“本邸事変” その2
ここにあっても不思議じゃないが、それをネゾネズユターダ君が手に入れるのは簡単ではないはずだった。
そう思って聞いてみると、『転送ゲート』の魔導書の入手は簡単だったそうだ。ザラッラ゠エピドリョマスの名前を出したら図書室には入れたし、本の持ち出しも問題なかった。魔法学校と違って価値があまり理解されてなかったんじゃないかとネゾネズユターダ君は言った。
「ただ、ちらっと見たんだけど、ものすごく高度な物理魔法だった。僕でも分からないところがあったし」彼は娘を抱っこしたままそう言った。一応、といった感じで私に魔導書を差し出す。「まあ、読んでみて」
私はそれを受け取った。ネゾネズユターダ君は娘を抱えてよく分からない地元の子守唄のようなものを歌い始めた。言葉は分からないがなんとなく音の響きが南西蛮族っぽい。独特のリズムと音階だ。私は受け取った『転送ゲート』の魔導書の表紙を見た。厚紙に金属の鋲が打ってあり、書かれているのはタイトルだけというシンプルなものだった。魔導書の表紙はかっこつけて装飾に凝ったものと、逆にシンプルすぎるくらいシンプルなものに二極化される。前者は国家事業として編纂されたものに多く、後者は個人の魔法使いがまとめた自費出版に多い。「作者の名前もないのは潔いな」
「作者の名前は後ろに書いてあるよ。えーと、シュホなんとかフリーなんとか」
「シュホセヘリャチキョ・フリーヨヒヅ」私は本の奥付を見ながら言った。「名前の感じからいって、200年くらい前か、もっと最近かな。物理魔法の高度成長期だ。……なんで奥付に出版年を書かないかねえ」
「後書きに書いてあるよ。前書きの謝辞も充実しているから、君の趣味に合うんじゃないかな」
「へー」私は本を閉じて引っくり返した。裏表紙を見て、背表紙を見る。保存状態はかなりいい。「けど物理魔法なんだね」
「うん。たぶん僕一人では唱えられない。何人かで唱えないと無理だと思う。スタック盛り盛りの杖も要るかもしれない」
「『スタックは甘え』」私は魔法学校の名物先生の口癖を真似た。レシレカシの学生の間では定番の物真似である。「まあ、それはあとで考えよう」私には唱えられないと分かったら別の手段を考えないといけない。『真空結界』もそうだが、かなりの難魔法になりそうだな、これは。『転送ゲート』と『真空結界』、そこに新魔法の『保温』も組み込むとなると確かに専用のスタックを備えた杖の開発から始めないといけないかもしれない。
燃えてきた。3人目の子供の出産前に完成させるぞ。
私は表紙をめくって序文を読み始めた。人々のモラルの低下と治安の悪さを嘆く定番の愚痴から始まり、最近の魔法使いの質の低下と勉強不足を指摘して、そこから自分がいかにそいつらと違う真面目な努力家であるかのアピールが始まる。こういう序文は大好きだ。思わずよだれが出る。「ぐへへ。最高の序文だな」
「でしょ?」ネゾネズユターダ君が嬉しそうに言う。
それからいかんいかんと本を閉じた。こんなところで読書にふけるわけにはいかない。「まあ、とにかく今日のうちに帰れるように話はついた。移動しましょう。帰るよ」
「それでいいの?」ネゾネズユターダ君が急に冷静な声になった。意外そうな顔で私を見ていた。
「え? なにが?」
「このまま帰ると、こっちはナメられたままだよ。二度とうちに手を出すなって分からせる必要があると思うな」真面目な顔で言う。
「手を出すなって警告はしたけど……」私は彼の言う通りだと思った。「そうだねえ」
私の警告には父の行動を制限する効力はなかった。父が私たちに手を出すことのリスクは娘殺し孫殺しの汚名によって名誉が傷つくことにある。私の脅しではない。そして私自身の名声は地に堕ちているので適当なでっちあげで名誉を守ることはできるのだ。つまり私たちの安全を保障するものはほとんどない。こういうとき、気を利かせた父の家臣が命令も受けずに行動し、『ホセデレズバの代わりに厄介な娘と庶子を処分しておきました』と忖度する可能性もあるのだ。そしてその忖度を父は褒めこそすれ責めはしないだろう。『うむ』と言って終わりである。
「1人か2人は殺って、こっちが本気だということを分からせておこう」ネゾネズユターダ君が言う。娘を抱きながら言うセリフじゃない。娘が口真似をして、やるー、やるーと言った。
「んー」そうは言っても、私がやるときはやる女だということも父は知っているはずだ。帰り道の数日間で今回の件が“ダトベ城の虐殺”と呼ばれていることを知った。あれを把握していれば、こっちを敵に回したいとは思わないはず……。「いや」私は娘の顔を見て考え直した。「目の前で殺してみせないと父には分からないかもな」
ネゾネズユターダ君は私の肩にポンと手を置いた。「こういうのはどの土地でも変わらないよ」
「不意打ちじゃなくてきっちりやっておこう。1人だけね。お互いに1人ずつ。そのときに立っている位置で決めよう」
「分かった」
「『光電球』はやめてね。あれ、うるさくて耳が痛い。子供の耳にもよくないよ」
「分かった」
不満そうな顔だった。「『光電球』、好きなの?」
「使っているうちに用途と目的が分かってきて」
私が寝ている間にそんなに使ったのか。「どんな用途?」
「人が止まるんだよ。あれ。マンストッピングパワーっていうやつ。『火球』や『風の刃』だと人は動けるけど『光電球』は無理」
「ふーん」物理魔法の実践がネゾネズユターダ君の勉強になったというのは彼の雰囲気で分かった。「けどやめてね。『魔法の矢』で眉間を抜くとかそんなのにして」
「君はどうするの?」
「『失明』にしようと思う。『発狂』じゃ分かりにくいし」
「なるほど」
「『勃起不全』もいいけどね」私は笑った。
「最悪すぎる」彼も笑った。
ネゾネズユターダ君が私の杖を寄越した。それを受け取ると控室のようなその部屋の扉に近づき、「そろそろ出るわ」と声をかけた。
「はっ」廊下から返事が聞こえた。
「最後に2人に挨拶がしたいから案内してくれない?」
「分かりました」
誰かが小走りに動く音が聞こえた。
さて、そろそろ家に帰ろう。




