6話 春色を奏でるフルート
えっ、誰!? と思い、辺りを見回しても、それらしき人は見当たらない。
「聖樹様! 悪戯はその辺でお止めください」
今度は、たしなめる別の声がその場に響いた。
「ふふふ、ごめんなさいね。私たち妖精とであれば、口を開かなくても、お喋りができそうだったものですから。つい楽しくなってしまって、調子に乗りすぎました。許してくださいね」
えっ!? どうやらこれも、聖樹様のお声らしい。
「ふふふ、そうですよ」
まるで、こちらの心の内を読んだような返事が。
だが、先ほどまでの恐・かっこいい話し方は、どこへやら。これまでとは打って変わって、口調と雰囲気がすっかり様変わりしていた。
こちらが本来の話し方なのだろうか? でも、心地好く染み渡るお声なのは変わりない。
「ふふ、ありがとうございます」
えっ、あれっ!? 本当に心を読まれてる? もしかして、今まで考えてたこと、すべて筒抜けか!?
「ええ、それはもう。すっかり」
春色を奏でるフルートのような、可愛らしく澄んだ声色が耳をくすぐった。
やばっ! 失礼なこと考えてなかったよな?
「ふふふ、大丈夫ですよ。中にはよく分からない部分もありましたけど。今まで言われたこともない褒め方をしていただいたようで。かなり恥ずかしい思いもしましたけど。まあ、あれはあれで新鮮で、とても嬉しかったですよ」
よかったぁ、えっちなこと考えてなくて……つうか、これも丸聞こえなわけ……ですよねぇ〜。
「あら、えっちな方なのですか? うふふ、いけない子ですね。まあ、じきに慣れるはずです。練習すれば、幼な子以外すぐできるようになりますから。念話なんて」
ああ、念話のことね。一瞬、なんのことかと思っちゃったよ。やばいやばい。
くっ、しかし、俺の考えって、どうやら他のエルフの方々にも筒抜けだったみたい。
ということもあって、聖樹様が念話のコツを教えてくださることになりました。
念話と言っても、テレパシーのように思ってることを相手に伝えたり、盗み取ったりするのとは、微妙に違うみたい。
『ええ、あくまでも、お互いに読み取り合いをするだけですから』
最初の内、念話に慣れるまでは、しっかりと相手の目を見て、まずは心を繋げることが大事となるようだ。
その後は、ただひたすら自分の伝えたい事に集中する……別にこれで相手に考えが伝わるわけじゃなくて、そうしないと、思い浮かんだ事が次々に相手へと漏れてしまうらしい。それを防止するための集中だ。
『うふふ、漏れてますよ。いっぱい漏れてきちゃってます。まあ、そんなことまで……ほほぅ、なかなか興味深いですねぇ』
えっ!? どこまで漏れてるの? おいおい、まさか……。
『そのまさかを含めて、他にもいっぱいです。キャッ』
『うっ。あ、すみません。ほんと、なかなか難しいものですね……』
念話で難しい点は、自分が伝えたくないと思っていることを考えてしまうと、かえって相手に伝わってしまうこと──そうした、したくないという否定的な意思を汲んでくれるような操作は、そもそもできないらしい。
『ほらほらぁ、まだまだ、どんどん……えっ!? すごっ』
これほんとに、大丈夫なやつなの? ああ、だから考えちゃだめだってのにぃ……一体どうすれば?!
『くっ、むず……』
えっと、思考中に伝えたい事柄の順番を整理し、事案によって強弱を持たせることで、伝えたいこと、つまり、公開したいことを次第に制御できるようになるらしいのだ。
『だから、こっちじゃなくて、こっちを先に……ふぅ、だめ、全然上手くいきそうにない』
そのことの裏返しとして、伝えたくない考えを相手に読まれずに済む、はずなのだが……。これが俺には全くできない。駄目駄目なのだ。まだ相当な訓練が必要みたい。
「まだ始めたばかりですからね。めげずに続けていきましょう。見つめ合うのに慣れてくれば、すぐのはずですから」
「ご指導ありがとうございました。がんばってみます」
あれっ!? だとすると、御簾越しの念話って、そもそも無理があったんじゃないの?
「あ、そうでしたね。ごめんなさい。それはそうと、こんな風にすれば」──『ふふっ、恋を囁くときにも便利なんですよ。念話はなんと言っても密談を交わすのに重宝しますから、ねっ』
また念話で聖樹様にからかわれ、ドキッとさせられてしまう。ほんと、いい年したおっさんが、なにを動揺してるんだか。
とはいえ、念話の中でも、ほんと良いお声……蕩けちゃいそう。いや、だからとろとろとか、そういった変な想像をこれ以上膨らませちゃいかんのだって。ふぅ……。
「お疲れのようですね。詳しい話はゆっくりと休まれた後で」
なにやら、まだ俺に話したいことがあるご様子だったのだが、どうやらお気遣い頂いたようだ。
気遣いということで、ふと思い出す。ただ、俺が口にしたその一言で……一騒動に。
いや、だってね。もしかしたら、人とはまた違ったエルフ特有の文化で、不作法に当たるのかと思って、ずっと躊躇していたのだ。ここに来るまでにも、あんなことがあった手前。
でも、会談が終わりそうだったものだから、さすがにまずいと思って、こう言ったんだ。
「いろいろとお気遣いありがとうございます。そういえば、まだ名乗っておりませんでした。エルフ様の作法には反するのかもしれませんが、自己紹介させていただいてもよろしいでしょうか?」と。
そしたら、途端にエルフ側が慌て出したのだ。
エルフの社会でも、どうやら名乗り合ってから話し始めるのが礼儀だったらしくて。
しかも、聖樹様が最初に念話で話しかけたことで、何らかの思惑があってのことだと周りに控えていた側近たちも判断し、敢えて聖樹様の非礼を諫めなかったとか、どうとか……。
とても侃侃諤諤とは言えぬ喧喧囂囂の末、色々と俺が聞いちゃいけないことまで、こちらに漏れ聞こえてきていた。
そして、聖樹様共々、エルフの御歴々が御簾を上げ、改めて姿を現した状態で非礼を詫びてくれることになったらしい。
『さあ、みんな一緒に。ほらっ、早く! ちゃんとして』
『『『『……』』』』
いや、なんか聖樹様がむりやり側近さん達にも頭を下げさせた感じなんだけど……。だって、聖樹様の思念だけダダ漏れだし……。
別にいいのになぁ。
「いえいえ、そもそもが発言を許された段階で、身分の低いこちらからご挨拶して名乗るのが、本来は筋というものでしょう。それをしなかった自分にこそ非があるとも言えますし。どうかその辺で。そんなにお気になさらないでください」
「えっ、ほんとに? あ、りがとぅ……」
やっとのことで聖樹様にお顔を上げていただいた。
あはは、でも、エルフさん達にも頭を下げて詫びる文化があるんだね。
あんな西洋風な美しい顔立ちで、ああも洗練されたお辞儀をされると、日本人からすると、はっとさせられるものがある。
なんかお互いに笑顔で、こうして名乗り合うことができて、かえって良かったと言えるかな。
そうそう、聖樹様の御名は【ファトゥム・ハマドリュアデス・アルフェン】と言った。
【アルフェン】が族名で、【ハマドリュアデス】が家名みたいな感じになるみたい。うん、ごめん、正直よくわからんかった。なんか急に、聖樹様が早口になってしまわれたもので、お名前を記憶するので手一杯だったんだ。
えっと、【ファトゥム】というのが、聖樹様が日常的に使用されているお名前とのことだ。自分でもよく聞き取れたと思う。なにせここだけは、妙に声がちっさくて。
「歓迎します。妖精の森に、ようこそ」
これまでで一番優しい声音で、聖樹様にそう言われた。今度は大きな声で、ゆっくりと、丁寧に。やっべ、バレてぇ〜ら〜。
でも、お陰で肩からすっと力が抜けた気がする。自分が思っていた以上に緊張していたらしい。客として迎え入れてくれたことを実感できた瞬間だった。
まあ、客といっても、珍客扱いだろうけどね。
それでも、異世界に独り迷い込み、行く宛もなく、持ち合わせもない身の上だ。この上もないほど、ありがたい。
「自分にできることがあれば、なんなりと」と告げる。
こちらもしっかり礼を尽くさないと、な。
すると、聖樹様はにっこりと満面に笑みを湛えながら、優しそうに頷いてくれた。直後、側近エルフたちと共に、まるで世界樹の根の中に吸い込まれるように消えてしまう。
春めいた香りが、こちらまで漂ってきた。
なにやら夢でも見ていたみたい。ちょっと頭がぼーっとしてる。
……気が付くと、館の執事らしき人がすぐ側に控えていたのには、心底驚いた。
うん、全く気が付かなかった。いや、目が怖いんですけど。あ、そういえば、またでしたね。
「も、申し訳ありません」
「……さあ、行きますよ」
その後、客室まで案内された。
簡素な造りながらも、木の香り漂う落ち着いた雰囲気のある清潔な部屋。
開け放たれた窓からの風も爽やかだ。
頬に微かな風を感じつつ、ベッドに腰掛ける。
此の方ずっと、緊張しっ放しだったせいか、なんかすごく怠い。
すぐ横になりたくなって、バサッとベッドに崩れ落ちた。
あぁ、よく乾いたシーツの感触が、頬に優しい。随分と久しぶりのベッドな気がする。
瞑ったままの瞼に、柔らかい光を感じる。まだまだ陽は高い。
あっ! 肝心なこと、忘れてた。
「あー、あー、あー、あれっ!? おかしいな。普通に声が出る……ちゃんと日本語だよなぁ」
う〜む、さっきまで絶対、エルフ語だったのに……。なんでじゃ?
「くそっ! 言語修得特典かと思ってたのに違ったか……って、やっぱ日本語じゃん!!」
はあ、だよね。そんな都合いいわけねえか……って、おいおい、初回特典の期限切れとかか!?
まさか今更言葉がわからなくなったわけじゃないよな?
慌てて窓から顔を出し、辺りを見回した。
あ、いた。なんか話してる……うん、大丈夫だ。小声で所々はっきりしないとこはあるけど、意味はわかる。
うん、どうやら言語翻訳の期限が切れたわけじゃなさそうだ。ふぅ〜、びっくりさせやがって。
あれっ!? そういや、人はいるけど、集落っぽい建物なんて見かけなかったよな。
あ……もしかして。
改めてじっくり、里の様子を窺う。
うん、木ばっか……って、ああ! やっぱそういうことなのね。
あのずんぐりむっくりした木から、時折女の子が出てくる。
あれって、もしかして全部、家なのか? だとすると、そこそこの数があるな。
へえ、なるほどね。どうりで集落らしき雰囲気がないわけだ。
ふふふ、さすがはエルフの郷。う〜ん、ファンタスティック! お見逸れしやした。