私ならようやくそう思える。きっと今のこの国の隅では、そうした恋人たちが今日も、互いの違いを見つめている。いつか乗り越え結ばれる日を夢見ながら。

 

「……あなたが死んだらね、私の左手の薬指は、切り落とすわ」

 アラクネはそう言った。赤い瞳は揺らめくような炎に見え、それは私にも伝わった。エゴだと我儘だと彼女自身もわかっていて、それでも私はその要求を飲み込む。

「……それは、やってもいいよ。ううん、絶対やってね」

 彼女の手を包み込むように自分の手を重ねる。無機質な控室の中で小さな金属音がするのが確かに聞こえて、すぐに外のざわめきに消えていった。

 マネージャーが扉をノックする音がして、セットに戻らなくてはいけない時間だった。彼女が少しむくれた顔をするので、私はその頬を指でつつこうとして……やめた。メイク直ししたばかりだったから。それに彼女も気がついてふたりでくすくすと笑った。大女優の吸血鬼。けれども私にとっては、ただの大切な婚約者。

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