第6話:進路、未踏の地へ
船長室には、ミリアリアさん、フェイさん、オーグさん、そして私──アニーの四人が集まっていた。
飛空艇の最先端に位置するその部屋は、天井も壁も床もすべてが透明な魔法強化ガラスでできており、まるで空そのものに抱かれているようだった。
足元には雲の海がたゆたい、遥か彼方には山々の稜線が淡く霞んでいる。
風の音すら届かない静寂の中、ただ空の青と白が流れていく。
地上から切り離されたこの浮遊の空間に立っていると、自分の存在がふわりと宙に溶けていくような、そんな不思議な感覚に包まれた。
「落ち着かないかね?」
私の内心を見透かしたように、ミリアリアさんが穏やかに声をかけてきた。
彼女の声は低く、どこか時の重みを感じさせる響きを持っていたが、その中には包み込むような温もりがあった。
まるで、長い旅の果てに出会った安らぎの灯火のように。
「え、えっと、そ、その……」
言葉が喉の奥で絡まり、うまく出てこない。
視線を上げることもできず、私はもじもじと足元を見つめた。
「どうしたの?アニー?」
フェイさんの声が優しく響く。
けれど、その声にすら緊張してしまう。
私は勇気を振り絞って、ようやく口を開いた。
「え、えっと、な、なん、なんだか……鳥になった気分です」
その瞬間、部屋の空気が一変した。
「なんだそりゃァ、チンチクリン」
ぶっきらぼうな声が空気を裂いた。
オーグさんだ。赤銅色の肌に隆々とした筋肉、鋭い眼光が私を射抜く。
まるで獲物を見据える猛獣のようで、思わず背筋が凍った。
「チ、チンチクリンって……言わないでください!」
精一杯の反論を口にしたが、声は震えていた。
「ああんッ!?文句あんのか、チンチクリン!」
オーグさんが肩を怒らせて一歩踏み出す。
圧倒的な体躯が迫ってきて、私は思わず後ずさった。
「オーグ、やめないか」
ミリアリアさんの一言が、まるで呪文のように空気を変えた。
彼女の声には、怒りも苛立ちもない。
ただ静かに、しかし絶対的な威圧を孕んでいた。
「……へい、姉御」
オーグさんは一瞬でしおれた。
あの巨体が小さく見えるほどに。
私は思わず口元を押さえて笑いを堪えた。
「さて、みんなに集まってもらったのは、今後の進路について話したかったからだ」
フェイさんが口を開いた。
漆黒の髪を無造作に束ね、深い闇を湛えた瞳が私たちを見渡す。
その視線は冷静で、どこか冷たさすら感じさせるが、不思議と安心感もあった。
彼の言葉には、常に確かな理と覚悟が宿っている。
「当初はクーベの街でアニーを降ろす予定だったが、彼女はこうして俺たちの仲間になった。だから、もうクーベに寄る必要はない。ここまではいいかな?」
私は小さく頷いた。オーグさんも無言で頷いている。
「うん。それで、次の目的地なんだけど……」
フェイさんが壁のボタンを押すと、部屋の中央に青白い光が集まり、やがて空中に魔法パネルが浮かび上がった。
そこには、まるで生きているかのように脈動する精緻な地図が映し出されていた。
「わぁ!魔法板!」
思わず声が漏れる。目を輝かせる私に、オーグさんが得意げに胸を張った。
「この飛空艇は特注だからなァ」
「すごいですね!」
「おうよォ!」
そのやり取りに、思わず口元が緩む。
けれど、フェイさんの咳払いが場を引き締めた。
「さて、次の目的地は、ここだ」
彼が指差した場所が、赤く染まる。
「えっ……」
その地名を目にした瞬間、心臓が跳ね、背筋に氷の針が走った。
あの名を、私は知っている。いや、冒険者を志す者なら誰もが知っている、恐怖と畏敬の象徴。
「ほ、本当に……い、行くんですか?」
声が震える。唇が乾き、手のひらにじっとりと汗が滲む。
「うむ。アニーには、まず我らの任務を伝えねばなるまい」
ミリアリアさんが静かに前へ出る。
その背中は、まるで嵐の中でも揺るがぬ帆柱のように、凛としていた。
「我らは現在、教会よりある依頼を受けている。その内容は──18年前、姿を現さなかった72体目の龍。その真実を解き明かすことだ」
「り、りゅ、りゅう……!?」
その言葉に、私は息を呑んだ。
胸の奥がざわめき、鼓動が耳の奥で鳴り響く。
18年前──私が生まれた年。神の怒りが地上に降り注ぐはずだった年。
だが、その年、龍は現れなかった。世界は静まり返り、人々はそれを「赦し」と受け取った。
けれど──
「……世界の奥深くで、それまで暴れていた龍が眠っていることは知っているな?」
「はひ!」
「うむ。教会は、72体目の龍もまた、どこかで眠っていると見ている。それが確認できれば、我らは赦されたのだと。そう判断できる。それが教会の見解だ」
ミリアリアさんが再び魔法板を指差すと、地図上の四か所が赤く染まった。
「その72体目の龍が眠っている可能性が高いのは、この4か所だ」
「……どれも、難度Sランクのフロンティア……」
赤く染まった地名を見て、私は息を呑んだ。
そこは、冒険者の間でも語り草となっている、命知らずの者しか足を踏み入れぬ地。
死と隣り合わせの、未知の領域。
フェイさんが最初に示したのは、「天使の零落」。
地中深くまで続く迷宮。
魔力が届かぬ深淵の闇。
誰も最深部に辿り着いたことがない、終わりなき奈落。
次に映し出されたのは、「月鏡の森」。月光に照らされる幻想の森。
だがその美しさの裏には、古龍級の魔獣フェンリルが潜む。
十八年前から現れたというその存在は、龍との因縁を感じさせた。
──フェンリル。
本で読んだことがある。
S級の中でも特に縄張り意識が強く、侵入者を仕留めるまで追跡をやめないとされる魔獣。
記録に残る生還者は、ほとんどいない。
知識として知っていることと、実際にそこへ向かうことは、まったく別の話だった。
三つ目は「神々の門」。
南の果て、大瀑布の向こうにあるとされる伝説の地。
誰もその実態を知らず、ただ「門」と呼ばれるその場所は、神の世界への入口と信じられている。
そして最後に──
私は思わず南の空を見やった。
遥か彼方、天へと伸びる一本の線が、かすかに視界に映る。
イカロスタワー。
天を目指した者が築いた、果てなき塔。
王国と教国が存在する西の大陸には、天を目指した者が築いたとされる塔がある。
その塔は未だ誰一人として頂上に辿り着いた者はいない。
神々の門と同様、その頂には神の世界へと通じる扉があるとも言われていた。
「……この4か所のうち、まずは“天使の零落”を我らで踏破する!」
「と、と、とう、踏破?」
思わず聞き返す私に、ミリアリアさんは満面の笑みで頷いた。
「ふふ、もちろん最下層まで、だ」




