第五話:壊れかけた祈り
ユリア・フォールンは、今日もまた聖女であろうとしていた。
王立庭園の温室で、彼女は薬草に水を与えていた。
朝露を帯びた指先、白い肌、無垢な表情。
一見すれば、どこにでもいる“美しい少女”。
けれど、わたくしには分かっていた。
その姿勢は不自然なまでに完璧で、作られすぎている。
あれは誰かが描いた“理想の聖女像”を、彼女が必死になぞっているにすぎない。
だから、話しかけた。
「最近、夜は眠れている?」
ユリアはわずかに驚いたように目を見開き、それからすぐに笑顔を貼り付けた。
「はい。おかげさまで……少し肌寒くなってきましたが」
わたくしは頷いた。
そして、言葉を選ぶようにしてから、もう一歩踏み込む。
「夢は見ない? ──たとえば、“別の世界の記憶”のようなものを」
その瞬間、彼女の動きが止まった。
葉の先に溜まった水滴が、ぽたりと落ちる。
ユリアは、ゆっくりと顔を上げた。
けれどその瞳には、驚きも、否定も浮かばなかった。
ただ、静かに、沈黙だけが流れていた。
わたくしは続けた。
「わたくし、少しだけ不思議なことを聞いたの。
“セーブ”とか、“バッドエンド”とか……この国にはない言葉を、あなたが夜に呟いていたと」
ユリアは何も言わなかった。
でも、目が揺れた。ほんのわずかに、けれど確かに。
──ああ、やはり。
わたくしの問いかけは、確かに届いた。
彼女は気づいている。この世界が、物語であることを。
そして、自らが“異邦の存在”であることを。
沈黙が痛いほどに続いた後、ユリアは小さく笑った。
けれどその笑みは、どこか哀しげで、壊れかけていた。
「……もし、それが本当だったら、クロエ様はどうなさるの?」
その声は、聖女のものではなかった。
演技を削ぎ落とした、素の声。
わたくしは答えなかった。
答えられなかった。
ただ一つ確かなのは、
この物語は、もう“予定通り”ではいられないということだけだった。