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26話 異世界の勇者

〔勇者アリエル side〕


 しまったぁ! 寝過ごした。


 ああ、昨日は全て出しきったからな。正直、精も魂も尽き果てて。


 くっ、でも、初めて世話になったお屋敷で朝寝坊するだなんて……。


 なんで起こしてくれなかった?! いや、そりゃあ、曲がりなりにも客人だからって、気を使ってくれたのは分かるけどよぅ。


 あたしだけ寝坊ってのは……どうにも。


 そうだ、謝らなきゃ! と思い立って、廊下に飛び出すと、あいつの部屋の扉は開きっ放しだった。あ、なんかいい香り……。


 ……その部屋の中をそーっと覗き込むと、掃除していたエルフさんとばっちり目が合ってしまった。


「あのぉ〜……えっと……」


「睡眠は充分取れたようですね。食事も用意があります。早く食堂へお行きなさい。……これで彼の要望に応えられましたね」


 か、彼って!? あぁ、あいつの指示かよ? チッ、余計なことをっ!


 あれ!? この人って、まさかあいつの彼女さんなのか? うわっ、よく見りゃスタイル抜群じゃん。


「まだそこに居たのですか。なんです? ああ、頼まれていたのですよ。長旅で疲れているようだから、目を覚ますまでゆっくり寝かせてあげてほしいと」


 え!?


「起きたのなら、さっさと食堂へお行きなさい。いつまでも片付かなくて困っているはずです。『彼女に自分の分を回してほしい』と食堂の方にも頭を下げてましたから。まだ貴女の分が食堂に用意されているはずですよ」


 彼女って……えっ、あたし!? あたしのため?


 言われたとおりに食堂へ行ってみると、本当に飯が用意してあった。


「……なんなんだよ!? あいつはぁ」


 飯をかき込みながら毒づいてた。だって、あいつときたら、もうこの里を旅立ったっていうじゃないか! ああ、そうだよ、厨房の奥で話してるのが聞こえてきたんだ。


 なんだ!? 馬鹿なのか? 人に貸しを作っておきながら、そのまま居なくなるなんて……。


 男なんて生き物は、女に貸しができようものなら、碌でもないことばっか要求してくるって、先輩たちから聞いてっぞ!


 女の体をじっとりと舐め回すような目つきで嬲りながら、「借りは返すもんだよなぁ。人としてよぉ。ぐへへ」とか言い出すのが、普通なんだろ?


 道理を説くような口振りで、その実、やってることは人の弱みにつけ込んで、どうしようもない最低なことばっか。あれっ!? ……なんの話だっけ?


 そ、そうだよ! あいつが馬鹿だって話だ。


 昨日だって、そう。斬り刻まれたり、魔術喰らったりで、散々な目に遭ってたはずなのに……いっこうにやり返してこないし。


 あ……そうだよ。あれだけ魔術に長けてるんだもん。もし、その気になって、ほんの少しでも敵意を向けてきてたら、あたしなんて消し炭にできたはず……。


 なのに、なんなんだよ? なんの見返りを求めずに自分から居なくなって、どうするんだよ!? 颯爽と姿を消しやがって……あたし、どうしたら……。


 いや、まだそんなには出立して時間が経ってないって話だ。今から急げば、まだ追いつけるかも。


 どうせしばらくは、どこへも抜けられない一本道だから、見失うこともないはず。


 とっとと追いついて、ひとこと言ってやる。でかい借り拵えたまま置き去りにされた、こちらの身にもなれと。


 よしっ! そうと決まれば、お世話になった方に挨拶して、すぐ出発だ。


 エルフの郷を飛び出すと、すぐさま瞬動の魔導具に魔素を注ぎ込んで走り出す。くっ、この加速感、たまんねえ!


 …………うっ、でも、坂はだめ。つ、疲れる。異様に疲れた。だめ……もう駄目。ふうっ、はあっ、こ、これはっ……坂には……長距離にも……向か……ない。


 すぐに息が上がっちまいやがった。


 貰ったばっかで、いまいち性能を把握してなかった。


 葛折りを登り出してすぐ気づきはしたけど……はぁ、はぁ、ふぅ。物見台にいたエルフの視界から外れるまでは、どうにも格好悪くて、立ち止まれなかったんだ。


 しかも、なんでまた、いつまでもあたしの方をずっと監視してんだよ?


 はあ〜、少し……落ち着こう。ふぅ〜っ、はぁ〜っ。


 あいつ、どの辺まで行っちまったかなぁ?


 他人に手を差し伸べた挙げ句、なんの対価も要求せずに人知れず立ち去るだなんて。おまえは物語に出てくる勇者か? まるであたしの理想としてる勇者そのものじゃないかよ。


 いや、そんなはずねえ。ほんとは他の男共のように、醜い面が少しぐらいはあるんだろ? でないと……勇者としてのあたしの立場が……。


 くそっ! さっさと追いつくぞ。


 今度はペースを守って走った。


 み、見えた! あれか? 意外とのんびり歩いててくれて助かった。


「聞いたぞ! 町を目指しているらしいな。なぜ、あたしを頼らない?」


 門番役にも確認は取ったからな。もう早合点しねえぞ。


「いや、普通さぁ。隣町までの道案内なんて、勇者様に頼めないだろ?」


 普通じゃないだろうがっ! あんたは。それに、あたしに貸しだってあるんだし。


 ここは勇者らしく振る舞って、様子見か? さて、どう出る?


「いやいや、勇者様にそんなお手間は。お忙しいんでしょう? 魔王退治とかで」


 おっ、早速来たな。それでいいんだよ。


 これでやっと……。


「いや、こちらの方こそ、すまなかった。少しばかり言葉が過ぎたようだ。許してくれ」


 いやいやいや、違う! 違うだろ。あんたが謝って、どうする?!


 それ下手に出てやったぞ。そこだ、食いついてこいっ!


「もういいですって。さあ、頭を上げて。お互い忘れましょう」


 そうはいくか。こちらの借りを返させろっての! でも、どうする? いつまでもこうしてられないし。


「まあ、それは構わないが、急いでたんじゃないのか?」


 あぁ、この汗か。追いつこうと少し無理したからな。


 あ、それに、あんな説明じゃだめだ。これじゃ借りを返すことになってない。はあ、馬鹿正直に言うなっていつも言われてるのに……。


 いや、他に誰もいない田舎道、それも逃げ場がない空間で女と二人きりとなれば、こいつだって……。ふふふ、いつまでそんなすまし顔のまんまでいられるかな?


「それじゃあ、最寄りの町まで、案内よろしく」


「おう!」って、しまった! いつもの癖で……もうちょっと色っぽく話しておくんだった。


 でもやった。これで勝負あったな。これでやっと、って……あれっ!? なんの勝負だっけ?


 し、しまったぁ。またなんか暴走してた!?


 こいつの勇者然とした振る舞いを前にし、変にあてられてたのか?


 はあ〜、勇者認定を受けた辺りから、なんだか空回りばっかだ。少しは落ち着けよな。


 ──しばらく並んで歩いているうちに、少しずつ会話が弾んだ。


 この人の名前はタカシ・イトウ……。


「いや、最初に会ったときにも、ちゃんと名乗ったろ?」


 あ、そんな気も。


「すまん。あのときは……その……聞いたら呪われると思っててだな」


「はぁあ!?」


「いや、真名隷属かと……」


「いやいや、逆だろ? 妖精とかで考えてみても」


「いや、確かにそうなんだけど……なにせ魔王だし。あ、いや、ごめん。あのときは魔王だと思ってたから、つい」


「……」


 そんな目で見るなって。分かってる。分かってるから。ごめんなさいって。


 まだなんか隠してることはないのかと言われたもんだから、つい色々と話しちまった……。子どもの頃の事とか、勇者になったいきさつとかまで、知らぬ間に、随分といっぱいな。


 孤児院の兄弟たちとだって、これほど気軽に話せたことなんてないのに。


 だって、こいつったら、やたらと緩いんだよ。こう、なんていうの? ほらっ、全体の雰囲気が、なんか隙だらけで……こっちではあまり見かけない感じの。


 いや、腹の内を隠して、しれっと近づいてくる奴はいるけど、こいつは……そういうのとは違う。


 異世界人って話だったけど、そっちの住人って、みんなこんな感じなのかな? それともこいつだけ? なんか調子狂うんだよ。


 戦いが終わった後の、あんときだって、そう……エルフの郷へ行く途中、こいつのそばに近づくと、なんだかとっても温かいっていうか、心地好いというか、安心してほっとしたんだ。どこかそんな雰囲気が……。


 だからこそ、逆に不安になって、こいつから距離を置いてたってのもあるし。


 あの時は戦闘の興奮で熱くなってるせいだとか、エルフから助力を得られるかもしれないという期待感だとか、そんな風に必死に思い込もうとしてた……けど。


 でも、もう分かった。これがこの人なんだって。そばでこうしていると解る。だって、前とは打って変わって、今は爽やかな印象なんだけど、まるで澄み切った水に包まれているようなんだもの。大きい! すっごく大きな人。


 こう、身体の中を清められるみたいに洗い流される……心を揺さぶられるような……あ……。な、なんか変。


 いやいや、それにね。年齢を訊いてもびっくり! えっ、あたしの倍以上って!? ううん、むしろ三倍に近いくらい……。でも、全然、皺なんてないの。シミどころか、日焼けすらしてない。


 でも、家名持ちだったのを思い出して、「いいとこのお坊ちゃんか?」なんて訊いたら、「事務職だったから」と笑ってた。


 事務職って、なんだ? そんな疑問が顔に出ていたんだろうけど。この人は何か、はにかんだような顔で答えてくれた。


「一日中、屋内で書類作ってたからな」


 おいおい、それだけでほんとに仕事になるのかよ? それが本当なら、よほど大きな商会とかだよな。


 全然日焼けしてないのは、そのせいか。はあ、すっごくきれーな肌。まるで聖樹様みてえだ。


 エルフたちも皆、嫌みなほどきれーすぎて、女としてなんか負けた気がしてたけど。


 いや、違うな……この人は、なんかこう、もっと違った現実みのある清潔感? なんだかいつも洗い立てみたいな。


 うん、だからか、年齢ほどの歳には見えないのって……そう、あたしより少し年上って感じにしか。


 このやわな見た目に反して、そばに居るだけで妙に落ち着くの。こんなにも気を許しちゃいそうになるくらい。


 うっ、本物の男ってのは、こんなにもか!? 器が……大人の包容力、半端ねえ。


 あぁ、そっか、勇者なんだ! 異世界の勇者!! でなきゃ、おかしい。やっぱそうだよなぁ。


 くっ、あたしも負けてられない。同じ勇者としても。お、女としても?


 そういや、シスターロアがなんか言ってたな。あたしが孤児院を出るときにも。なんだったっけ?


 えっと確か……「良い女には秘密があるものなのよ〜」とか、どうとか。ふふ、シスターなのになぁ〜。


 そもそも、秘密ってなんだよ!? どうすんだ?


 あたし、訊かれたら黙っとけない質なんだけど。秘密とか、絶対無理っ!


 そういや、シスターたち、今頃どうしてっかな? って、いつもどおりか。


 ここはいっちょ、あたしも良い女を装うべきか? 秘密の一つでも持っておくのが正解なのかな? 勇者としてはよく分かんねえけど。


 いや、要は相手に分からなければいいのか? なら、いけるか。


 う〜ん、でも……何がいいのやら?


 考えに耽っていたら、突然、どうやってエルフの郷まで来たのか質問された。それに正直に答えてやったってのに……。帰り道をうろ覚えじゃねえかと疑ってきやがって。ったく、素人じゃねえっつうの!


 それにしても、これだけ速いペースで、しかも話をしながら移動してるってのに、息も上がらず余裕で付いてきやがる。ふっ、ぜってえ一般人じゃねえだろうが。


 やっぱ、勇者だ……でも、日焼けしてないなんて、ありえるのか?


 いやいや、そんなことよりあれだ。あのパンだ! 一体あれって、なんだったんだよ?


 あんな旨いもん、食ったことねえぞ。


 食材の良さもさることながら、こいつ、なんて腕の立つ料理人なんだよ!?


 異世界、侮れねえ! この料理人勇者は凄い。

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