“ヂゲリュツ城の解放” その2
立派な商人の服装をした、明らかに様子のおかしな男はそれ以上の加害性を見せなかった。まっすぐに私たちの方に近づいてくること。「魔法使いに用がある」と同じ言葉を繰り返すこと。それだけだ。
私は周囲の面会にやってきた女性たちに聞いた。「あの男に心当たりはある?」
全員の反応がなかった。
格好から、もともと精神に異常のある人間だとは思えなかった。
久し振りに鳥肌が立った。後頭部に痺れるような緊張が走った。口の中が乾いた。
私に人間をこんな風にすることはできない。
やり方は分かる。『人真似』のように聞いたことを繰り返させたり、受けた刺激をそのまま繰り返させることは精神魔法でも可能だ。精神魔法で人を操るのは無理でも、単純な動作ならやらせることができる。しかし特定の人間に向かってここまでのことをやらせるのは複雑な条件付けが必要だ。そこまでの精神操作は私にはできない。
もう1つ。私には治せない。魔法の影響を受けてる神経回路だけを戻せば治せるが私にはできない。そこを壊して再生させることはできる。回復に数年かかるし、元と同じには戻らない。
「魔法使いに用がある。魔法使いに用がある。魔法使いに用がある」
放置しているといつまでも繰り返しそうだ。
私は杖を構えた。唱えず、「これから『眠り』の魔法を唱えるから彼が倒れたとき支えてやって」と言った。
誰からも返事がなかった。
私は横にいた護衛の兵士に言った。「あなた。彼に近づいて倒れたときに支えて」その兵士はまだ剣に手を置いて固まっている。「分かった?」
「え? あ、はい」兵士はやっと返事をすると上半身を傾けたまま歩いてくる男にじりじりと近づいた。
私は『眠り』の魔法を唱えた。ちゃんと効いた。睡眠欲は本能に近いので他の行動を止めることができる。立ったまま睡眠に入り、そのままだと頭を地面に打ちそうだったが兵士がそれを抱き抱えた。
最初に近づいたのは私ではなくネゾネズユターダ君だった。鑑定をしている。私が側に着いたときには終わって報告を始めた。「治せるかどうか分からない。かなり強い魔法だ」
彼の声に冷たいものがあったのはこの商人がブユ族ではなかったからだと思う。また、治せるかもしれないと言わなかったのは賢明だった。迂闊にそういうことを言うと駄目だったときの民衆の反動が怖い。
「完全に目をつけられたな」私は言った。兵士が地面に下ろした商人を見た。普通に寝ていた。
「ごめん」彼の声は淡々としていた。謝罪よりも戦いの方に頭が切り替わっていた。「君にも気づかれてる。1人でやりたかったけど、君も一緒の方がよさそうだ」
私の頭も切り替わっていた。「まあいいよ。今から出て城の日帰りはできそう?」
「できると思うよ」
「『遠隔子宮』の転送ゲートの距離って伸ばせない?」
彼は険しい顔になった。すぐに口を開いた。「練習が必要だと思う。今日のうちにやるなら魔力は温存しておきたい。乳母車に『魔力隠蔽』の結界を張って誤魔化す」
まあ、短期決戦にしかならないもんな。どう考えても1分以内に決着がつく。
「よし。それで行こう」
悪童妖精で有名なのはオチャリ・イバンテ・メヴル・ジジャクデズで、昔話とか民間伝承の中でよく名前が出てくる。私も彼の物語を通じて悪童妖精の想像を膨らませたものである。眠らせた商人を詳しく調べると、脳神経のほとんどは無事で、操作されたところを戻せばほぼ元の状態に戻ることが分かった。しかし元の状態が分からないので私には戻せない。実際の悪童妖精の“仕事”に触れると、ネゾネズユターダ君ではないけど興奮するのも分からなくはなかった。子供の頃に聞いたおとぎ話の実力が、大人になると目に見える距離で遥か先を行っていると理解できる。1対1で勝てるとは思えない。しかし私が防御してネゾネズユターダ君が物理魔法による攻撃に専念すれば充分に勝ち目はあった。あとはこちらの知識にない魔法を向こうが使ってくるかどうかだ。自慢じゃないが記録に残っているオチャリ・イバンテ・メヴル・ジジャクデズが使った魔法についてなら全部把握している。ネゾネズユターダ君の話や地元に残る話を聞いても、城に棲むドラゴンの相棒ブラキュテピャグが伝説の悪童妖精より実力が上ということはないだろう。
実際には予想外が2つあった。
1つはブラキュテピャグの能力も伝説級だったこと。もう1つは、自覚がないだけで私もそっち側だったことだ。




