夜に出会う
宗一が家へのショートカットになる公園の中央部に差し掛かったとき、ふと公園内の数少ない電灯の下に誰かが佇んでいるのを見つけた。珍しいことである。
普段なら気にならないであろうが、その人物の服装は宗一が通っている高校の制服であったので、思わず宗一はジッと見つめてしまう。
暗いとはいえ電灯の足元だ、目を凝らせばその人物は美人で有名な同級生の桃園綾香であることを認識した。
先生方からの評判もよい彼女が夜遊びとは人とはわからないものだなと思った宗一はペコリと会釈をして立ち去ろうとする。
しかし――
「ねぇ。出雲君、だったわよね」
ハスキーな声が宗一の足を止めさせる。綾香の声で間違いなかった。
宗一が顔だけそちら向けて見れば、綾香が絶対に学校で見せないむっつりとした表情で宗一の方を射抜くような視線を向けていた。数十秒の沈黙がその場に満ちる。
「あの、お嬢さん?」
沈黙に耐えられなくなった宗一が冗談めかした言葉で綾香へ話しかける。
眼前で仁王立ちをする同級生の桃園綾香は宗一の言葉にピクリと眉を動かし、左手でフィンガースナップをした。
――瞬間、ボッと彼女の背後からガスコンロなどで聞きなれた着火音が鳴った。宗一の目に怪談話で聞く人魂のようなソフトボール大の火球が飛び込んできた。
突然の手品に驚き半分、感心半分の宗一は惜しみない拍手を彼女へ送る。
「すごいな桃園さん。あれか? 火を使うからこんな夜の公園で手品の練習してたのか。努力家だねぇ」
宗一としては紛れもない最大級の賛辞だったが、生来の口の悪さから煽りにしか聞こえないその言葉に、綾香は一瞬にして青筋を浮かべる。
だが、極めて冷静に綾香は数度深呼吸をし、頭上で火球を回転させながら宗一に告げる。
「そのふざけた態度は許してあげる。大人しくアルカナフォンを差し出せばよし、抵抗するならアンタをここで焼き殺すわ」
最終通告を行った綾香は指揮者のタクトのように右の人差し指を振り、宗一の立っているアスファルトの上に火球を着弾させた。火球がもたらしたアスファルトを焼く鼻にまとわりつく臭いに宗一は顔を顰め、目の前で起こった出来事に知らず知らずの内に冷や汗を垂らす。
(うわ、ちょっと褒めただけで火の玉ぶつけてくるとか桃園ってやべーやつかよ)
さすがに通報するべきかと、宗一は慌ててデニムのポケットに手を入れる。引き抜かれたのはいつも使っている三年落ちのメタリックブルーではなく、さきほど見知らぬ老人から手渡されたワインレッドの見たこともない型式のスマートフォンであった。
そのスマートフォンをじっと眺める綾香は、みるみるうちに表情が好戦的なものへと変貌していく。頭上の火球は高速回転し、いつでも発射できる準備に入った。
「やっぱり黒じゃない。さぁ、アルカナフォンを渡すか、それとも死ぬか。三秒だけ待ってあげる」
有無を言わさぬ言葉の強さをもって、綾香は宗一に強いる。
「――選びなさい、愚者」
行き倒れた老人から渡されたスマートフォン、公園で手品を用いて殺すと宣言してくる美人の同級生、もはや思考回路がショートしている宗一が取った手は――。
「ちょっ! 待ちなさい!」
逃亡の一手であった。
◇
走る、走る、走る。百メートルを一三秒で駆ける足の早さでもって、宗一は夜の公園を駆け抜ける。
宗一が走っている場所、元は炭鉱であったことを記念して設置された旧七岡炭鉱記念公園は外周が約一三〇〇メートルの広大な公園である。夜の闇に身を隠せそうな樹木こそ生えてはいないが、男女の運動能力の差で宗一は追いかけてくる綾香を徐々に引き離しつつあった。
「待ちなさいって言ってるでしょ!」
「火の玉ブンブンクソ女の静止なんか聞くわけねーだろ!」
道理である。明らかに危害を加えようとしている人間の言葉を聞き入れる者など思考能力の欠如したアホぐらいだ。
ときおり、メジャーリーグのピッチャー顔負けの剛速球が宗一の身体をかすめるが、彼が公園の出口にたどり着いた時には既に追いかけっこの鬼との差は一〇〇メートルほど離れていた。
宗一が逃げ切れると確信した、その瞬間。
「――燃えろ」
可愛げなど欠片もない、綾香の酷く低い声が辺りに響く。直後、宗一が目指していた公園を囲うフェンスの切れ目になっている出口に炎の壁が出現した。
比喩ではない。本当にみっちりと獲物を決して逃さない炎の仕切り板が宗一の目の前に現れたのである。
突然の進路閉鎖が目の前で起こった宗一は慌てて急停止する。しかし、全力で駆けていた彼の身体は思考に追い付かず、足がもつれて勢いそのままに転倒した。転倒した場所が既にアスファルトから剥きだしの土になっていたため怪我こそなかったが、痛みが宗一の全身を襲い、立ち上がることもできずに蹲る。
最悪なことに彼の耳にはザッザッと靴が土を踏む音が届く。言うまでもなく、音の正体は綾香である。
しかし、顔をあげた宗一が見た彼女の表情は想像とは全く違った。
「……なんで怪我をしているの」
「……そりゃ人間がド派手に転んだら怪我の一つや二つするだろうが。オマエもそうだろ」
酷く狼狽する彼女は心底理解できないと言いたげな声色で宗一に訊いた。言っている意味がわからない宗一も質問に質問で返す。
「そうじゃなくて! ああ! もうわけわかんないわよ!」
いきなりヒステリックな言動を発しだした綾香に困惑する宗一を尻目に、ひとしきり叫んだ綾香は大きく息を吸って吐き出して一言。
「出雲君。アンタ、アルカナゲームって知ってる?」
宗一は首を横に振り、綾子は嘆息と共に天を見上げた。