5話 俺って、薄いの!?
葛折りを下りきった所には門が……その両脇に槍を持った二人が立っている。
隊長に目配せされたその門番が俺の方を一瞥してきたものの、何事もなく門の中に入ることができた。
それでも、脇の下にじっとりと汗が……服が少し重くなった気がしなくもない。
門に近い広場で隠れん坊でもして遊んでいたのか、小さな女の子たちが好奇心旺盛な目をこちらに向けてくる。
それに比べて大人たちの目は厳しい。こちらに気付いた瞬間、子どもを抱き抱え、逃げるように木の陰へ走り去っていく。家に戻るよう、叱りつけている者も。
まあ、想定内の反応か。
この世界、道徳観がどうなっているのか、もちろんわかりはしない。けれど、見知らぬ男──それも異種族の男、いや、オスを突然見かけたら、警戒心が先にきて当然だ。
俺を案内してきた警備隊の連中にしろ、人族に対してあれほど、差別意識を持っていたのだ。仕方ないさ。
地球であっても、文化の発達した現代に至るまで、人種差別はしつこく残っていたわけだし。ましてやウッドエルフから見た異世界人じゃ、さもありなん。
それに物語の中でも、とかくエルフは排他的に描かれていたしな。
でも、やっぱ憧れてた異世界、その住人からの視線だと思うと……寂しいっちゃ、寂しいぜよ。
うっ、今更、牢屋にぶち込まれたりしないだろうな?
いやいや、ここまでだって縛られたりしていないし、最低限ではあるけど、一応は文化的な扱いを受けてきたはず。だから、大丈夫だとは思うけど……。
そうこうしているうちに、いつの間にやら、太い樹木の前まで連れてこられていた。
目の前にあるのは、木のうろだ。数人程度は余裕で通れるほどの大きさがある。
あれっ!? やっぱ牢屋にでも入れられるのか?
「おいっ! ぼさっとせず、早くついてこい」
隊長に促され、恐る恐る中に入ると、木の良い香りと温もりを漂わせる空間──ただの木ではなかった。明らかに御屋敷内だ。
「こっちだ」
促されるまま、手前の控え室のようなところに通される。
「しばらくここで、大人しく待つように」
椅子に腰掛けるよう勧められた。
隊長さんはと言えば、少し離れたところで、なにやら使用人らしき人と、こそこそ話をしている。
時折こちらに向けてくる目が、やはり気になる……。
さほど待たされずして、奥のほうから別の案内人らしき方が現れた。
後について、木の香り漂う艶やかな回廊を渡っていく。
下にちょっとずつ下る感じの結構長めな廊下。それもぐるっと周回させられているようで、前が見通せない。
たどり着いたのは、奥まった広めな部屋だった。
周囲より少し高くなった高御座が、否応なしに目に入ってくる。
御簾が掛かって、ぼんやりとしか見えないのに、内から漂う風格が尋常じゃない。空気すら、どこか重苦しい印象を受けた。
あの奥に噂の聖樹様がいらっしゃるのだろうか?
ふと気がつくと、すぐそばで案内の方から「椅子に座るように」と促されていた。
御簾に向かって、たった一つだけ用意された椅子。なんだか急に胃が……。
一礼して、座る。
御簾越しなのに、なにもかも見透かされているような妙な圧──耳鳴りみたいにキーンという無音の響きが、全身を麻痺させるかのように浸透してきた。
いやに居心地が悪い。
別に悪いことをしたわけでもないのに、額から溢れた汗が粒となって顔を伝う。膝に向かってポタリと落ちる滴を、顎先で感じていた。
うぅっ、凄まじい。オーラのある人と対面すると、これほどまで威圧感を覚えるのか?! 圧迫面接なんて目じゃねえ。
『おぬし、薄いな』
どこからともなく、突然聞こえてきた声──遣り手女性風の凛々しい声音に……総毛立つ。
なんという恐・かっこよさ! まるで某ガ○ダムのハマーン様を彷彿とさせるかのよう。
おぉ、これか!? これがあの、ニュータイ▽からのプレッシャーというやつなのか? あぁ、ひれ伏したい……んっ!?
だが、遅れること数瞬、その言葉の意味に気付き、頭に手をやる。
えっ!? うそっ? まさか髪の毛が、薄くなった? 思わず髪をまさぐっていた。
あぁ、最近、不摂生続きだったから……。髪のことなんて気にも掛けてなかった……って、違うか。
うん、大丈夫。禿げてない。禿げられてない。
もしや、人格面の話?
そんなことまでわかっちゃうの? 一目で見通せちゃうほどに!?
くっ、確かに薄っぺらい人間だという自覚はあるが……面と向かって言われると……さすがに、きつい。
ん! あれ!? ちょっと待てよ。さっきの荘厳な御声って、もしや聖樹様だったりするのか?
『あい済まぬ。なにやら勘違いさせてしまったようだねぇ。失礼した。薄いと言ったのは存在のことさ』
いやいや、存在感が薄いって言うのも大概やぞ。
『う〜む、なんと言ったらいいのやら。困ったねぇ。まずは生体の形相について、話をしておくべきか。少し長くなるが、まあ、お聞き──』
なにやら難しそうな話が始まった。どうやら話の取っかかりとして、まず、こちらの世界での生き物、その捉え方を説明してくれるようだ。なんでやねん?
『──といった感じで、生命には、根源となる【霊魂】、実体のない心や生成された感情としての【精神体】、活動を可能とする物質的な【肉体】があるのだよ。この世界の多くの生き物は、これら三つが重なり合って構成されているというわけさ』
うん、正直、途中意識が飛びかけた。いや、難しすぎたというよりも、むしろ聖樹様の美声に、ついつい聞き惚れてしまって。
まあ、要約すると、なんでも俺の場合、この三つ目の物質的な肉体を構成する密度なるものが、他の者と比べて、極端に薄いのだとか……うん、ちょっとなに言ってんだかわかんない。
というか、これって大丈夫なのだろうか? 普通、やんごとない御方との接見って、御付きの者を介した間接的な会話になるのでは? それが、俺なんかに直接話し掛けてくださるなんて。
いや、助かる。助かるのだけどね。なにせ、こんなわけのわからん内容で、もしも間に入られでもしたら、目も当てられなかったはずだから。
とはいえ正直、内容なんてどうでもいい。そう思えるくらい素敵な美声……ほんと心に染み渡る。うん、誠にもって聖樹様の御声は心地好いのだ。
『ふふふ、森に妙な気配を感じてね。我ら妖精に近い雰囲気なのに、まるで人族であるかのようでもあった。若い衆に様子を見に行かせ、危険がないようなら連れてくるようにと、申し付けたというわけさ』
そんな若い衆と違って、すごく気さくに話してくださる聖樹様。
「申し訳ありませんでした。お手数をお掛けしたようで。右も左もわからぬ森の中、正直困り果てていたものですから。非常に助かりました」
あっ、しまった! つい直接話し掛けちまった。失礼に当たるかも!?
『ふふふ、そのようなことは気にしなくてもよい。こちらにも都合というものがある。むしろ良い機会さ。前にも似たことがあったそうだからね。実のところ──』
聖樹様の発するとろけるような魅惑的な御声によれば、おおよそ一万年ほど前にも、こちらの世界へ迷い込んだ異世界人──【迷い人】と呼ばれた者の記録があるそうだ。
そう、聖樹様は気付いていた。俺がこの世界の住人ではないことを。
それにしても、俺が居た場所って、ここから随分離れた位置にあると思うのだが……聖樹様ともなると、それほどまでに感性が鋭いってことなのだろうか? さすがエルフだけあって。
それとも、俺って、この世界の人族と、それほどまでに違いがあるのだろうか?
どっちだ? 森でのウッドエルフさん達の反応から判断して……う〜ん、わからんなぁ。
しかし、よくもまあ、一万年前の記録なんて残ってたもんだよ。
『ふふふ、そうさね。最もご高齢な方でも、さすがに一万年前を直接知る者はいないからな』
そりゃそうだ。
『いかにエルフであっても、寿命なんて、たかだか九千年程度だからね』
またまたぁ〜。鶴は千年、亀は万年とはいえ、実際そんな長生きするわけがない。
『いや、数千年などざらだよ。万年ともなると、さすがにな』
最初、冗談かと思ったが、どうやらまじな話らしい。
となると、聖樹様って、いったいお幾つ?
『ふっ、女に年齢を聞くもんじゃないよ』
すぐさま返された──えらく格好いい口調なのに、めっちゃ可愛らしさを内に秘めたような不思議な御声で。いい、なんかすごくいい。怒ったふりをしてくれてる雰囲気が、これまたチャーミングな感じで。
ありゃ!? いかんなぁ。どうやら考えていたことが、口に出てたか!?
側近らしき方達から一斉に、物々しい視線に晒されていた。
それとは裏腹、当の聖樹様と言えば、快活に笑ってらっしゃる。
『あっはっは、我々くらいの長命種ともなると、自分がいつ生まれたのかすら忘れそうで怖いくらいなのさ。むしろ、たまにこうして年齢を問うてくれると助かる。まあ、これでも聖樹の中では最も若いのだけど……』
えっ!? 聖樹様って、他にもいるわけ? お若い聖樹様かぁ……あ、ロリ姫、想像しちまった。
う〜ん、平均寿命が九千年だとすれば、人間のちょうど百倍か。1/100にすれば、大体の目安になるな。
いや、待て待て。どうなんだろう? もしも仮に五百年も生きてきたとして、まだ人でいうところの五歳児程度の幼さなんてことがあるのか?
いくらなんでも、物心がつくのに、そんなに時間がかかったりせんだろう。
ただ、あの御簾では見た目がようわからんからなぁ。確認のしようもない。実際、他のエルフの方々に年齢を訊いて回るわけにもいかんし。
とはいえ、聖樹様のあの話しぶりからして、幼女なんてありえんけど。
なにせ、世の男共がこぞってひれ伏すことまちがいなしの、超絶オーラなのだから。
威厳たっぷりでカリスマ性もばっちり。上司にしたい女性No.1確実。
『なっ!?』
その雰囲気をまさに体現したかのような御声……あぁ、素晴らしい。この御声こそ、俺が女性に求める理想型、その一つと言える。
『ふきゃっ!』
ん!? へんてこな声が……あれっ!? そういや、碌々喋ってないはずなのに、なんでこうも会話が成立してるんだろ?
「オホンッ。なぜなのでしょうね? というか、今まで私が一言も声を発してなかったのに、気付いていませんでしたよね? うふふ」
どこからか、うら若い乙女の声が耳に届いていた。