表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
116/121

第116話:理の外の戦場


 飛空艇が黒雲の渦へと突入した、その瞬間だった。


 世界が──裏返った。


 耳をつんざくような轟音が消え、代わりに、低く鈍い振動が鼓膜を内側から叩く。

 それは音というより"圧"に近く、存在そのものが揺さぶられるような感覚だった。


 空も、地も、消えた。


 上下の感覚が曖昧になり、

 重力すらどこかへ置き去りにされたように、飛空艇は"何か"に浮かびながら、ただ漂っていた。


 その外に広がっていたのは──


 色のない空間。


 黒でも、白でもない。

 すべての色が混ざり合い、意味を失った"無"の世界。


 星もない。

 地平もない。

 空も、風も、時間すらも存在しない。


 ただ、果てしない虚無が広がっていた。


 それは、存在することすら許されない場所。

 世界の理から外れた、"裏側"としか呼べない領域。


(ここは……世界の、外?)


 身体の奥から、言いようのない恐怖が這い上がってくる。

 でも、足は震えながらも、踏みとどまっていた。


「……ここが、雲の"内側"……?」


 マリーさんの声はかすかに震えていた。

 だが、その声すらも、この空間ではどこか遠く、くぐもって聞こえる。


「空間が……ねじれてる。これは、現実じゃない……!」


 メグーちゃんが銀の瞳を細め、魔力の流れを探るように空間を見つめる。

 だが、そこにあるのは──理解不能な"歪み"だけだった。


「まるで……世界の裏側に迷い込んだみたいだね」


 ユリさんがぽつりと呟く。

 その声には、いつもの軽やかさはなかった。


 飛空艇の計器はすべて狂い、方位磁針は止まることなくぐるぐると回り続けている。


 重力の感覚は曖昧で、時間の流れすら不安定に感じられる。


「見てください……!」


 ケビンさんが震える指で指し示した先──

 虚無の中心に、それは"在った"。


 巨大な"眼"のようなもの。

 だが、明確な形を持たない。

 ただ赤黒い光の渦が、そこに存在しているだけだった。


 それでも、誰もが理解していた。


 ──見られている。


 逃れようのない視線。

 魂の奥底を覗き込まれ、過去も未来も、心の最も深い場所に隠した秘密すら暴かれるような、絶対的な存在のまなざし。


(オーグさん……あなたが、ここまで……)


 悲しみなのか、怒りなのか、自分でも分からない感情が胸に広がる。


「……オーグの思念体。あれが、奴の本質か」


 サキュウスさんが静かに剣を抜いた。


「……来るわ」


 メグーちゃんの声が低く響いた、その瞬間だった。


 虚無の中心から、黒い光が溢れ出した。

 それは形を持たぬまま、しかし確かな"殺意"を帯びて、まっすぐに私たちへと迫ってきていた。


 飛空艇の船体が低く軋んだ。


 だが、誰一人として退こうとはしなかった。


 赤黒い渦の中心から、何かが"滲み出す"ように姿を現す。

 形を持たぬはずの思念体が、ゆっくりと輪郭を帯びていく。


 それは龍のようでもあり、人のようでもあり──この世に存在してはならないものの形だった。

 誰もが本能で理解した。理の外にある、異質の存在だと。


「……構えろ!」


 サキュウスさんの声が鋭く響くと同時に、剣が抜かれる。

 だがその瞬間──空間がねじれた。


 思念体が動いたわけではない。

 それでも、彼の足元が突然"反転"し、重力が逆巻く。


 サキュウスさんの身体が宙に浮き、逆さまに引きずられる。


「ぐっ……! サキュウス卿!!」


 マリーさんが咄嗟に魔法陣を展開し、ねじれた空間に引きずられるサキュウスさんを強引に引き戻す。

 だが──その直後だった。


 彼女の杖が、"溶けた"。


「なっ……!」


 杖の先端が、音もなく崩れ落ちる。

 まるでそこに"存在していた"という事実そのものが否定されたかのように。


「これは……"概念の侵食"……!」


 マリーさんの顔が青ざめる。


「奴は、物理的な攻撃じゃない……存在そのものを、書き換えてくる!」


 サキュウスさんの言葉と同時に、思念体がゆっくりと手を広げる。

 その指先から放たれたのは、光でも炎でもなかった。


 ──"言葉"。


「消えろ」


 たった一言。


 だが、その瞬間、飛空艇の外殻の一部が、まるで最初から存在しなかったかのように消滅した。


「…ちょっと!…インチキ!!言葉だけで、現実を変えないでよ!!」


 ユリさんが叫ぶ。


 この空間では、言葉が"命令"となり、命令が"現実"を上書きする。


 それは、理の外にある力。

 世界の根幹を揺るがす、絶対の侵食だった。



 思念体が、再び動いた。


 今度は──空間そのものが"反転"した。


 上下も左右も意味を失い、仲間たちの身体はバラバラの方向へと引き裂かれそうになる。


「〈グラヴィティ・ノード〉!」


 マリーさんが叫び、魔法陣を展開する。

 だが──その魔法陣すら、思念体の視線ひとつで軋みを上げた。


「……これが、龍の"力"……!」


「この空間全体が、奴の領域……!」


 ここは、オーグさんの内面。

 彼の意志が支配する、理も常識も通じぬ世界。


「オーグさん……」


 私は静かに呟き、一歩、前へと踏み出した。


(終わりにしよう。あなたの苦しみを)


 その足取りは揺るぎなく、私の手にある傲焔が、空間の"無"を裂くように赤黒い光を放った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ