第106話:散る光
龍の咆哮が、空間そのものを引き裂いた。
赤黒い炎が天を駆け、地を穿つ。
暴走した龍は、もはや敵味方の区別すら持たず、ただ本能のままに破壊を撒き散らしていた。
「くっ……!」
サキュウスがディバイディングブレイバーを構え、迫る炎撃を斬り払う。
刃が空間を裂き、炎を断ち切ったかに見えた──だが、炎は空間を迂回し、背後から彼を襲う。まるで意志を持つかのように。
「──ッ!」
ゴルディオンアーマーが虹色の光を放ち、衝撃を和らげる。
だが、圧倒的な力の前にはそれすらも限界があった。
サキュウスの身体が吹き飛ばされ、岩壁に叩きつけられる。鎧が軋み、彼の口元から鮮血が滲んだ。
「サキュウス卿!」
マリーが駆け寄ろうとする。
だが、龍の尾が地を薙ぎ払うように振るわれ、衝撃波が彼女を襲う。
咄嗟に展開した光の障壁が砕け、彼女の身体が宙を舞った。
「ぐっ……!きゃっ!!」
地に叩きつけられたマリーの杖が転がり、聖白衣が土にまみれる。
彼女の意識が薄れ、視界が霞む。世界が遠ざかっていく。
だが、彼女の手は、まだ杖を探していた。意識の奥底で、まだ戦いを諦めていなかった。
「マリー……!」
ユリが叫び、影のように駆ける。向かう先はマリーだ。
だが、龍の咆哮が空間を震わせ、ユリの足元から黒い裂け目が走る。
地が裂け、虚無が口を開ける。バランスを崩したユリの身体が、裂け目に呑まれかけ──
「っの……!」
咄嗟に短剣を地に突き立て、なんとか踏みとどまる。
だが、次の瞬間、龍の眼光が彼女を捉えた。
赤黒い瞳が、彼女の存在を“敵”と認識する。
「……あ」
赤黒い閃光が放たれ、ユリの身体が吹き飛ぶ。
黒衣が裂け、額当てが砕け、彼女は地に伏した。
その身体からは、もう気配が感じられなかった。
「ユリさん!」
ケビンが駆け寄ろうとする。
だが、龍の翼が一閃し、突風が彼を襲う。
小柄な身体が宙に舞い、地面に叩きつけられる。
「う……あ……!」
ケビンは必死に立ち上がろうとするが、足が震え、力が入らない。
彼のスフィアが転がり、地に落ちた。
彼の心に広がるのは、無力感と悔しさ。
守りたいのに、守れない──その現実が、彼の胸を締めつける。
「ケビン!」
メグーが叫び、彼のもとへ駆け寄る。
だが、龍の爪が地を抉り、彼女の進路を塞ぐ。
咄嗟に跳躍し、かわそうとするも、空間が歪み、彼女の身体が弾き返された。
「くっ……!」
地に転がるメグーの銀の瞳が、かすかに揺れる。
彼女は歯を食いしばり、再び立ち上がろうとする。
だが──
「……!」
龍の咆哮が、彼女の意識を断ち切った。
音ではない。魂を揺さぶる、存在そのものの咆哮。
それに触れた瞬間、彼女の意識は闇に沈んだ。
五人の戦士たちが、次々と地に伏していく。
龍の力は圧倒的だ。
かつて、魔王を打ち倒した装備を身に着けた勇者を容易く倒し、この世の支配者たる風格を見せつけていた。
空は赤黒く染まり、世界が崩れ始めていた。
大地が裂け、空が歪み、魔力が暴風となって吹き荒れる。
そして──
その中心で、漆黒の龍が咆哮を上げた。
誰にも縛られず、誰の声も届かない。
ただ、破壊の本能だけを燃やし尽くすように、その咆哮は空を裂き、大地を震わせる。
それはまさに、支配者の威厳そのものだった。
理性も情もなく、ただ圧倒的な力の象徴として、世界に君臨する存在。
「圧倒的だ……素晴らしい!! 素晴らしいぞ、オーグ!!」
ミリアリアが両腕を広げ、歓喜に震える。
その瞳は陶酔に濡れ、目の前の光景に心を奪われていた。
サキュウスたちを一瞬で無力化したその力。
それは、彼女が求めてやまなかった“正義の鉄槌”そのものに思えた。
「その力があれば……女神をも滅することができるだろう!!」
だが──
「……」
ミリアリアの叫びに、龍がゆっくりと視線を向ける。
その瞳に宿るのは、冷たい無関心。
まるで、彼女の言葉など取るに足らぬ戯言だとでも言いたげに。
ミリアリアは知らなかった。
その龍に宿る魂が、どこまでも冷徹で、どこまでも狡猾であることを。
彼女の言葉──「女神を滅ぼす」などという企ては、龍にとってはただの方便。
ミリアリアを利用するための、都合の良い“餌”に過ぎなかった。
神の眷属たる龍に、女神へ牙を剥く意思など、最初から存在しない。
その本質は、より深く、より古く、より恐ろしいものだった。
「……まさか、オーグ!貴様!!」
何かを察したミリアリアが、声を荒げる。
その瞬間──
漆黒の龍が、喉奥に紅蓮の光を灯した。
空気が震え、熱が走る。
次の瞬間、龍の口から放たれようとするのは、すべてを焼き尽くす灼熱の炎。
その標的は──ミリアリア。
彼女が信じ、操っていたはずの存在が、今まさに、彼女を裏切ろうとしていた。
運命の歯車が、音を立てて狂い始める。
だが、そのとき──
微かに、空気が変わった。
風が止み、光が揺らぎ、世界の奥底から、何かが目覚めようとしていた。
それは、理を超えた存在の胎動。
神ですら触れ得ぬ、深淵の底から這い上がる“何か”。
そして、世界は知る。
この世の真の支配者たる存在は誰なのかと──。




