ブユ族に奇跡を施す・朝の部
祭られている神の名前はトゴゥギャパ゠ヤセリ゠キタカレノ゠ツペルレヌヅギといって、海の守り神、航海の安全を司ると共に海を荒れさせる不機嫌な神でもあるという。
私のような古代魔法や精神魔法の使い手にとっては『失語症《トゴゥギャパ゠ヤセリ゠キヨシッチ゠ゲ゠パヒメフサブ》』とか『発狂《トゴゥギャパ゠ヤセリ゠キ゠タジマブジ゠パミオケリネブ》』の魔法でお馴染の名前である。脳機能の基本的な部分を操作する魔法はだいたいこいつ。『眠り』の魔法も元はこのトゴゥギャパ゠ヤセリ゠キタカレノ゠ツペルレヌヅギじゃなかったっけ?
「話されてる言葉といい、祭られてる神様といい、こっちの方が帝国時代の影響を残してるのかもね」私はネゾネズユターダ君に言った。
「そうだと思う。僕が色々な本を読めたのも普段の言葉に近かったからだし」
「ふーん」あれ、ということは。「もしかしてレシレカシに無い帝国時代の本がこの神殿にあったりする?」
ネゾネズユターダ君が答える前にガイド役の女性が私たちの会話を拾った。「この町には古い本はほとんど残っていません。戦乱が多かったので」
「なるほど」
彼女は解説を続けた。「とはいえ海の神はどこも疎かにできなかったので、かつての侵略者もこの神殿には手を出しませんでした。といってもこの神殿は見た目に反して奥行きがほとんどありません。砦としては役立たずだったので残ったのだと思います。正面まで行きましょう」
海の神様の神殿の正面は広い階段のある通路になっている。通路といっても普通の広さではなくそのまま広場といってもいいほどのスケールだ。横に100人並べる、つまり100メートルくらいの幅がある。緩やかなので階段はちょっとだけ。20段くらい。あとは踊り場というより広大なスペースになっている。階段の下からでも岩壁に彫られた高い神殿が見える。よく見ると建物というより彫刻だった。張り出した庇がすごく上の方に申し訳程度に浮き彫りになっていた。小さくて下からはほとんど見えない。そこから柱が彫られてるけど、これも天井を支えているわけではなくて岸壁に彫られた柱の彫刻だった。壁全体が建物の門や入口っぽく見せるための彫物だった。それを外から見る手前の広場が施設のメインだった。近づいてみると彫刻の柱と柱の間にぽっかり穴が開いていた。人間がちょっと頭を下げて入る程度のサイズでしかなく大人数が出入りするように作られていない。私たちは入ることを許されなかった。説明によるとその奥は司祭の控室になっているという。年に1度の祭りのとき、ここから司祭が出てきて広場に姿を現すのだという。
本とか資料が期待できる場所ではないということだ。
とはいえその神殿前の階段広場はゆったりしていて悪くない空間だった。人々が穏やかに日の光を浴びている。朝日が壁の神殿に当たって白く光っていて、この時間にこれを見せたいというガイドの気持ちもよく分かった。
広場からはソヌーバジッジの一部が見えた。いつの間にソヌーバジッジの外に出ていたのか分からなかった。ソヌーバジッジを囲む壁が神殿のすぐ近くまで伸びていたが、その壁から出てこの神殿に来たという記憶がない。階段を登って路地を曲がったら岸壁が見えたと記憶している。この町はわけがわからん。
そろそろ時間だということで私たちはまたソヌーバジッジの中に戻った。風刃の間までの道のりはこれまでに通ったことがないもので、どこをどう通ったのか覚えられなかった。別に案内も分かりにくい道を選んでいるわけではない様子なのがすごい。
ぱっと通路の角を曲がると急に見覚えのある昨日の場所に出た。廊下には人が溢れていた。
昨日とは客層が違っていた。昨日は私の噂を聞いたことのある人など、いくらか前知識のある人たちだった。朝の面会人は私が誰だかも分かってなかった。なんなら私の見た目や年齢も知らなかった様子で、周囲の人が私を指差すのを見て「え? あんな若いの?」と言う声も聞こえた。
やはり女性が8割といったところ。
あと私が部屋に入る前、廊下を歩いている時点でハンセン病患者が5人いた。面倒なのでその人たちはその場で治した。鼻とか唇の回りが腐り落ちているので殺菌の上で再生細胞で形を整えた。ハンセン病は精神魔法も遺伝子操作魔法もほとんど必要ないので私の分野ではない。しかし人はこれも私にやらせたがる。細胞再生はちょっと必要だけどどちらかというと治癒の分野だ。
ほかにその場では治療しなかったけど低酸素の脳障害や脊椎損傷っぽい人間もいた。こちらが私の専門である。腕が鳴るぜ。
「ありがとうございます。お待ちしていました。こちらです」
風刃の間の入口から昨日もいた婦人が声をかけてきた。廊下で待つ人の列とは反対側の入口だ。
「昨日の噂が広がりこんなに人が集まりました」
「案内誘導ありがとうございます。混乱が少ないようで何よりです」私は部屋に入りながら言った。
「いや、もう本当に。割り込み騒ぎなどがあって大変でした」楽しそうである。




