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第118話:虚無の終わり、審判の始まり


 虚無の空間が音もなく崩れ落ち、そこに一筋の光が差し込んだ。

 まるで夢から覚めるように、私たちは飛空艇の甲板へと帰還していた。


 空は、あまりにも静かだった。

 戦いの爪痕など微塵も感じさせない、雲ひとつない蒼穹が広がっている。


 だが、その穏やかさがかえって不気味だった。

 まるで、すべてを呑み込んだ虚無が、何事もなかったかのように空を塗り替えたかのように。


 甲板に立つ仲間たちの顔には、安堵よりも緊張が色濃く残っていた。


 勝利の余韻に浸るには、あまりにも多くのものを見てしまった。


 沈黙が、風よりも重く、甲板を支配していた。


「……アニー。貴殿が英雄たる存在であることは認めよう」


 沈黙を破ったのは、サキュウスさんだった。

 その声は低く、まるで言葉を一つひとつ吟味するように慎重だった。


 かつては疑念を抱いていた彼が、今は敬意を込めて私を「英雄」と呼ぶ。


「その妖刀……七禍具の頂点、傲焔あざまるで相違ないな」


 私は、静かに傲焔の柄に手を添えた。

 その動きはまるで、眠る獣を撫でるように慎重で、どこか哀しげだった。


 鞘の中に潜む刃は、今は沈黙している。

 だが、その沈黙こそが逆に不気味だった。


「……七禍具?」


 サキュウスさんと私の間に、メグーちゃんが一歩踏み出す。

 その銀の瞳が、まっすぐにサキュウスさんを射抜いた。


「何よ、それ。お母さんとは関係ないわ」


「いや、間違いない。メグーちゃん、そこを退いてくれ」


「退かないわ」


 メグーちゃんの声は静かだったが、決して揺るがなかった。


「メグーさん!それにサキュウス卿!落ち着いてください!」


 ケビンさんが慌てて二人の間に立つ。

 その声は震えていたが、彼の足はしっかりと私の前に根を張っていた。


 サキュウスさんは一歩も退かない。

 その視線は、私の腰にある鞘へと注がれていた。


「魔王の亡骸から鍛えられたとの話があります。それが七禍具であり、魔王の残滓とも呼ばれる所以です」

「魔王の…残滓…」


 マリーさんの言葉にケビンさんは視線を私へと向ける。

 その言葉に、空気がさらに重くなる。

 マリーさんが静かに口を開いた。


「持ち主の心を蝕む、呪われた武具のはずです。しかし……」


 彼女の視線が私へと向けられる。

 そこには、傲焔を完全に制御しているように見える私の姿があった。


 まるで、刀が私を選び、従っているかのように。


 だが──


「……それでも、アニーさんが七禍具を手にした時……人格が変わるのは確かです」


「うむ」


 サキュウスさんが深く頷く。


「それは、わかる。けど……あ、あんまり、アニー様を刺激しない方が良いんじゃないかなー」


 ユリさんがいつもの調子で言うが、その額には冷や汗が滲んでいた。


「ユリ……そういえば、貴様、あの時、何を見たのだ?」

「え、えっと……それは……」


 ユリさんの視線が、私へと向かう。

 その瞬間、私の肩がビクリと震えた。


(知りたいような、知りたくないような)


「わ、私の口からは、とてもとても!」


 ユリさんの顔が青ざめ、サキュウスさんは眉をひそめる。

 その時だった。


「お取込み中のところ失礼するよ」


 低く、しかしよく通る声が場を割った。

 グラニアさんだった。


「む?」


「教会の飛空艇がこっちに来るよ!どうすんのさ?」


 その言葉に、甲板の空気が一変する。

 新たな緊張が、私たちの背筋を走った。


 そして、グラニアさんの言葉通り、すぐに雲間を裂くようにして、白銀の飛空艇が姿を現した。


 その船体は雪のように純白で、陽光を受けて柔らかく輝いている。

 まるで天から降りてきた神の使いのように、静かに、しかし威厳をもって空を滑っていた。


 船体の側面には、ひときわ目を引く紋章が刻まれている。

 それは、天より差し伸べられた手が、一輪の花を捧げる姿。


 その花は、まるで命の象徴のように繊細で、手は慈愛に満ちた曲線を描いていた。

 見る者の心に、畏敬と安堵を同時に呼び起こすその意匠は、教会の理念──救済と導き──を体現していた。


 飛空艇の船首には、祈りを捧げる天使像が据えられており、風を受けてその翼がわずかに震えている。


 甲板には白装束の聖騎士たちが整列し、整然とした動きで着艦の準備を進めていた。

 その様は、まるで儀式のように厳かで、空気そのものが張り詰めていく。


(何かが、始まろうとしている)


 静謐と荘厳が混ざり合うその姿に、胸には言い知れぬ緊張が走った。

 ただの訪問ではない。


(刀が私を選んだのではない。私が、選んだ)


 その感覚だけは──

 今も、ここにある。


 私は傲焔の柄をそっと握り直した。

 手のひらに、静かな熱が宿っていた。


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