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3話 風前の灯火

〔エピソード1──時は遡り、現代日本〕


 静まりかえった深夜の職場。独り、最後の残務整理に追われている。


 入社以来、昇進もしなかったせいで、肩書きもそのままに、使い続けてきた社員証──伊藤崇の文字が薄くなりかけていた。


 この歳で部下がいないなんて、おそらくこの会社じゃ俺だけだ。


 こうしてキーボードを叩く手、その甲に浮き出た血管を見るにつけ、年を取ったことを実感する。もう四十五か……。


 がんばる理由なんて、もうとっくの昔に無くしちまった。


 なかなか作業に終わりが見えてこない……人より仕事が遅いという自覚はある。


 上司から「周りにもっと仕事を振れ」と言われ続けてきたが、どうしてもそれができなかった。


 深夜の職場で一人、そんなときには大抵つけているラジオ──そこから聞こえてくる声が、いつもの番組とはちょっとばかし雰囲気が違っていた。


 どうやら尊厳死法の是非を問う、国民投票に関する特集が組まれているみたいだ。


「ある一定の条件の下、治療方法の選択と同様に、自分の意志で死を選ぶ権利を認めてあげるわけですよ。患者の意思を第一に尊重する──尊厳死はですね、家族の不安やストレスを軽減するという側面もあるわけで……」


 席を立つ。……まだしばらく仕事も終わりそうにないから。


 キーボックスにぶら下がる赤いタグ──汚い字で【屋上扉】と書かれた鍵をフックから取り外し、いつもの屋上へと向かった。


 そう、深夜だけの……会社での逃げ場。


 これがもし定時なら分煙ルームに行かされるところだ。正直、ああもヤニ臭く、空気の淀んだところで吸っても、ちっとも旨くはない。


 他人が漂わせた煙草の臭い、それも、雑多に混ざり合った臭いほど嫌なものはない。


 煙草なら、どんな銘柄だってかまわない、なんて奴がいるか?


 香水だっていくつも混ぜてしまえば悪臭にしかならないのと一緒だ。まっ、そういうこった。


 煙草ってのは、空気のきれいなところで、一人で吸うに限る。


 副流煙の心配をせずに済むしな。


 階段のどんつき。少し錆びの出た扉を押し開け、見晴らしだけが取り柄の屋上へ。


 冷たい空気が、鈍った頭に、心地好い。


 ただ、ここへ来ると、いつも……。


 ──束の間の一服を終え、戻って仕事を続ける。


 しばらくして、つけっ放しにしていたラジオから、今度は某国での恩赦報道が流れてきた。


 すぐさま、ラジオのスイッチを切る。


 勢い余って打ち付けた指先が疼く。


 途端、静けさが増した……。


 黙々とキーボードを打ち続ける。時折、唸り出すパソコン──その冷却ファンの音だけが、妙に響いていた。


 ──未明まで続く残業だったが、俺が抱えていた仕事が、全て終わった……。


 最後の一服を決意し、再び屋上へ。


 ……ん、看板!? いつの間に設置しやがった?


 なんだよ? こんな時間まで仕事してるのも、俺だけじゃないってことか……。


「ふぅ、ご苦労なこって」


 にしても、邪魔。痛いほど輝く、いつもの夜景が遮られていた。これじゃ……。


 どこかほっとしている自分に、ほとほと嫌気が差した。


 いや、もっと人に迷惑の掛からねえとこでやれってこったな。どこか遠くで、ひっそりと静かに。


 ゴーッと唸りを上げるターボライターの炎に、くわえ煙草をかざす。めいっぱい吸い込んだ。


「ふぅぅ────っ」


 紫煙を吐ききると、ひどくめまいが!?


 うっ、やば─────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────


「暗っ!」


 なんだ!? 停電か。あれっ?! 煙草は?


 足下も見えないほどの暗がり。落としたはずの煙草の火が……どこにも見当たらない。


 周りのビルも軒並み暗い。どうやら、ここら一帯、大規模停電のようだ。


 おぉっ、きれい! 東京でも明かりが無いとなると、こうもきれいに星が見えるものなんだな。ははは、たまの停電も悪くない。


 にしても、なんだ!? 星が……いや、なにか変……。


 どこか遠くの方で、遠吠えが聞こえた。


 そういや、田舎の祖父ちゃん家の夜もこんなだったな。都会の明るい夜と違って、照明が消えると、こんな感じで怖いほど暗かった……うっ、なんか急に心細くなってきた。


「さ、寒っ!」


 なんだよ、風邪でも引いちまったか? とりあえず戻るか。


 歩きかけて、よろめいた。


 バランスを崩して初めて、足下が平らでないことに気づいた。そればかりか、なにか柔らかい物の上を歩いてるみたいな妙な感触。


 慌てて膝をつく。


 ライターを灯し、足下の様子を窺う。


「えっ、草!? なっ」


 草が生えていたことにも確かに驚いた。だがそれより、むしろ目の端に映ったものの方が気になって、振り返っていた。


 そこには火の玉が。


 でも、うす気味……悪くはない。


 不思議と懐かしさを感じるような……。


 赤くて小さな……そう! ファンタジーに登場する火のエレメント。まさしく、火の精って呼ぶのが相応しい。


 ライターの火を仲間と勘違いしたんだろうか?


 ゆらゆらと空中を漂い、少しずつこちらに近づいてきている。


 なにか小さく微かな音が響いているような。耳を澄ましてみたが……聞き取れない。


 雑踏の中での喧噪みたいに、大人数で同時に話しているかのようで、一つ一つの音が混ざり合っている感じ……どうにももどかしい。


 それでも、ぼんやりと眺めていると、なんとなく助けを求められてるような気がし、『むしろ助けてほしいのこっちの方なんだけど』と、思わず胸の内をこぼしていた。


 すると、次の瞬間、幾多にも重なる炎の円環が現れる! 俺はすっかり取り囲まれていた。


 炎で逃げ場がないにもかかわらず、不思議と焦燥感はない。むしろ安心感に満たされていく。


 ただ、残業の疲れもあって、この心地好い暖かさが、逆につらくもあった……眠気が……やばっ、意識が遠──


「ふぁ〜、変な夢見た……なっ!?」


 目覚めると、そこがいつもの寝室……ではなく、はたまた職場のデスクなどでもなく、森深い山奥なのに気付いた………………。


「おいおい、夢じゃなかったのかよ?!」


 うん、結構な時間、呆けてしまっていたようだ。


 見慣れない樹木。草は……まあ普通というか、そもそも見分けなんかつかないか。


 改めて辺りを見回すと、旺盛に生い茂った枝葉に覆われている割に随分と光が降り注ぐ、どうにも不思議な森だった。


 深い森なのに、まるで管理された里山みたいに、下草も枯れず、朝露を乗せて輝く苔なんかもきれいに繁茂している。


 地面にひらひらと影を落として揺らめく葉っぱ──その陰影がなんとも美しい。


 日本で見かける杉林とか、松林の風景とは明らかに違う。


 写真や映像なんかを見る限り、熱帯のジャングルとも違うし。ヨーロッパ辺りの針葉樹や広葉樹の森ともまた違っていた。


 なにせ、屋久島の縄文杉くらいぶっ太い樹木がそこらじゅうにある……けど、それが全く目立っていない。それもそのはずだ。だって、ここら辺ではそれが平均的な木のサイズなのだ。うん、普通……でも、凄く異様な光景。


 どこぞ?


 あれっ!? いつからだ? どうやってここまで来たのか、全く思いだせない。


 頭が混乱して……正直、なにがなんだか訳がわからん。


 どこか知らない遠くの国にでも、連れてこられてしまったんだろうか?


 それにしても、野生動物によくもまあ襲われなかったもんだよな。こんな山奥で一晩過ごしておいて。


 これだけ緑豊かな森だもの、生態系だってしっかりしてそうだ。肉食動物がいないなんてこともなかろうに。


 今更ながら冷や汗が、ドッと吹き出してきた。


 うわっ、なんだ? よく見りゃ、めっちゃいっぱい藪蚊がいる! あれ!? そういや、モスキート音なんて久々に聞いたな。


 ん!? でも、全然刺されてねえや。いつもならあれほど蚊に刺されやすい体質なのに……。


 それに、なにか……あれっ?! 夢か?


 しばらく考えてみたものの、埒が明かない。


 このまま待ったところで、誰も助けにきてくれそうにない。


 放っておいても、この状況が……うん、改善することはなさそうだ。


 とりあえず、森から抜け出して誰かいないか探してみよう。


 と思った途端、すぐ目の前を、色鮮やかな蝶が通り過ぎていった。虹色に輝く鱗粉を漂わせて。


 自然とそちらに足が向く。


 へえ、さっき目覚めたところって、この森の中では、少し開けた場所だったみたい。


 でも、こうして歩き出すと、木の根が我が物顔って感じ。地中から張り出した根がまさに縦横無尽で。それこそ上へ、下へ、横へ、斜めへと地面を覆い尽くしている。


 それでいて、なぜか足取りを遮ることがまるでない。邪魔になってる感じすらしないのが、なんとも不思議……。


 不思議と言うなら、こっちもか。


 近くには川らしいものが見当たらないのに、なぜか森全体を大量の水が流れているような音? というか、潤沢な水の気配をそこはかとなく感じる。なして?


 そうこうしているうちに、いつの間にやら、木々のざわめき、鳥のさえずりといった森の音が消えていた。


 音のない深閑──シーンと耳に響いているはずなのに、どこかリズムがあるような……静寂の歌に誘われる。静けさだけが進むべき道を示しているかのよう。


 その後、かなり歩いて汗もかいた。うん、ここらで一服しよう。


 すると、辺りに人の気配が!


 というか、既に大勢に囲まれていた!?

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