子供たちの回復
2歳になる娘は旅の前半では生まれたての幼児のようだった。しかし私は脳の損傷が回復しているのが分かったし、急速に元の状態に戻っていっているのが分かっていた。8日目の夜、明日には王都に到着、そして彼女の3歳の誕生日という日に、私は彼女の声を初めて聞いた。その日の朝には立ち上がって歩いていたのでその日は近いと思っていた。普通の2歳児相当に回復してしまうとそこからの変化はあっという間だった。
あ、そうそう。子供の名前をどうするかについてはネゾネズユターダ君とも話し合ったけどこのときはまだ決めかねていた。ここから養子に出すなら新しい名前の方がいいかもしれないという遠慮があった。とはいえ乳母の方は普通にパビュ゠ヘリャヅとピュゴダ゠グスと呼ぶので仮にそれで通すことにした。パビュ゠ヘリャヅ・ギュキヒスというのが娘の名前ということになる。この名前のまま養子になったら苦労するのが目に見えていた。とはいえ、最終的に2人の名前はそのままということになり、案の定、2人とも私と同様に自分の名前の存在感に苦労することになるのだけどそれはまた別の話。
2人の名前にも私の名前にもちゃんと意味はあると思う。私は分からない。私は帝国時代の専門家だけど実家の歴史には疎い。名前の意味は分からないが、私が言うのもなんだけどパビュ゠ヘリャヅもピュゴダ゠グスも覚えにくいし言いにくい。見栄や箔をつけようという貴族趣味全開の名前だと思う。一方で、自分もそうだから、子供たちの名前もこれでよかったようにも思う。あまり地元で流行の名前にするのもそれはそれで嫌というか……結局、貴族趣味が自分にもあったということかもしれない。
娘が昼には喋れるようになったと聞いて、乳母や使用人が休憩の時間になると娘を私のところに連れてくるようになった。私を見ても泣きはしないが、じっと顔を見て口をつぐむだけだった。顔を見れば親子だと分かりそうなものなのに、その表情には「誰だこいつ」という感情が出ていた。お前のママやんと突っ込みたくなるのをぐっとこらえて、彼女を抱き上げて、「はーい、ママですよー」とやってみた。抱っこされた彼女は私の顔をじっと見たまま微動だにしなかった。
「なんかめっちゃ観察されてるな」私は娘を持ち上げたまま言った。
「よく似てるよ」ネゾネズユターダ君は言った。「表情が」
「そうかなあ。巻き毛がネゾ君そっくりだよ」
「髪の色が君と同じオレンジじゃん。肌は彼女の方が白いけど」
「ネゾ君に近い」私は地黒というか日に焼けやすいので日の短い季節を除いて常にメラニンが出ている。白いのは尻とか股間のごく一部だけだ。別に私だけでなく母もそうである。夏が似合う女なのだ。娘はまだそこまでではない。「あ、けど、これから黒くなるのかな?」私は抱っこしていた彼女を下ろした。ゆっくりと両足を地面に付けて手を離す。ちょっとだけふらついたけど二本足でぐっと立った。私はしゃがんで、「えらいえらい」と撫でた。
そんなわけで昼間の休憩中も娘は無言で私を見るだけだった。懐かない憎たらしい感じが自分にそっくりでニヤニヤしてしまう。外見はネゾネズユターダ君に似てるけど、性格が私に近そうというのはなんとなく分かった。
日が落ちて邸宅の1つに私たちが落ち着くと乳母たちはまた子供を私の部屋に連れてきた。
息子は乳母に抱っこされて、娘はとことこと床を歩いてきた。
娘はどすどすといった様子で床を歩き——あの歩き方は本当にかわいい——そのままネゾネズユターダ君のところまで行くと両手を広げて、「パパ、抱っこ」と言った。
これが私が聞いた娘の最初の声だった。昼間にも私たちのいないところで何か喋っていたらしいし、ネゾネズユターダ君は以前に城で聞いていたけど、私が魔法を唱えた治療後には彼が聞く初めての声だった。まだ舌足らずで声も小さかったけど、確かに喋っていた。
ネゾネズユターダ君はしゃがんで彼女を持ち上げると、よしよしといって彼女を抱っこした。その動作はやはり慣れていた。安定感があった。娘は父親の肩に顎を乗せていたが、目を閉じるとすぐに寝てしまった。「あ、寝た」
「ママの抱っこはいらんのかい」私は突っ込みを入れた。
乳母が自分の抱えていた息子の方を渡してきた。「まあまあ、息子さんを抱っこしてあげてください」
「お、おう」私はそちらを受け取り、首を支えながら両手で抱っこした。
一瞬だけぐずったが、すぐにおとなしくなり、されるがままになった。
「はーい、ママですよー」私が言うと、2ヶ月の息子が何か言った。「ん? なにか言った?」
ネゾネズユターダ君と乳母が私を見た。半信半疑といった顔だった。
ネゾネズユターダ君が、「気のせいじゃない?」と言い、乳母が、「そうですよね」と言った。
その反応が面白かったので私は調子に乗って大声を出した。「いや、言ったね。『ボルデル・ミュゲサウヘリャニチーモヨの深謀遠慮』の一節を高らかに唱えたね」
「帝国時代の思想書を語るとはデキる新生児だな」ネゾネズユターダ君が突っ込みをする。「なんなの、そのチョイス」
「咄嗟に出てきただけ」私は笑った。
ネゾネズユターダ君は自分の腕の中で眠る娘に語り掛けるように話した。「知識人のお母さんの悲しいマウンティングでちゅねー」
「おい。変なイジりはやめろ」私は怒った。「誰が知識人だ」
まあまあと乳母がじゃれあいに合いの手を入れて終わらせた。
私が抱っこしていた息子もいつの間にか寝ていた。
しばらくそのまま雑談をしていた。子供がなかなか起きないので2人で子供を寝室まで運び、その日は終わった。乳母に言われて翌日が娘の誕生日だと知った。
忙しいのでギュキヒス家で何かできるというわけではないが、明日のうちに転送ゲートからレシレカシに移動したいものだと思った。そこで3歳のお祝いができるかもしれない。




