第2話 彼の一生
「異世界転生したらどうする?」
当時の俺は、音琴が死んだ事を知ったときこんな言葉をかけなければよかったと後悔した。
あの日は確か、緑の匂いをまとった暑い晴天で、俺はいつもの通り図書館の駐輪場の前で、音琴を待っていた。
ミンミンと夏の終わりを告げる蝉がやけに騒がしく、老若男女が暑さをしのごうと、図書館の中に入る。皆、俺のことはその場にいないかのように、横を通り過ぎていった。
今の時間なら、音琴が重苦しいシルバーの通学用自転車を押してやってくるはずだが、来るのが遅い。準備に手間取っているか、寝坊でもしているのだろうか?
俺は手に持っていたスポーツドリンクを一口飲み、メッシュのキャップ帽を深めにかぶった。
一時間くらいたっただろうか、日がてっぺんにまで登りかける頃、一台の軽自動車が図書館の駐車場に止まり、音琴に似た大人っぽい女性が降りてきた。
その顔はどこかやつれ、眼は充血している。
俺をみた途端、その女性は息を切らして俺の所に一直線に向かってきた。
「……貴方が『尾針 梓道』くん?」
女性は小さな声だったが確かにそういった。
俺はうなずくと、女性は何かを伝えたくて、ためらっている様子だった。
口を開け閉めし、うろたえながらもなんとか言葉にする。
「五百里ね、昨日……死んじゃった」
一瞬聞き間違えだと思った。女性はその瞬間堰を切ったかのように声を張り上げる。
「……あたしが!……あたしが、あの時いなかったら、五百里は死ななかったのに!!」
吊された糸が切れたかのように女性は崩れ落ち、嗚咽を漏らす。
理解ができなかった。死んだ? まさか?
たくさんの疑惑が湧き上がり、この頭の痛みが暑さからなのか、感情からなのかさっぱり分からなかった。
後から別の車が駐車場に入り込み、エンジンをかけたまま一人の男の人がやってきた。音琴の父だ。額に汗を拭きだし、日に焼けて顔が真っ赤になっていた。
「紗央里、こんなところでなにして……」
音琴の父も酷く狼狽していたが、俺をみて水を頭にかけられたかのように動かなくなった。そして悲しげに目を伏せる。
それで俺は確信した。これは嘘ではなく事実なのだと。
それからの俺は、夏休みが終わっても自分の家にこもってばかりいた。
学校にも、親の勧めで通っていた塾にも顔を出さずに本を読んでいた。五百里が好きだった作品を読みあさった。
それでも満たされなかった。外が暑さを通り過ぎても、俺の中にはまだ蝉が巣くっていた。
音琴は無事に異世界に行ったのだろうか?
ある日の夜、なかなか寝付けない布団にくるまれながらふと考えた。俺が当時大好きだった、死んだ先にある、膨大な広い大地を駆け巡る物語。
有名なゲームやファンタジー小説のように、剣や魔法があたりまえにあり、みたこともないような種族が交流しあうあの世界に。
音琴は、俺より先に行ってしまったのだろうかと。
俺はいてもたってもいられなくなり、家から飛び出して、錆び付いた緑の自転車に飛び乗り、あの事故現場に向かった。
高台から海に向かうまでの道は、なんども曲がり角のある事故が起きやすい場所だった。自転車のブレーキが壊れそうなくらいの下り坂で、自分もこの坂に殺されてしまうのではないかと、胸が高鳴りわくわくした。
汗をかくのも忘れてついた場所には、花が添えられていた。国際ニュースにまで取り上げられた事故には音琴以外にも命を落とした者がいた。
ここに落ちれば音琴に会える。俺は壊れたガードレールに張ってあるロープにまたがり、無造作に生えた雑草を押しのけて、崖の先端まで歩いた。
心臓がドクドクと止まらなかった。喉がカラカラに乾いた。手の先がいつもより冷たかった。
ちゃんと恥ずかしがらずに名前を呼んであげれば良かった、もっと長く手をつなげば良かった、小さな身体を抱きしめたかった、柔らかそうな唇に触れたかった。
死ねばまた、音琴と一緒にいられる!!
……そこでふと、あと一歩で落ちる事ができたはずなのに俺は我に返った。激しい感情が潮が引くように薄れ、一つの疑問が浮かび上がった。
音琴はそれで喜ぶだろうか?
その疑問を境に俺は変わった。今までなかった夢ができた。
もう過去は変えられない、だったら未来を変えようと、俺は学校に出るようになった。
戻ってきた際、クラスメイトは同情心からなのか俺を気にかけるようになった。
特に音琴が所属していた部活動の生徒にはお節介を焼かれた。
仕舞いには「ちゃんと五百里ちゃんを守れなかった責任として、尾針くんは合唱部に入部することを命ずる!!」と俺が歌がド下手なことを知ってる上で、無理矢理入れさせられた。
結果的には楽しかったし、音琴を失った悲しさは俺だけではなかったと痛感した。
勉学は前より意欲が出たのか成績が上がった。
受験勉強は苦ではあったが、クラスメイトや部活動で友達が増えたので辛くはなく、お互いの苦手なところを教えあい、一緒に取り組んだ。進学先は推薦で受かり、そこで首席を穫った。
大学三年の頃、就職活動が始まった。
学校の紹介や友人の勧めで様々なところを進められる。どれもいい職種だったが、俺は手当たり次第に自動車会社を受けて回った。
何個か内定をもらったなかで、一番やりがいのある会社に就いた。
上司や同僚に恵まれた。ものづくりが得意ということもあり、経験を積むためにも様々な部署を転々とした。
数年後、車両開発責任者の一人になった。
失敗やトラブルに関してのストレスはあったが、チームの皆とは馬が合い、頻繁に飲みや遊びに行くほどの仲になった。
そしてついに俺の夢は34歳で叶う。
チームの皆の想いや未来、願い乗せて作り上げたのは、音琴のような被害者が出ないように、どんな異常事態が起きても事故を起こさないよう最小限にまで抑える自動運転車両だった。
企画が通ったこと自体奇跡であったものが、発表の場に出され、瞬く間に流通した。
「ここまでこれたのは、支えてくれた仲間の協力が必要不可欠であったことはもちろん、いままでの人生で関わってきた人たちが、私の価値観を素晴らしい道へ導いてくれたことにほかなりません」
俺は開発責任者の代表として表彰の場に立ち、伝えきれないほどのたくさんの感謝を述べ、抑えきれない気持ちに涙した。
52歳の冬、俺は一人暮らしの戸建て住宅でひっそりと眠るように死んだ。
死ぬ前の数ヶ月間はなにも感じなかった。
「そろそろ休んでください、身体が祟ります」
そう言って部下は、俺が一向に会社から離れず働き詰めでいることを心配していた。
俺は心配されるほど疲れているわけではなく、仕事が楽しくて仕方なかったので、その気遣いを無視してしまった。
『ねえ、身体の方は大丈夫?』
「気にするな。少し響くが、動けない事はない」
『そういうときこそ休むべきなのに……』
高校の頃合唱部に所属していた友人の一人が、ときたまこうして電話をかけてくる。ほかの友人も心配していたが俺自身は元気だった。
その時点で日々の疲労が積み重なり、身体と頭が追いつけなくなっていたのだろう。
『まあ気をつけて。今度そっちで同窓会するんだから、メインがしょぼくれてちゃつまんないからね』
最後に言葉を交わした友人は、電話越しで冗談っぽく笑った。
音琴が死んでから35年、頭の中の蝉は生き続けた。
それがいつの日かふと鳴きやんだものだから、俺はもうすぐ死ぬことを感じ取り、受け入れることが出来た。
『……よく頑張ったな』
どこからか声が聞こえた気がする。もうあの夏に囚われなくていいのか。
きっと、そういうことなのだろう。