15話 全く……読めません
翌朝、改めて風妖精シルフこと、スプライトを呼び出してもらい、仕切り直す。
「そういや、スプライトってさぁ、妖精全体を総称した意味だったよな?」
この発言がまずかった。
『あんたねぇぇぇーーっ!』
烈火のごとく、怒り散らす風妖精。背後に炎が!? ……風妖精なのになぁ。
「おまえほんとは、火の妖精なんじゃ……いや、冗談です。はい、すみません」
『あたしはねえ……そのことをっ……言われるのがっ……いちばんっ……あたまに、くっ、るっ、のぉっ!』
妖精仲間からも、度々、からかわれているとか……。まあ、俺の名前に人間って付けるようなものだからな。
そうとは露知らず、音の響きが気に入って、自分で名乗ってしまったようなのだ。
「別に通り名なんて、本名じゃないんだろ? 名前、変えればいいじゃん」
『変えられるのであれば、こんな顔してると思う?』
「さいですね」
ふ〜ん、通称名ってくらいだ。普通、あだ名かと思ってたけど、自称ってのもあるのか。
まあ、本名と違って、親が名付けるもんじゃないんだろうけど……一体どうなってんだ?
頭の上でプンスカするのはまだ我慢するとして、髪の毛をブチブチ毟り取るのは止めてくれないかなぁ。ぼーっとしながら、彼女の怒りが収まるのを待つ。
つうか、最初は手で払ってみたのだけど、どうにも妖精には触れなかったのだ。そのくせ、あっちは触れるときてる。なんかずるくなぁい?
でも、ちょっと、こいつに興味が湧いてきた。
「妖精って、どうやって生まれてくるんだ? 自然発生とかか?」
半ばふざけて訊いてみる。
『起きる?』
ん!? また訳のワカラン回答を。しかも、なぜ疑問形?
問いただしてみても。
『だから、起きるのぉ』
この一点張りで、埒が明かなかった。
まっ、いっか。ほんとこいつと一緒に居ると、なんかどうでもいいと思えてくるから不思議だ。
ふとレイノーヤさんと目が合う……やばっ! どうやらこちらの話が終わるのを待っていてくれたみたい。なんか申し訳ないことをした。
頷くと、魔術講義の話に移ってくれた。
「それでは、まず、一番簡単な風魔術を使ってみます。よく見ていてください」
レイノーヤさんが左の手のひらを正面に向け、腕を突き出した姿勢で構える。
次第に身体全体が薄ぼんやりと淡く光り出した。
その直後、手首の周辺を取り囲むように、真紅よりも少し明るめの、猩々緋色に輝く魔法陣が現れる。
「【ブリーズ】」
一言、唱えたかと思うと、身体全体を包んでいた淡い光が一瞬で手に収束したかのように見えた──次の瞬間、一陣の風が巻き起こる。そして辺りの落ち葉をひとところへ掃き集めていた。
横から見ていた魔術発動の流れは、だいたいこんな感じだ。
お手本を見せてくれたレイノーヤさんにそのことを伝えてみると、満足そうに頷いてくれる。
「よくできました。正解です」
きっと今のだって、俺に手本を見せるということもあって、特にゆっくりとした手順でやってくれたのだろう。魔術の錬成過程を意識的に区切って、発動までの流れを理解しやすく示すために。
俺が初心者であることをきちんと配慮してくれている。
普段のレイノーヤさんは、どこかあっさりとしたイメージがあるのだけど、こういったちょっとした気遣いをちょいちょい覗かせる。
ついドキッとさせられてしまうんだ……これもギャップ萌えかな?
『なによ!? あんた。こういうのが好みなの?』
「今は授業中なので、お静かに」
『ふんっ。………………………………』
スプライトがレイノーヤさんの方を見つめてる。
「あ、失念してました。確かにそうでしたね。これではいけません──」
レイノーヤさんが突然はっとしたように、訂正し出した。どうやら、こうした初歩の魔術であっても、通常は詠唱を必要とするらしい。
とはいえ、風妖精の加護を持つ彼女の場合、以前も言っていたとおり、この程度の魔術であれば、発動キーとなる【言霊】の発声だけで、風魔術が発現してしまうそうなのだ。
というか、敢えて意識しないと、スプライトから魔法線を通じて流れ込んでくる魔力によって、風魔法が発現してしまうのだとか。
普段からしてそうなのだから、詠唱呪文をど忘れして出てこなかった。どうやらそれが真相みたい。
無表情なりにも、とぼけて隠そうとしてる雰囲気をそこはかとなく感じる……もう、うっかりやさん。見た目は冷徹なできる教師といった風貌なのにな……うん、これもギャップ萌えだな。
「本来は、杖を事前に構えてから、呪文を詠唱します。杖に仕込まれている魔術錬成補助機能を使って、魔法陣を形成するのが正式な手順ですね。しばしお待ちを」
口早にそう告げてきた直後、レイノーヤさんは金色の髪をなびかせて走り去る。
あれ!? スプライトまで居ない。
後には、陽光を受け、やけに輝く金色の一本の髪だけが、湧き起こった風で宙を舞っていく。
広場に一人、俺はポツンと取り残され、それを目で追っていた。
手持ち無沙汰で辺りを見回してみると……物陰からこちらの様子をこっそり窺っていた愛くるしい少女と目が合った。
手を振ってあげると。
「きゃっ!」
顔を赤らめて一目散に逃げ出してしまった。
あはは、驚かしちゃったかね。
途端、どこからともなく厳しい視線が降り注いだ。うっ。
相変わらず、女性の視線ばかり。男を見かけない。うん、そうなんだ。この集落に来て、まだ一度も男に会っていない。
最初は力仕事か、狩りにでも駆り出されているのかと思い、それほど気にしてなかったのだけど。ただ、こう何日も見かけないとなると、ちょっと気にもなってくる。
しばらくすると、風格すら感じさせる分厚い本を大事そうに胸に抱え、レイノーヤさんが疾風のごとき速さで舞い戻ってきた。
どうやら魔導書を取りに戻ってくれていたようだ。
急いで走ってきて、急に止まったものだから、魔導書を投げ出しそうになって、慌てて抱え込んだようにも見えたが……。うん、あの魔導書になりたい。
「それにしても、速いですね」
「これも風妖精の恩寵です」
そう応えるレイノーヤさんは、無表情なのに、どことなく得意気な感じが窺えた。
「体重が軽くなるのですよ」
「へえ、どの程度ですか?」
「……」
実際、どの程度軽くなるかは明言してくれなかった。やっぱ女子だのう。
だが、確かに身体が軽くなるという物理的な恩恵があるのは確からしい。
世の女性からしたら、誰もが羨む現象。おそらくは垂涎の的なのだろう。
これほどスレンダーで、スタイル的にはこれ以上望むべくもないレイノーヤさんであっても、これだ。
それ以上痩せて、どうすんだ? と、男の俺としては思うんだけど……。女の子って、ぷにぷにしてるからこそ、かわいいのに。なんで痩せたがる?
『えっ!?』
いや待て。この場合、痩せずして軽くなるんだから、最上か!? ぷにぷにしてる上、体位とか入れ替えやすくなるし。
まあ、そういった男心ならよく理解できるが。ああいった女心は俺には理解できんな。
「そういえば、里の男衆はどこで、なにしてるんですか?」
先ほどの疑問を早速ぶつけてみたのだが……。
「男衆ですか? 今はこの里に男化してる者など一人もいませんけど──」
これまた、びっくり仰天の回答内容──なんと! ウッドエルフには性別がありませんでした。
普段は誰もが女性の見た目。見た目が女性。
カップル、あれっ、カップルって、言い方って古い? その辺よくわかんないけど、まあいいや……えっとね、お互いに意気投合して、とにかくカップルができて、しばらくすると、片方が一時的に男性化するらしい。
といっても、一部分だけ。そう、あそこがね。
「両性具有になりますね」
うっ、レイノーヤさんの口から聞くと、なんとも淫靡な響きに感じる。
栗とリスが大きくなって、オスの根に。後はご想像にお任せします。
これ以上、おっさんが口にすると、倫理的に問題になりそうなので……。
いやいや、でも、すごくなぁ〜い?
見た目があの美麗さのままで、生えてくるんだよ。百合的なイメージというよりも、☆塚的なイメージ?
ここまでが限界ですか?
はあ、なかなか魔術の実践に進めないなぁ。
『あんたのせいじゃない』
「えっ、俺の!? ああ、質問のせいだったか!? 失礼しました」
「それでは、続きを始めるとしましょう」
レイノーヤさんが杖と魔導書を差し出してくれた。
「えっと、ありがとうございます。では、お借りします」
いや、でもですね。
片手に杖を持っているもので。初歩の火魔術のページを開いて、魔導書を渡してくれるのはありがたいのですが……。
「ちょっと待ってくださいね」
杖をベルトの隙間に差すまで待ってもらう。
改めて、レイノーヤさんから開いたままの魔導書をいかにも仰々しく受け取った。
むっ!? こっ、これは! むむむむむっ。
「すみません。全く……読めません」
うぅっ、失念してた。
あまりにも同時通訳以上に自然な感じで、音声が語意変換されてたものだから、忘れとったがな。
まさか……文字が読めないとは!
「……」
がっかりな子を見るような表情を湛えたレイノーヤさんのお姿が……。
うん、その筋の人にとっては、きっとご褒美なんだろうけど。普段、里の人達からも似たような目に晒され続けてる、今の俺にはちと辛い。
「いえ、えっと……母国語であれば、きちんと読み書きくらいできるんですよ。なにせ、こちらの言語は今、初めて目にしたもので」
一応、識字力の問題ではなく、外国語の問題であることを釈明しておいた。
はあ、やっぱ、一から文字を学ばなきゃ理解できないのは当然か。元々知らん言語だもんな。
『なら、なんとかなるかもよ。ちょっと待ってて。レイちゃん…………そう、そういうこと』
スプライトに何かを告げられたレイノーヤさんが、俺の横に並ぶようにして、魔導書を覗き込んできた。ちょっとドキッとする。
『ほらっ! これでどう?』
スプライトに問われた瞬間。
「おぉぅ!? ……わ、わかる! なんじゃこりゃ?」
あたかもスプライトの一言を合図にしたかのように、文字の内容が鮮明に理解できるようになった。今まで単なる文字の羅列で、あんなにもチンプンカンプンだったというのに。
『へへん! どう? 褒めていいよ』
どうやらスプライトの発案のようだ。まずはレイノーヤさんが魔導書を読み、浮かんできた思念を、契約妖精であるスプライト経由で俺に伝えてきた、という……なんとも七面倒くさい方法を模索してくれたようだ。
ドヤ顔のスプライトがなんかむかつく……。でも、俺のために、わざわざこんな面倒なことを試してくれたわけだもの。ここは感謝すべきかな。
『当然ね』
先ほどのレイノーヤさんの呆れ顔にしても、なにも蔑まれていたというわけではなかったようだ。あれっ!? ……そうなんですよね? えっ!? どっち? レイノーヤさんの無表情からでは読み取れん。
「んっ! あれっ!? でもさぁ、これって、普通に読み上げてくれればよかったんじゃないの? ああ、違うのか。音声伝達だと正確に意味が伝わらないとか、そんな理由があって駄目だったんだね。そっかそっか」
『えっ!?』
「あっ」
どよんっと音がしてきそうなほど、なんか二人とも急に落ち込んじゃった。
二人が少し落ち着いてから訊いてみると、どうやら声に出した方がむしろ魔術の言霊的には有効ということを告白してくれた。
言い終えた後、また、どよんっとしちゃったけど。
なんとか励まさないと……。
「えっと、どんまい……お気遣い頂いたそのお気持ちがなによりも嬉しいです。はい」
『「……」』
うっ、上手いこと励ます言葉が出てこんかった。やっぱ、ありきたりすぎたか?
はあ、なにがきっかけで人が落ち込むかわからんもんだな。
まだ、いつもよりもだいぶ時間が早いけど、結局、うやむやのまま、本日の講義も終わりとなった。
なんか、ごめんね。
あはは、明日こそ、魔術を使ってみせる!
もうすっかり、暑苦しさなんて、影を潜めていた。風がめっちゃ心地好い。
長い夜にも……もう慣れた。夜とは長い付き合いだから。




