第101話:魂を喰らう龍、器を捨てし者
龍の幻影が咆哮と共にオーグの身体へと吸い込まれていく。
赤黒い光が奔流となってオーグの全身を包み込み、彼を中心に空間そのものが再構築されていく。
大地が呻き、空が軋む。
まるで世界が、彼という異物を拒絶しながらも、抗えずに受け入れようとしているようだった。
「来いよ……俺が取り込んでやる!!」
オーグの咆哮が天地を貫いた。もはやそれは人の声ではない。
獣の咆哮とも異なる、太古の災厄が目覚めたかのような、魂を震わせる音。
その声に、空気が震え、空が裂ける。
彼の背から突き出た骨の突起が脈動し、龍の魔力と共鳴するように震え、赤黒い稲妻が空間を引き裂いた。
雷鳴のような轟音が、耳をつんざく。
「……今、しかない」
「ケビン……!」
メグーの銀の瞳が大きく見開かれる。
普段は冷静な彼女の表情に、かすかな焦燥が浮かぶ。
彼女だけが知っていた。
ケビンの奥底に眠る、誰にも見せたくなかった“力”を。
彼の優しさの裏に隠された、恐るべき代償と覚悟を。
「……もう、やるしかない」
ケビンの声は震えていた。だが、その瞳には確かな決意が宿っていた。
恐怖に支配されそうになる心を必死に押しとどめ、無力さを噛み締めながらも、彼は立ち向かう。
小さな身体が震えながらも、彼の指先はまっすぐにオーグを指し示していた。
「はん!?無駄だぜェ!!お前ら如きの魔法なんざ!俺様には通じねェぞ!!」
「…僕には最後の手段があります!」
ケビンの声が、空気を切り裂くように響いた。
「〈供物変換・対象指定〉──“オーグ”」
その瞬間、世界が静止した。空気が凍りつき、音が消える。
ケビンの足元に展開された白銀の魔法陣が、神聖な光を放ちながら空間を満たしていく。
その光は、まるで天から降り注ぐ裁きの光。
見る者の心を震わせ、魂の奥底にまで届くような荘厳さを湛えていた。
「なっ……!?てめェにはサプライヤー権限はねェはずだァ!!」
オーグが咄嗟に後退ろうとするが、すでに遅い。
空間中の魔力がケビンの意志に従い、オーグの肉体を構成する要素を分解し始める。
赤い肌が粒子となって剥がれ、まるで砂のように崩れ落ち、光の渦へと吸い込まれていく。
「ふ、ふざけるァ!!!俺様をォ!!俺様をォッオオオォオオオオオオオォォォ!!!」
その叫びは、怒りと恐怖、そして敗北の色を帯びていた。
隆起した筋肉が崩れ、龍の骨のような突起が砕け、すべてが白銀の魔法陣の中心へと収束していく。
空間が震え、光が爆ぜる。
「オーグ!!」
ミリアリアの蒼い瞳が見開かれる。
普段は威風堂々とした彼女の顔に、驚愕と動揺が浮かぶ。
彼女が立ち上がり、ケビンを止めようとするが──
「……終わりです」
ケビンが、震える手で小さなアイテムスフィアを掲げた。
そこには、禍々しい赤黒い光を帯びた球体が浮かんでいた。
内部では、怒りと憎悪が渦巻くように蠢いている。
まるで、封じられた災厄そのものだった。
「ケビン!!貴様っ!!何をした!?」
「ミリアリア!!邪魔をしないで!!」
ミリアリアが駆け寄ろうとするのを、メグーが鋭い視線で制する。
そして、メグーはケビンの持つスフィアへ手を向ける。
その銀の瞳は、冷静さの奥に、確かな信念を宿していた。
オーグが封じ込められたであろうスフィアを人質にされたミリアリアは迂闊に動けず、その場に留まるしかない。
そして、背中越しに、ケビンへ問いかける。
「やった……の?」
「はい…っ」
ケビンは膝をつき、肩で荒く息を吐いた。
全身から力が抜け、今にも崩れ落ちそうな様子だ。
だが、その顔には、やり遂げた者の誇りが微かに浮かんでいた。
「…狙いは龍を乗っ取ることだったんですね。こんな回りくどい真似しなくても…」
眠っている龍を見つけた時に、さっさと乗り移ってしまえば良かったのではないか。
そんな素朴な疑問を抱いたケビン
「…いいえ、いくら龍とはいえ、肉体と魂が一致しなければ、その間に繋がりは持てないわ」
「繋がり?」
「…そう。他人の体を乗っ取るだなんてこと、龍でも簡単にはできないわ。そのためにフェイと私達が必要だったんでしょ」
「なるほど…それで、アニーさんのこと、何か知っていたんですね」
「そうね…そして、そうすることが、オーグとの契約だったのよね…ミリアリア」
メグーは視線をミリアリアへと向ける。彼女は無言のまま言葉を紡ぐことはないが、それはメグーの言葉を肯定しているように見えた。
そんな時だ。
「……ふん、やるじゃねェか」
空気が震えた。誰もが凍りつく。聞き覚えのある、あの声。
確かにアイテム化されたはずのオーグの声だった。
「な……!」
ケビンが顔を上げる。そこに立っていたのは、肉体を失い、半透明の影となったオーグ。
輪郭は煙のように揺らぎ、実体を持たぬその姿は、まるで悪夢の残滓。
だが、その金色の瞳だけは、なおも鋭く、憎悪と嘲笑を湛えて輝いていた。
「肉体は器にすぎねェ…魂までは届かなかったようだなァ」
オーグの幽体が、ゆらりと浮かび上がる。
風もないのに、彼の存在が空気を押しのけ、周囲の熱が一段と増した。
「お前のスキルは確かに強力だ。だがな、俺は“龍”だぜェ」
「っ……!」
ケビンが歯を食いしばる。アイテムスフィアの中で、オーグの肉体がなおも脈動している。
だが、そこに“意志”はない。
魂は、すでに抜け出していた。
「お前ら如きが…ここまで俺様を苛立たせたことは褒めてやらァ…だが、結末は変わらねェ」
オーグの視線が、赤き龍へと向けられる。
その瞳に宿るのは、確信と勝利の色。
次の瞬間、オーグの姿がパッと掻き消えた。
直後、空が裂けるような龍の咆哮が響き渡る。
71柱目の龍の身体に、72柱目の龍の魂が入り込み──
世界を滅ぼすに足る、完全なる“龍”が、今ここに復活を遂げた。




