お嬢様の執事でございますから
午前7時ちょうど。
4回のノックの後、失礼いたします、と、黒のモーニングコートを着こなした20代前半くらいの執事がやってくる。背筋はぴんと伸びており、その歩き方、その表情、その白い手袋に覆われた指先まで、全くと言っていいほど隙がない。
しわ一つない真紅のカーテンを静かに滑らせ、よく磨かれた窓の端で、金色のカーテンタッセルを使い、留める。
低く差し込む眩い光は、細かなレースが幾重にも重なってできた天蓋を物ともせず、ベッドで眠っているお嬢様の瞼の辺りに当たった。
僅かに顔をしかめた彼女を見逃さず、執事はいつものように声をかける。
「おはようございます、お嬢様」
しばらく待てど、何の反応も返ってこない。
(久々にお嬢様のワガママが始まりましたか)
目を閉じている彼女に気取られないよう、小さく笑みを浮かべた。
すぐに標準仕様の無表情へと切り替えて、ベッドサイドから一度離れ、アーリーモーニングティーの用意をする。
その間も、意識はもちろんお嬢様の方へと向けている。
起こしにこないのかと、薄く瞼を開けて執事の様子を伺っていること。拗ねたように、ほんの少し頬を膨らませていること。
たとえ目を瞑っていたとしても、執事には手に取るようにわかるのだ。
すっきりと目が覚めるような、芳醇で甘いミルクティーの香りが漂い始める。すると、お嬢様は慌てて体を起こし、こちらをじっと見つめた。
頃合いかと、ミルクティーをベッドサイドへ運び、改めて声をかける。
「おはようございます、お嬢様。ワガママはお済みになりましたか?」
小さく「……あ」と呟いたお嬢様は、やはり眠っているフリをしていたことを忘れていたらしい。執事からさっと顔を逸らし、雪のような小さな頬を膨らませた。
「……おはよう。ワガママなんかじゃないもん。ただ、執事はいつも無表情だから、他にどんな表情するのかなって気になっただけだもん」
「左様でございますか。しかし、お嬢様はもう16歳。お戯れは控えていただきませんと」
「わかってる。こんなことするの、執事の前だけだもん」
(確かにお嬢様は私と二人の時のみ、ワガママをされますね。他の時は、100人が見て100人が認めるお嬢様です)
左様でございますかと伝え、ミルクティーを差し出したら、小さくありがとうと聞こえた。
(拗ねているお顔も可愛らしいですが、お嬢様には笑顔が一番似合います。……それに、冷めないうちに召し上がっていただかなくては)
「完璧な仕事を行うのが、執事でございますからね」
笑顔になってほしい、そんな魂胆から執事は口癖のようになっているそれを伝える。
狙い通りなのか、お嬢様は数秒きょとんとした後、「いつもそればっかり」と苦笑して、ミルクティーを一口飲んだ。
そして、僅かに目を見開き、執事を真っ直ぐ見てにこりと笑う。
それは白いヒマワリの花のよう。お嬢様がお嬢様をしている時には見せない、その屈託のない笑顔は、執事にだけ向けられる。
「これ、やっぱりアッサムのミルクティーだよね」
「はい、その通りでございます。お嬢様が好んでいらしたので、ご用意いたしました」
「……ふふ、よく気づいたね? 好き嫌いは誰にも悟られないようにしてたんだけどな」
(アッサムのミルクティーをお飲みになる時、ほんの少しだけ柔らかな表情をされますから。確信に至ったのは、先日同じものをご用意した時でしたがね)
嬉しそうに、どこか照れたように笑うお嬢様へ、執事はいつもより柔らかい声で言った。
「お嬢様の執事でございますから」
その一瞬、執事が小さく笑みを浮かべたことは、再度、僅かに目を見開くこととなったお嬢様だけが知っている。