第11話 グリフォンと大地の人
初回から最善な進行とはいかなかったが、ここで巻き返そう。
真夜中になり、イオリが寝静まった頃合いに、支度を済ませ、俺はこっそりとイオリをおぶって出発した。
ポンは、俺とイオリの肩を行ったり来たりしながらのんびりとくつろいでいる。
時折身体を毛皮になりすましたかのように平たくさせるが、どうやら寝ているらしい。
地面がぬかるんで歩きにくくなる前に、俺たちは森を抜けた。
広大な草原を、俺は小柄な人間と、小さな動物を抱えながら進んでいく。
やがて空が明るくなり、太陽が顔を出すと、のんきに寝ていたイオリが起きて早々、金切り声を上げた。
「耳元でいちいち騒ぐな」
「いやだって……起きたらシドウの背中がバンッだよ!? 嫌に決まってるじゃん!」
そんなことを言われるのは想定内だったが、はっきりと嫌悪感を向けられると少し傷つく。
「あ! ポムポムポン! ゴメンね、起こしちゃった」
ポンは、俺の肩の上で大きく膨らみ、毛を逆立ててイオリを威嚇している。鋭い爪が服に食い込み、今にも引きちぎりそうだ。
「早朝から喧嘩するなよ……」
「喧嘩なんてしてないじゃん? 僕とポムポムポンは仲良し」
というそばでイオリは「痛って!?」と声を上げた。
俺の肩が軽くなったので、ポンがイオリの肩に移動して、爪でも立てたのだろう。
「ポン、許してやれよ。あとイオリがうるさいのは分かるが、喧嘩しちゃダメだ」
「ひっ酷い……」
お互い様である。
イオリは俺におとなしくおぶられていた。
昨日の事があったからなのか、妙に言うことを聞いてくれる。俺の背中で、のんきにでたらめな鼻歌を歌っていた。
「今は季節ってどこになるのかな? 春? 夏? 秋? 冬?」
「……春か、秋じゃないか?」
イオリは、ふーんっと何も考えていないような相づちをうつ。
四季がこの世界にはあるのだろうか?
月日も分からない状態だ。街についてみなければ、あるいは誰か親身に話を聞いてくれる人物に出会わなければ、この世界の基礎的な情報を仕入れる事は難しいだろう。
「ねえ、シドウはどの季節が好き?」
「……夏」
「えぇ、夏暑くて嫌い~。僕は春が好き!!」
音琴もそんなことを言っていた。
私は春かな。桜は綺麗だし、暖かくなるし、4月が誕生日だから。みんなより早く年上になるのは嫌だけどね。
頭の中で、授業中こっそりとささやき声で教えてくれた、あの時の音琴の声が蘇る。
「春はね、お花が綺麗だし、暖かいし、お洋服が薄くなるから女の子が下着なに着てるのか分かりやすくて」
「ポン、今からイオリをその場に置いてくから俺の肩に来い」
「いやまってずいまぜんでしだあぁあ!」
本当にその場に下ろしてやろうかこいつ。
「ほらっ、そこの一本生えてる木の下で休憩しよ? そうしよ?」
イオリは多分、目の前にある大きな常緑樹のことを言っているのだろう。木陰で涼むのも悪くない。
イオリの意見には賛成だ。
俺は歩くスピードを緩め、ゆっくりと木陰が降りている場所で立ち止まる。
俺はイオリとポンを背中から下ろした。
「あー疲れたぁシドウお水ぅ」
降りた途端に水を要求かと思いつつも、俺は水筒を渡してしまう。
イオリは喉から大きな音を立てて、さながら銭湯の牛乳を飲むが如く腰に手を回して水を飲んだ。
「うああ生き返るぅ頑張ったよ僕~」
お前一切頑張ってないから。一番頑張ってないから。
お互い芝生に腰を下ろし、一息つく。風が汗を冷やし、木の青々とした香りを運んでくる。
ポンが俺の膝に乗ってきたので、頭を優しく撫でてやった。
「良い風だな……少し落ち着いたらまた出発するぞ……って」
俺はイオリの方を見ると、もう芝生に横になり、寝る体勢に入っていた。というかもう寝ていた。
なんだか呆れてため息が出た。俺も仰向けになり、穏やかな木漏れ日をただひたすらに見つめた。
気が落ち着くと俺はすっと立ち上がり、膝でまどろんでいたポンを起こし、爆睡しているイオリを担いで再出発した。
ときおり地図を眺めながら、少しずつ確実に目的地へと近づいていく。
日の光が傾き始めた。空の青さが薄まりつつある時間に、ふとした殺気を感じた。足を止め、状況を確認する。
こちらから少し距離がある、薄暗い林の中に何かがいる。
人にしては体格が大きい。シルエットは、毛が生えていてずんぐりとしていた。
ここからでも鑑定ができるだろうか? やってみると、鑑定結果をみて背筋が凍る。
「むにゃ……うわっ!? またシドウの背中!? 最悪!!」
しかもおぶっていたイオリが、悪いタイミングで起きてしまった。相当に大きい声だ。
殺気を持つシルエットは早急に俺たちをターゲットにし、こちらめがけて走り始めた。
背を向けるのは得策ではない。だが今回は俺の勘が、何をしても襲われることが確実だと告げていた。
ここは足場が悪い。俺は少し頭を冷やすために距離を取ることにした。
イオリを背負い直し、ポンに一声かけて全速力で逃げ出す。
「んな!? なになになに!? どうしたの!?」
「熊だ」
「へ?」
***
一角グマ レベル36
森林に住み着くモンスター。他の種よりも足が速いことが特徴。毛皮の質は高く、頑丈。
***
「うわっうわっ……めっちゃ来るんだけど……どうしようどうしよう!? しかも三匹!!」
後ろの様子をみていたのか、イオリが俺の耳元で焦ったように状況を伝える。
草木を駈ける音、横暴な呻り声。
後ろが見えない俺でも一角グマが迫ってくる事は肌や耳で感じ取っていた。
「ねえシドウ! どうにかしてよ!!」
いわれなくてもどうにかする。俺は振り返ってアイテムボックスから木製の槍を二、三本取り出し、目の前の一角グマめがけて投げた。
槍が一角グマの体に当たるも、鑑定結果の通り、毛皮が頑丈で貫くことが出来ない。
痛みも感じていないのか、槍のことなんか気付かずにこちらに向かってきた。
新しく作り直したタワーシールドをとりだし、先頭の一角グマの突進を防ぐ。激しい衝突が盾越しに届き、一角グマは叫んだ。
タワーシールドには、木でできたトゲが取り付けられているため、突進の勢いで少しはダメージを与えられたのだろう。
息をつく間もなく全方位にタワーシールドを設置する。
「俺がなんとか片をつける」
ポンをイオリに渡し、盾の障壁を飛び越えて、傷ついた一角グマと対峙する。
なんとかしなければ……なんとかしなければ……。
あまりにもレベル差がありすぎる。いやレベルで判断するのは少し馬鹿げているのではないか? あんがい楽に倒せる時もあるはずだ。
焦りを振り払うかのように、楽観的な思考が頭をよぎる。傷ついた一角グマは立ち上がって俺を見下ろし、怒りに震えていた。
俺の手足は動かない。頭と動きが追いつかない。昨日のことを思い出し、恐怖が勝っていく。
もっと……もっと生きなければならないはずなのに……!
身に覚えのない音が聞こえた。ヒュンと耳をかすめる音と、肉をえぐり取る音。
気付けば一角グマの脳天には穴が空いていた。
酔っ払いが突然気を失ったかのように、一角グマの死体が前方に倒れたので慌てて避ける。
目で確認できるほどの遠いところに、1本の矢が地面に刺さっていた。
状況が飲み込めないままに、事態は大きく変わった。耳をつんざく鳴き声が響き渡る。
鳴き声の主はすぐに見つかった。急接近でこちらに向かってくる。
「……グリフォン!?」
目を疑った。上半身は鷹、下半身はライオン。想像上でしか出会うことのなかった生物が、目の前に、実際に存在している。
俺は我に返り、続く二匹目、三匹目の一角グマがどこにいるのか確認する。
二匹目は仲間が殺されたことに怯えたのか、後ずさって俺達から離れていた。
二匹目の頭に一筋の線が走ると、先ほどの一角グマと同じような倒れ方をした。
三匹目は足が遅かったのだろう。
やっと近くまで来て二匹ともやられていることに怖気づき、Uターンで逃げだそうとした。
だが、グリフォンが地上に舞い降り、一角グマを前足で掴み上げると、空高く舞い上がり、勢いよく地面にたたきつけた。
その動作を数回行ったあと死んだのか、地面に降り立ち、自分の背中に死体を乗せて、こちらに向かってきた。
「ほ……本物」
のっしのっしとグリフォンが俺のそばまで来ると、あまりの大きさに俺はため息をつけざる終えなかった。
見上げて見える鷹の目は、深い湖のような瑠璃色だった。
グリフォンの背中から人が降りてきた。俺は近くにより、その人物に声をかける。
「あの……」
その人物は男で、褐色の肌を持ち、耳が長くとがっていた。白銀の長い髪を一つに束ねている。
「草原でみる一角グマも珍しいが、ここに人がいることもなかなかだ」
「貴方は命の恩人だ……ありがとう」
「礼はいい。はぐれたのか? 街道から相当離れているが……」
言葉が通じる。
響きは日本語のようだが、実際に話しているのはまったく別の言語だった。
俺は日本語で話しているが、相手の言語に合わせて伝わるようになっているのだろうか?
男の顔の表情は変わらない。だが、雰囲気でかなり心配されている気がした。
「俺達は、ここから一番近い街を目指している」
お互いしばらく無言になる。男は何か考え事をしているようだ。俺は男の返事を待った。
「……ここであったのも何かの縁だ。一番近い街はブランシュだな……。すまないが、解体を手伝ってくれないか?」
男は一角グマの死体を指さした。俺は一つ返事で了承した。
「私はガル・エムノーグ。ガルで構わない。そしてこの子は、相棒のマピラスだ。」
ガルさんは瑠璃色の瞳を持つグリフォンを優しく撫で、微笑みを向ける。その後、俺に手を差し伸べ、握手を求めた。
俺はガルさんの手を握る。親指の付け根が異様に堅い。
「俺の名前はシドウ・オハリだ」
「よろしくシドウ。……それにしても、変な名前だっていわれないか?」
このやりとりがきっかけとなり、俺達はやっと、お互いに張り詰めた警戒心を解くことが出来たのだった。