32話 おとなしいなんてことは……
熊の燻製も出来上がったようで、ようやく出発の運びとなった。
この辺りは亜熱帯ぐらいに属する暖かな気候だけに、肉を生のまま持ち歩くわけにもいかない。だからこそ燻製にしたわけだが、さすがに持ち運べる量にも限度がある。
アリエルにしても、一頭丸々全てを解体していたわけではなく、いろいろと検討した結果、部位を選別してくれていたようだ。
「近くに村でもあれば、場所を教えてやって、引き取りに来てもらえば済む話だけどよ。町からここまでの距離となると、それもな。まっ、ほっときゃその内、森の動物たちの腹ん中に収まんだろ」
豊かな生態系は懐も深いってわけか。俺のせいで無駄に命を奪っちまったのは事実だからな。森に帰ると思えば、少しは気が楽か。
自分の行動に支障が出ない程度の量を背負って、また旅を再開する。
「はあ、しかし……今思い返してみても、あの熊はほんと怖かった」
「まだ言ってんのかよ?」
俺は人より気が小さいんだって。あまりにもびびりすぎて、すぐに恐怖の閾値を飛び越えてしまうくらいに。
ただ、それが日常化しているものだから、もはや恐怖で固まることは無い。硬直するみたいな身体的拒否反応には既に慣れきってしまって、逆に機能しなくなったようなのだ。
だから、普通の人が過緊張で動けなくなってしまうような切迫した状況下だと、内心びくびくしていながらも、かえって落ち着き払っているように、端からは見えるみたいなのだ。
「普段情けないことばっか言ってる割に、いざってときには、ちゃんと動けてたじゃねえか。ほんと分かんねえやつ。もっと自信持てよ」
ほらっな。こんなにもびびりなのに、誰もなかなか気付いてくれない。これまでだって、ずっとそう。それどころか、いざとなったら頼れる存在だとでも思われてる節すらあった。ほんといい迷惑だよ。
とはいえ、俺の方にも問題はある。安っちいプライドが……。事が終わってからは、変に余裕ぶって格好つけちまうものだから、更なる誤解を生んだりもするのだ。ほんと自分でも質が悪いと思う。
しかも、こんな弱っちい肝っ玉してるくせに、ひょんなことで、突然わけのわからん正義感に駆られたりもするのだ。
かといって、いつもいつも正義感が湧くわけでもないし。なんなら普段は結構下衆いことも考えてる……えっちなことが絡むと、割かししょっちゅうだ。
まあ、善人ではないわな。そういうどっち付かずなところが、自分でも理解できん。
「俺って、ほんとに、なんなのだろうな?」
「それはこっちが聞きてえよ」
いくら考えても、答えの出ない問いだ。
つうか、また話が逸れてたな。それよりも今はもっと気にしなくちゃならないことがあった。付き従ってくれてる水の精霊さんの、魔力残量だ。
火の精霊さんと同様、守護結界を常時張り続けてくれているようだし、今回の対熊戦では、かなり手加減したとはいえ、魔術に偽装した水魔法をぶっ放している。
あいにくと、精霊さんにはゲームで役に立つ魔力残量メーターみたいなものが無いから、いつまで一緒にいられるのか気がかりで。
俺の場合、自身の戦闘力が皆無なだけに、精霊さんだけが命綱なわけですよ。これじゃあ、おちおち話もしてられんっての。
「あわわわわ……」
「あんだけ不死身の体で、なにを普段からそんなにびびることがあんだよ?」
「いやいや、誰だって痛いのは嫌でしょうが」
それに、アリエルがこうは言っちゃいるが、あんな都合のいいことが、そういつまでも続くとは限らない。こんな原因もわからん不確かなものに、頼りきってなんかいられねえっての。あくまでも保険にすぎないといった程度に考えておくべきだろう。
てか、こっちの世界ではあの馬鹿でかい熊ですら、アリエルの口振りからすれば、さして大したことのないごく普通の動物なわけですよ。それが証拠に、実際アリエルが素手で軽くあしらってるのを目の当たりにしたわけだし。
「それによ、この世界には魔物がいるって話じゃねえか」
「まあ、いるな」
ああした強烈な野生動物よりも魔物の方がおとなしいなんてことは……ないわけですよ。だって教会が信者の要望を聞き入れて、わざわざ対策に乗り出してるくらいなんだから。
魔物だったら、いったい全体、どんだけ〜っ!? ってなもんでっせ、あーた。
それとなく確認してみても、「ほんと厄介ではあるな」と、アリエルも含みを持たせたような物言いだったし。
「あぁ、そういや、まだ言ってなかったか。安心しろ。魔物対策に乗り出しているのは、なにも教会だけってわけじゃないから。魔防ギルド……えっと、正式には【魔物防衛ギルド】っていう組織もあるんだよ」
おいおい、それって全然安心材料なんかじゃねえぞ。教会だけじゃ対処できてねえってことじゃんか。
なんでも、魔物が現れ出した当初、発生件数自体はそれほど多くなかったそうだ。それでも村や町の住人で結成された自警団程度では、とても敵わない存在だったとか。
それこそ軍が出張ってきて、やっとこせ討伐していた状況らしい。
その後、なんとか街の防衛には成功していたようなのだが、次第に小さな村落の方にまでは対処しきれなくなってくる。
村や町にしても、長引く魔物の被害に業を煮やし、領主への訴えが相次いだようだ。
それを受け、専門的に対処する部署の設置が検討されるようになる。実際、一部の大都市では既に専門部隊の活動も開始されていたらしい。
「まあ、これが魔防ギルドの前身ってわけだな。ただ、こうなると、隣り合った街の組織がそれぞれ同じ魔物を狙っちまうこともあるわけよ。結果、別のチームが退治済みとも知らずに追い続けた空振り案件とか、かち合っての手柄の取り合いなんてのが、ざらにあったらしいぞ」
そうしたトラブルに対処するため、各組織の代表者が集って、対応を相談──その結果、密に相互連携を取っていくことが決定される。これが、魔物が発生してから大体五年目くらいのことのようだ。
その後、更に五年間の試行錯誤を経て、魔物が初めて確認されてからほぼ十年後、つまり、今から十年ほど前には、組織が完全に統合され、現在の形の魔防ギルドに納まったとか。
「あたしも教会の勇者認定を受けるまでは、この魔防ギルドに登録しててな。仲間と一緒にチームで活動してたんだ。ただな……」
そこで感じていたのが魔物討伐の限界らしい。
魔防登録士こと、通称、【魔防士】と呼ばれる者たちで協力し合えば、魔物を倒すこと自体はそれほど難しいことではないそうだ。
では、なぜ、厄介なのかと問えば、それは容易に退治しきれないからなんだと……ん!?
「あー、なんつーかな? 矛盾してるように聞こえるかもしれないけど……えっとな──」
魔物を倒した際、近くに弱った動物がいたりすると、今度はその動物が魔物へと変異してしまうことがあるそうなのだ。これには人間も含まれるらしい。
「へえ、だからか。んじゃ、魔物にとどめを刺す際には、いちいち周りにいる動物とか、仲間に重傷者がいないかどうか確認しなきゃならないってわけか?」
「ああ。それに、魔物に襲われている人たちを助ける際にもな。場合によっちゃ、魔物にとどめを刺さず、動けないようにするしかないってこともあったな。あんときゃ、気が気じゃなかったよ」
そんなことがいつまでも続けば、いつかは破綻するのは誰の目にもわかる。そこで、出番となるのが教会の【聖水】なんだと。
「実際、魔法薬の素材として優秀でな。そのユニコーンの角を煎じたこれが、魔物討伐の切り札の一つでもあるんだ」
聖水は、怪我からの回復効果がすこぶる高い。ただ、それよりなにより、魔物からの呪い耐性に効果を発揮する点が一番の売りなのだそうだ。
「なんせ魔物に聖水をぶっかけた後に倒せば、再発生を防げるくらいだからな。とはいっても、それは本物の聖水に限っての話だけど」
そう、聖水には二種類あった。
聖水と言えば、一般的にはむしろ巷に出回っている普及品の方を指すようだ。
本物の方に比べると、かなり効果のほどは落ちるらしいが、それでも怪我や病気からの回復力を高める効果が評判なんだとか。
「ただ、そっちは呪い耐性の効果はないんだ。怪我からの回復効果にしても、本物と比べるとそこそこでな……より多くの人たちが加護の傘下に入れるようにって、教会は言ってるけど」
効果が得られる範囲で限界ぎりぎりまで希釈した物なんだろうな。
聖水を授かるにも相応のお布施が必要なようだし、宗教ってのは、例に漏れずってやつだ。
とはいえ、実効実益がある以上、ただの迷信とは違うか。教会の威信が高まるのも無理はない。
「なにしろ教会は大抵の町や村にあるからよ。その……いや、聖水の流通量にしてもかなりのもんだ。しかも、他の魔法薬なんかは品質で言えば、どうにもピンキリだからな。それじゃ、いざというときに困んだよ」
世界中に広がっている教会網を利用し、一定水準の規格品を安定供給できているため、教会の信用は高まる一方というわけか。なにより集金力が高いと……。
そしてもう一つ、対魔物戦闘における切り札が判明した。
以前、アリエルが襟元から取り出してみせてくれたあれだ。あれには俺もイチコロだったからな。
いやいや、違う、そうじゃない。破魔のネックレスの方な。
実はアリエルから喰らったあの【セイクリッドサンダー】っていうのは、風魔術に属するような、ただの雷ではなかったのだ。
破魔のネックレスに蓄えられた魔力を解放することによって、【神聖魔術】が行使できるとは前にも聞いていたが、あの雷にしても、それに属したものらしい。
神聖魔術っていうから、てっきり治癒系の魔術なのかと思ってたが、どうやら破魔特効の攻撃だったっぽい。
「怖っ! 危うく塩の柱にされてたのかよ!?」
いや、どっちかって言うと、消毒されかけたのか? どうりでオゾンみたいに嫌な臭いがしたわけだ。
「いやいや、あれ食らって死なないなんて、絶対おかしいからな。破魔とかどうとか抜きにしたって。いや、今となっては死なずにいてくれて、ほっとしてるけどよぅ」
「それにしたって、結構酷い目にあったぞ。ユニコーンって、もしかして俺の天敵なのか!?」
「あはは、かもな。教会にはかなり古くから【幻獣ユニコーン】との繋がりの伝承があるらしくてさ。その昔、聖女様が傷ついたユニコーンを助けたって経緯があるんだってよ」
命を助けられたそのユニコーンが恩義を感じて、教会に加護を与えるようになったんだとか。その証しとされるのが、定期的に教会の前に捧げられるようになった【ユニコーンの角】だ。
本来、ユニコーンは決して人族には近づいてこないと謂われているらしい。それでも、うら若き乙女にだけは心を許すのだと。ふっ。
ゆえに、その角を回収する役目も、若い修道女に限られているとか……う〜ん、なんだろう? どうにもえっちな匂いが漂ってきた。いや、それとも人身御供的な話か? ほんとに恩返しなんだろうな?
「修道院絡みの手伝いで、一度だけこっそり覗いたことあるんだけどよ。ありゃ、ただの儀式だった。どうにも胡散くせえんだよ。ユニコーン自体を見た奴なんて誰もいねえっていうし。毎回、奉納される角が小さくなってきてるって噂もあってさ」
昔から光の妖精としても神聖視されている幻獣ユニコーン──それを傷つける行為はタブーとされている。そのため、その角も他では手には入らない極めて重要な物のようだ。
アリエルって、これまでの発言からして、教会に対し、なんかいろいろと思うところがあるみたいだな。
それでも、町の人たちを救うためには、どうしても教会から提供されるアイテムが必須だと判断したようだ。
「偉いねぇ、アリエルは。よっ、勇者! 俺も認定しちゃうよ」
はい、そこ! 「魔王認定勇者かよ」とか、ぼそっと言わないように。




