第1話 事実現実
目を覚ますとそこは異世界であった。
……と、いいたいところだけど、僕は目を覚ました途端、異世界らしい物は見当たらず、キャンプ場にあるバンガローのような小屋の中にいた。
寝心地のいいシングルベッドから出ると、隣のベッドにも人が眠っていることに気づいた。
「おーい、おきろー、起きるんだー」
僕はなんとなくその人に声をかける。うんともすんともいわない。
顔もシーツが覆い被さって見ることが出来ず、無理矢理起こすのも悪いから僕は諦める事にした。
戸口に置いてあった、暗闇の中で見る苔のような色合いの革靴を履き、玄関のドアノブをきしませながら小屋から出る。
まず眼に入ったのは手入れされた黄緑色の芝生、異様に生い茂る木々だった。
上を見上げると天気は良かった。空は青く澄んでいる。
ぐるっと一周小屋を回ってみたが、周りは深い森のようで、小屋以外はワントーン暗く湿気った空気をまとっていた。
壁は全体的に栗皮色で、やけにとがった屋根が常に空を指していた。
僕は、ある程度通れそうな所を探しながら、森の中へと足を踏み入れる。
人の気配はどこにも無く、見たことない草木が好き勝手に地面に居座っていた。
時折見かける獣道を通りながら、僕は茂みの中で何かが動いているのを見た。
急いで獣道を離れ、しゃがみ込み様子を伺うと、その正体を知る。
薄汚れた緑色の見たこと無い怪物が何かを追いかけていた。二足歩行で醜く走っていた怪物はある倒れた大木の前で立ち止まる。
僕は顔をのぞかせると、大木に寄り添うように緑色の毛玉のような獲物が震えていた。
緑の怪物は追い詰めた事に喜んだのか気味の悪い奇声を発し、手に持っていた棍棒をその獲物に振り下ろそうとした。
その途端、甲高い悲痛で耳障りな声が森中を駆け抜けた。
気がつくと、僕は倒れこんでいた。
どのくらい長くそうしていたかわからないけれど、目の前には先ほどとは別の、少しウサギに似た角を持つ怪物に囲まれていた。
友好的どころか威圧的な殺意で僕をにらみつけてくる。
「あ、あはは……わるいやつじゃないよ……」
そんなヘラヘラとしたことを言ってしまったからなのか、ウサギもどきは角を光らせて、僕の身体を刺す勢いで飛びかかってきた。
すかさず僕はそれをよけ、死に物狂いで小屋へ逃げる。
今どこにいるのか、小屋はどこにあったか、緑が覆い茂り過ぎてよくわからなくなっていた。
ウサギはよく見たら可愛いのに、よだれを垂らしながら追いかけてくるものだから恐怖で足が止まってしまいそうだった。
とにかくどこか、どこか安全な場所へ!!
それしか頭にはなく、それ以外はすべて止まらずに走ることに集中した。ウサギはスピードを落とすことなく追いかけてくる。
瞬きもせず進むと小屋が見えてきた。どうにか戻ってきたのだ。
走るスピードを上げたがウサギの一匹が高く高く飛び跳ね、僕の足に体当たりした。
僕はバランスを崩し、柔らかい芝生に身体を滑らせ倒れる。
疲れて身体が重い、手は扉に手を伸ばすがあと少し届かない。限界だ。
「し、シドウ……助け……」
そんな言葉が口から漏れ出た。なぜか僕は、あのベッドの寝ている人物の名前を知っていた。
それと同時に、僕はシドウという名前と、自分のイオリという名前以外自分について覚えていないことに気づく。
僕は何で死んだの? お父さんは誰? お母さんは? 兄弟はいたの? 友達は? 日本のどこに住んでいたっけ? あれ? ……あれ?
「……助けて!!」
大量の疑問の嵐に飲み込まれながらも、このまま何も知ることなく、あっさり終わってたまるかという気持ちが、はっきりとした意識を保たせる。
ウサギもどきが上に乗り、僕の足はさらに重みを増して動かなくなる。
生ぬるく固い感触が僕のふくらはぎに当たった、そのときだった。
「おい!!歯ぁ食いしばれ!!」
その言葉を合図に、僕の伸ばした腕は引っ張った痛みを感じ、身体は一瞬宙に浮いた。
何が起きたのか判断が出来なかったが、立てた。誰かは僕の腕を引き、僕だけでは届かなかった扉の中に無理矢理引き込んだ。
「一体何があったんだ!?」
勢いよく扉を閉め、ぜー、ハーと息荒く肩を上下させる人物は、初めて会ったはずなのにどこか懐かしい面影を持つ青年だった。
「あ……えと……」
僕も上手く息が出来ずに、彼と同じような状態だった。
「と、とりあえず、落ち着いてからだ……落ち着いてから、話をしよう……」
彼は息を大きく吐き、その場で腰を下ろす。
僕もつられて腰を下ろし、あまりの恐怖なのか、それとも異世界に来たことをやっと実感したのか、抑えきれない笑みがこぼれた。
◆◆◆
気がつくと俺の視界は真っ暗だった。
何か布に覆われている感覚がする。
這い出てみようと身体を動かすと、ドスンと落ち、身体に鈍い痛みを覚えた。自分の口からうめき声が漏れる。
身体を起こすと、どうやらシングルベッドから落ちていたらしく、床にはシーツがぐちゃぐちゃと横たわっていた。
ふと、俺は手に何かつかんでいることに気づく。
シーツからそれを取り出すと……それはまあちょうどいい大きさで乱れ一つもない蛇腹折りのハリセンと、体操服袋ほどの大きさの白い袋だった。
「これがハリソンの正体ってわけか……」
なるほどこれは使う機会が少ない気がする。しいて使うならツッコミ用だが、音琴はボケ担当な性格をしていない。
俺は袋とハリセンをその場に置いた。
どうやらここは小屋の中らしい。立ち上がると俺が寝ていた隣にもベッドがあり、誰かが使っていた形跡があった。
いきなり外に出るのは早計だ。とりあえず俺は小屋の中がどうなっているか調べることにした。
部屋は比較的綺麗で掃除が行き届いていた。
トイレは別の部屋にあり洋式である。家具はそこそこ入りそうなチェストやクローゼット、シンプルなダイニングテーブルに椅子が2つ、それとさっきまで使っていた2つのシングルベッドと必要最低限だった。
窓は磨りガラスで外が見えない。外の光が淡く部屋に入り込んでいた。
端にはシンプルな暖炉があり、火がオレンジに小さく揺らめく。
ダイニングテーブルには錆一つないランタンと一通の紙封筒が置かれていた。
封は赤い蝋で閉じられている。俺はその封筒を手に取り、形が崩れないよう丁寧に破いた。
そこには便せんが一枚だけ入っていた。白くてシンプルなデザインに、青いインクでこう書かれている。
◯◯◯
これを読んでいるということは、貴方達は無事、この世界にこれたということでしょう。
これから先、数々の困難が待ち受けています。
この小屋と道具には特殊な効果が付随されており、小屋は3ヶ月までとなっています。
これは次に来られた方の配慮となっており、住み続ける事は出来ないことになっております。
道具袋はチェストの中に用意してあります。道具は持ち出すことが出来ますが、小屋から持ち出して10日間まで効果が付随されていますので、ここから旅立つ際はぜひ有効に活用してください。
別の道具は小屋の近くにある倉庫に収納してあります。一定の距離まで持ち運び、使用することが出来ます。
私の力が少しでも助けになれるのであれば幸いです。貴方達に神のご加護があらんことを。
◯◯◯
俺は早速、窓際に置かれている木目の三段チェストの一番上を開けると、麻袋が一つ、入っていた。
二段目にはカトラリーと大きさの違う白い皿が複数枚。三段目には何も無い。
袋の中を調べようとしたそのとき、どこからか声がした。
「……外か?」
誰かがいる?音琴か!!
俺はすぐさま玄関まで走り、扉を開けて何も履かずに外に飛び出す。
周りを見渡すと、ゲームに出てきそうな、額に角を持つウサギが群れを作って、ある人物に襲いかかっていた。
何匹かのウサギはその人物の上に乗り、噛みつこうと前歯をむき出しにしてよだれを垂らしている。
俺はその場へ駆け寄り声をかけ、助けを求めるように伸ばされていた手を掴んだ。
「歯ぁ食いしばれ!!」
俺は勢いよく引っ張り上げると、ウサギは四方八方に飛び上がり、襲われていた人物から離れていった。小屋の中へ、その人物を引き込み入れる。
「一体何があったんだ!?」
俺は扉を勢いよく閉め、その人物の顔を見る。
言葉を失った。男だったからだ。
整った顔立ちの、幼さの残る細身の青年。今の俺の年と変わらない。
「あ……えと……」
額が少し腫れている。どこか打ったのだろう。
よく見ると逃げるのに必死だった形跡があった。シャツやズボンはウサギが噛んだのか所々破れている。
「と、とりあえず、落ち着いてからだ……落ち着いてから、話をしよう……」
俺は半ば自分に言い聞かせるように呟いた。
俺も彼も突然の事態に対応できず、息が出来ていない。
俺はその場に腰を下ろして、大きく息を吐いた。つられて座った彼の口元は少しニヤけている。
彼は一体誰なのだろう? この手の展開によくある鑑定スキルがあればすこしはましなのだが……。
試しに『鑑定』と声に出さずに口だけ動かしてみる。
すると何か脳にノイズが入ったかのような感覚を覚えると、ラジオの調整が上手くいったみたいに鮮明に情報が頭の中に入り込んできた。
***
イオリ・オトゴト(音琴五百里)
転生者 男 レベル1
15歳
ユニークスキル
・魅力
・魔法(極)
・運(極)
***
「嘘だろ……」
俺はその情報を受け入れられなかった。
どんな形であれ、音琴に会いたかったはずなのに、いざ現実を目の当たりにすると、俺が覚えている当時の音琴そのままに会いたかったのだと身に染みた。