第一話:わたくしはまだ、終わっていない
目を覚ました瞬間、胸の奥で冷たいものがざわめいた。
カーテン越しの陽光が、まるで何も知らない顔で床を照らしている。
窓辺に置かれた紅茶の香り、朝の鳥の声、侍女たちの足音──
すべてが、あまりにも“昨日と同じ”だった。
おかしい、と最初に思ったのは、扉をノックしたエリーゼが告げた日付だった。
「本日は、第一王子殿下との舞踏会の衣装合わせがございます」
──ああ、そこか。
わたくしは思わず、喉の奥で笑いそうになった。
何の皮肉か知らないけれど、まさかこの“断罪劇”の、ちょうどひと月前からやり直すとは。
あの日、王宮の玉座の間で、群衆の前に引きずり出されたわたくしは、
神の使いだの、聖女だのと持ち上げられた一人の少女の前で、
“悪役令嬢”として処刑宣告を受けた。
──ユリア・フォールン。民に微笑み、王子に見初められ、神の声を聞く奇跡の少女。
わたくしの婚約者を、栄誉を、そして命を奪った、転生者。
……その顔を、わたくしは忘れていない。
記憶ははっきりとしている。
声も、視線も、あの時の温度さえも。
それらすべてを携えたまま、わたくしは今、同じ時間を生きている。
これは偶然ではない。夢でもない。
わたくしは、世界に拒絶されたはずだった。
ならば、これは神の慈悲ではなく──世界への復讐の機会だ。
「……面白いじゃない」
わたくしは鏡に映る自分に微笑んでみせた。
優雅に、淑やかに、気高く。
そして──完璧に、“悪役”を演じ切ってみせましょう。
彼女が現れたのは、その三日後のことだった。
陽光が差す謁見の間。
緋色の絨毯の上を、少女はまるで雪が降り積もるように静かに歩いていた。
白銀のドレス。肩までの長さの薄桃色の髪。うつむきがちの伏し目。
そして、どこか儚げな微笑み。
──ユリア・フォールン。
“運命の日”と同じ。いや、それ以上に、完成されていた。
全身から「聖女です」とでも言いたげな気配を放ち、彼女は王の前にひざまずいた。
「……この身に宿る声を、お聞き届けくださいませ」
柔らかく、震えるような声。
それを聞いた瞬間、宮廷内にざわめきが起きる。
「神託を受けた少女」──そう認識するのに、もはや根拠も証明も要らない。
クロエ・ヴァルメリアが婚約者として王子に隣立つ、その横で、
彼女は何も語らず、ただ“その場に存在しただけ”で空気を塗り替えていた。
わたくしは、口元に微笑みを貼り付けたまま、目を細める。
……変わらない。あのときと、まったく同じ。
場を支配する空気、注がれる視線、王子の目の動き──
どれも一言一句違わない台詞をなぞるかのようだった。
だけど、わたくしの内側だけが、まるで異物のように冷たい。
なぜならこの場面を、わたくしは“既に見ていた”。
そして、今やっと気づいた。
──この世界は“物語”だ。あの娘はその“ヒロイン”だ。
ならばわたくしは、悪役令嬢のままでいてやるものですか。
「……ようこそ、ユリア・フォールン嬢」
わたくしは立ち上がり、足音を響かせて彼女の前へ出た。
彼女の顔がわずかに上がる。
目が合う。あの目だ。あの時、わたくしを断罪した時と同じ目。
それでも、
わたくしは口元にやさしげな笑みを浮かべて、ゆっくりと頭を下げた。
「この国へ、神の祝福と共にいらしたのですね。
……あなたの導きが、王国にとって良き未来となることを願っておりますわ」
──ごっこ遊びは、始まったばかり。
わたくしは、あなたの真実を暴くまで、
何度でも“悪役令嬢”を演じてあげる。