朝食はまだ来ない
南西蛮族ブユ族の男スエチーは私の答えに反応できなかった。一緒になって笑って、確かにムカつきますなと共感するというのもありだった。ムカつくからといって殺すとは——私は父を殺してないけど——さすがギュキヒス家ですなと言って非難するのもありだった。だが彼はどちらもできなかった。固まって口をぱくぱくさせて、「ムカつくから……」と私の言葉を繰り返した。
私は彼の頭が再起動するのを待った。
周囲のネゾネズユターダ君や私の使用人やボディガードも、何か言おうとする彼をじっと見た。
やがて彼は会話のテンポとしては成り立ってないくらい長い間を取って、「ああ、そうですか」と言った。そして立ち去るわけでもなくその場に立ったままだった。
これから食事をするというのに邪魔でしかない。
それからたっぷり時間を取った。といっても10秒とかその程度だったと思う。しかし人と人が向かいあって立ったままの10秒はなかなかの長さだ。それだけ置いてから、「お話はもうよろしいですか?」と私は言った。
彼ははっとした。それからああどうもこれは失礼しましたと言った。私の使用人にも目礼をし、それまで無視をしていたネゾネズユターダ君にもではこれでと挨拶した。こちらこそと言うネゾネズユターダ君の言葉を最後まで聞かずに彼は離れて、食堂から出ていった。
その様子をネゾネズユターダ君はじっと見ていた。それから不意に席についた。私も同時に座った。
食堂2階の予約席だけど、豪華さのまったくないごく普通の食堂のテーブルだった。丸や四角に形を整えられてすらなく、切り出した切り株の形をちょっと削って表面を塗って脚を付けただけのものだ。そのため部屋にある6つのテーブルはそれぞれ形が違う。
私はそのフチの凹凸と表面の年輪を何気なく見ながら、「なんだあれは」と言った。
「僕も知らない」ネゾネズユターダ君が言った。
ちょっと先のことを言うと、このスエチー氏は色々と役に立った。もうちょっと有能そうだったら私はこのときに『無関心』とか『懐柔』『親愛』といった魔法で敵意をキャンセルしていただろう。この時はそこまでしなくて大丈夫という判断だった。結果的にこの判断がブユ族の中のアンチ・ザラッラ派をまとめることになり、対策が簡単になった。これがなければ誰が敵で誰が味方か分からずもっと面倒だったはずだ。彼はこのあとブユ族の間で、私の悪口とネゾネズユターダ君の悪口を言って回った。読んで分かる通り悪口を言われるようなことを私は何もしていない。しかし彼に言わせると、父親に手を上げる娘なんて氏族を大事にするブユ族からすればとんでもない悪女で、その女に骨抜きにされてへらへらしているネゾネズユターダ君はブユ族の恥曝しということだった。口をぱくぱくさせてるだけだったのに本人がいないところでは威勢がよかったらしい。
そんなわけで彼による私の悪口を真に受けた層が1年後には1つにまとまってくれたわけである。
骨抜きにされているのはネゾネズユターダ君ではなく私の方なんだけどなー。
食事が運ばれてくるのを待つ間に他の客もあった。
さきほどのスエチー氏と同じように私たちのいる部屋の中に入ってくる婦人がいた。昨日、娘を孕ませていただいた娘の母ですということだった。
孕ませていただいたっていうのもなかなか強烈なフレーズだ。
いえいえどういたしまして。そんな謙遜を言っているうちにまた食事部屋に女性が入ってきて昨日はありがとうございますと礼を言われた。昨日の今日で妊娠が分かるはずがないのだけど、とにかく気が早い。いえいえ、どういたしまして。
この食堂はソヌーバジッジの数ある食堂の中でも一番大きな食堂で、市場も隣にあるから朝から昼にかけては一番人が多い場所だった。そこに昨日の魔法の噂が広がり、当の魔法使いが2階にいると聞いた人が1目見ようと殺到していた。いくらかでも落ち着いて食事ができたのは護衛たちのおかげである。そういう話を私はこのあとの朝の面会者たちから聞いた。




