第4話 探索 魔法の水
俺は周辺の状況を確認し、音を立てずに注意深く歩を進める。
あたりまえだが人の気配はまるでない。風は湿気った空気をまとって肌を通り抜けた。
茂みや木の陰から生き物の気配がする。
そういえばまだ食料を調達していなかった。腹が減っては動くことも出来ない。
狩猟は前世でやった経験がある。
二十代の頃興味があったので資格を取ったはいいが、仕事に精を出していたので2、3回活動したきり活用することはほぼなかった。
知識もほぼ忘れたに等しいのでもはや勘で動くしかない。
茂みや木の枝一つ揺れていないか周囲を観察し、アイテムボックスから試作品の木の槍を取り出す。
槍を離さぬよう柄をしっかりと握り、周りの状況を再度確認する。
白い耳が視界の端を横切った。
眼を細めると茂みの奥に白いウサギがいる。昨日イオリを襲っていた個体と同じだ。
一見可愛らしい見た目だが、額に生えている角は簡単に人の皮膚を切り裂けそうな鋭さを持っていた。
俺はすぐさま鑑定スキルを使う。
***
一角ウサギ レベル6
見た目に反して凶暴。少し目が悪い。小骨が多いが、鶏のささみのような味わい。
***
レベル差はあるが、目の前のウサギは俺の存在に気付いていないようだ。
槍の先をウサギに向ける。一番狙いやすい弱点は毛が少し薄いうなじの部分だろうか。
生き物を殺すのにはやはり抵抗がある。
心拍音が無意識に大きくなり、吐く息が浅くなってきた。
手元が狂いそうになる。
それでも槍が当たる距離まで縮め、ウサギが俺に背を向けた瞬間、白く柔らかい毛皮を突き刺した。
ウサギは抵抗して槍を抜こうとするが、その行動がかえって深く身体をえぐる。やがて数回筋肉のけいれんを繰り返すと、動かない肉の塊になった。
恐る恐る獲物を調べると、息をしていないようである。
俺はこの場で捌いて持って行くかどうか考えあぐねながら剥ぎ取りナイフを取り出そうとする。
「……ない」
落とした? まさか? きちんと持ってきたはず……。
だがどんなに探してもなかった。ついでに地図もない。手紙に書いてあった一定の距離を超えたのだろうか?
仕方なくウサギの死体をアイテムボックスに入れる。
袋より大きなウサギをどうやって入れるか悩んだが、無理矢理入れようとすると袋が死体を吸い込み、ぺったんこの袋に戻った。
一匹だけだと心許ないので追加で5匹狩った。
回数を重ねるごとにウサギに気付かれぬようもっと距離を縮める事ができ、慣れたのか始末する手際が良くなっていった。
どのウサギも丸々と太っており、身が締まっている。
よだれを垂らしたい気分をぐっとこらえながらも、肉だけだと栄養バランスが悪い。
野草や果物、キノコがないか鑑定スキルを使って調べてみる。
基本的に食用に向いていない植物が多いが、見つからないわけではなかった。
わさびの辛みに似ている香草、加熱すれば芋のようなほくほく感を味わえる木の実、肉厚で香り高いキノコ。
一見視界に入らない場所に生えているが、コツを掴めばどうって事はない。
倒れた木や岩陰、ウサギを見かけた場所をもう一度調べるなど、しらみつぶしに行動した甲斐あって2、3日持つほどの食料がそろった。
中には武防具生成の際に使えそうな植物も見かけた。
ロープや糸の代わりになる蔓や、強度が高い稲のような見た目の植物。
次作成時のアイデアがどんどん広がる。気になった物はひたすらアイテムボックスに詰め込んだ。
俺は食料採取を続けていると、ある植物の群生地に行き着いた。
木漏れ日に当たって淡く虹色に輝く植物は、ヨモギのような見た目をしていた。一斉に集まって輝く草の海を作り出す様はとても幻想的で現実味を欠いている。
ここだけやけに静かだ。鳥のさえずりやモンスターの鳴き声一つ聞こえない。
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ニジイリカブ 毒草
草汁に触れるとかゆみを発する。摂食すると吐き気、腹痛が表れ、酷いときは激しい痺れ、失明をおこし、最悪死に至る。
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鑑定結果は毒草。魔物は本能的にこの植物が危険な物だと知っているのだろう。
俺はアイテムボックスから木製の短剣を取り出し、草汁に触れぬよう刈り取る。今度薬を作る際に試してみよう。
毒草を調達していると、鈍く光る草に混じって真っ黒で地味な見た目の草が生えていた。
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クロイリカブ 薬草
ニジイリカブの中に紛れるように生育する。
見つけるのが大変難しい。すりつぶして傷口に塗ると、たちまちに傷口が治る。疲労改善にも効果あり。高級な回復薬の材料として使われることがある。
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薬草! こんな目立たないところにあるとは。
いや、逆に考えると、この虹色の草原を見かけたら高確率で生えているということだ。
こちらは短剣を使わずにそのまま引っこ抜いた。この薬草は鑑定スキルがなければ見つけることが出来なかっただろう。
こんな便利なテンプレ能力、女神様に願ったわけではないのになぜ使えるのだろうか?
今は気にしても仕方ないので、毒草と薬草を好きなだけ採取するために取りかかるが、薬草がさっぱり見つからない。
鑑定結果の通り、見つけるのは至難の業なのだろう。改めて探索に戻った。
いつの間にか日はてっぺんを過ぎ、落ち着いた明かりが森の中に入り込む。
イオリが腹を空かせて駄々をこねているかもしれない。そろそろ戻ろう。
通った場所をなぞるように小屋に向かう。
それにしても身体が軽い。あまり寝ていないはずなのにしっかりと動ける。
長く歩いているが、跳んだりはねたりしても腰や膝は痛まない。狩りの際、槍でウサギを突いたときもぶれることなく正確に当たった。
ならば、だ。今の身体なら木登りもできるのかもしれない。
俺は小屋の位置を確認するために、上りやすそうな木を見つけ出し、幹や枝に手をかけ足をかけリズミカルに登った。
猿になった気分だ。
前世で経験したことなかったが、若い頃人目を気にせず試してみれば今のように軽々と登れたのだろうか。
夕日に変わろうとしている太陽が眩しい。鳥は目線が合う位置で品良く低い声で鳴いており、地面に立っていた場所より空が広く遠くみえた。
背が高い大木を選んだ甲斐がある。おかげである程度あたりが見渡せた。
太陽から少し離れた右側に、周りの木に負けないほどに高くとがった屋根が見えた。
あれを目指して進めばひとまず着くだろう。
冷えた新鮮な風を受けていたかったが、ひとまず降りようとする。
ふと、遠くの方に視線をやると、なにやら人影のようなものがみえた。
眼を細めてよく見ると、緑色の小人が数人、群れをなして行動している。
どんなファンタジー世界でも出てきそうな見た目、鑑定しなくてもわかる。ゴブリンだ。
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ゴブリン レベル5 下級種族
知能は人間で例えると5歳なみ。繁殖力が高く、数匹グループを作り行動する。
食用としては向かないが、非常時には特殊な調理法である程度ましになる。
特殊スキル
・集団行動……仲間が多ければ多いほど進化しやすい
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特殊な調理法? 挑戦してみたいが、今は戦闘を避けたい。日が暮れる前までに小屋に戻らなければ。
俺は息を殺し、ゴブリンの様子をうかがう。1匹はあたりの様子を見渡し、あとの2匹はかごを抱えて食料の調達を図っていた。
食料を鑑定してみると、まだ俺が見つけていない植物や果実が混ざっている。かごからいくつか食料がこぼれ落ちた。
ゴブリンはなにか子供の地団駄のような行動を取ると、跳ねるようにその場から姿を消した。
モンスターがいなくなったことを確認すると、すぐさま木から下り、落ちた物を調べる。
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ヤマゲドクソウ 薬草
解毒剤を調薬するのによく使われる。生のままでも解毒の効果があるが、酸っぱい。湯がくと酸味がまろやかになる。
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解毒草か。料理に使っても問題ないかもしれない。せっかくだからもらっておこう。
小屋に向かいながら今回採取した食材を使ってなにを作るかあれこれ考えていると、俺の腹が小さくうなった。
身体が耐えきれないようなので、俺は歩を早めて家路につく。日は傾いてあたりが暗くなる寸前だった。
小屋に入ると、イオリが机に突っ伏して何か考えにふけってる様子だった。
俺の存在に気付いたのかピクンッと跳ね起き、待ちくたびれてすねた表情を俺に向ける。
「遅い! どこほっつき歩いてたの僕おなかすいて……」
早口でまくし立てる予定だったであろう口は硬くこわばり、なにか恐ろしいエイリアンを見るような恐怖の色に染まる。
少し間が空いたあと、嫌いな害虫を見てしまったかの如く絶叫した。
「うわああぁあっあぁぁあああ!? 血ぃ!?」
俺の腕に付いたウサギの血を見たイオリは酷く狼狽した。
後ずさるような動きをしたかったのだろうか、イオリは座っていた椅子を後ろに蹴飛ばし、腰が抜けて床にドスンと尻餅をついた。
「うわ、うわわわ……」
「落ち着け」
「落ち着いてられないよ!? てか来ないで!!」
どうすれば落ち着くのか。どこか河原で洗い流して来れば良かったと後悔していると、イオリがふと我に返り、立ち上がった。
そそくさと暖炉のそばにある濡れた大きめの空の桶を取り、俺の前に置く。
一体なんだ? イオリは桶の前に立ち、深く息を吸った。
眉間に皺を寄せ、両手を桶の上にかざすと、水の匂いが俺の鼻をかすめる。
イオリが息を吐いた途端、包み込んだ形の両手から水の塊が生成された。
「できた!!」
水はふよふよと空中に浮き、桶の中に入れると水風船を割ったかのように弾け収まった。
「どーだどーだ!!」
イオリは胸を張ってふふんと嬉しそうに威張る。
これは驚いた。魔法……なのか?
「なにぽかーんってしてるの? とりあえず僕のメンタルのためにその血を落としてくれない?」
「お前これどうやって出来たんだ?」
「血を落としてそれを外で処理してくれたら教えるから早く!!」
イオリはいかにも汚い物を見るかのように手で払いのける仕草をする。俺は素直にイオリの指示通りに従った。
桶の水は少し冷たく、さらさらとしていた。水は赤と茶色に混ざりあい、血の付いていた所はシャツの袖口以外綺麗に落ちた。
袖をまくり桶を外のドア近くに置く。
「で? 一体どうしてその水の玉?みたいなのが出せるようになったんだ?」
イオリの口頭条件を達成した俺は改めて相手に向き直り、水浸しの手を振る。
「いやシドウ、僕に水かけようとしないでくれる? これ、タオルあるから」
俺はイオリがどこからかもってきたタオルを受けとって濡れている箇所を拭く。ふわふわで触り心地がいい。
「これはねぇ、僕があんまりにも水が飲みたい、飲みたいいって願ってたら出せた」
「は? そんな単純なことで?」
イオリは素直にうなずく。鑑定スキルを確認しても変わったような箇所は何一つない。
もしや誰でも使えるものなのか?
早速試したい気持ちに駆られたが、昨日の鑑定スキルが使えないのに無理矢理頑張るイオリの姿を思い出し、止めておくことにした。
「喉が渇いていたなら倉庫にある桶から汲めば良かっただろ」
「え、だって外出たら危ないし、水綺麗だけど飲めるか分かんないし、それにシドウが心配するかと思って……」
ずっと小屋の中にいたっていうのか。
しおらしくしているイオリのお腹から大きな音が聞こえた。少し恥ずかしそうに身体を縮こませ、お腹をさする。
「まってろ。今作るから」
「じゃあ僕手伝う!」
「お前は今役に立たないからもう少し待て」
俺はチェストから紙をとりだして小さく破き、ズボンのポケットに入れる。ふてくされたイオリを一瞥して小屋から出た。