第1話 彼女の死因
「異世界転生したらどうする?」
ほどよく冷房が効いた紙の香りがする図書館で、私の目の前に座って自習をしている彼が、手の動きを止めることなく呟いた。
「は? いきなりの質問なに? 怖い」
私は読んでいたミステリー小説を閉じて彼の方をみる。いかにもどこにでもいる普通の学生だ。
所々制服に皺があり、見た目を気にしていないからちょろっと寝癖があった。
「転生って、死んで違う世界に生き返るってことだよね? だったらやっぱり魔法使いになって性別は男で美少女ハーレムを作ることかな!!」
私は願望を思いっきり素直に伝えると、彼の動きが止まった。
すると彼はいきなり立ち上がり、私の隣の席に移動した。そして無言で私の頭をわしづかみ、キリキリと音が鳴りそうなぐらい力をこめた。
「痛い痛い痛い痛い!!!」
「それなら俺は、神様から想像系スキルを身につけて、前世の記憶をたよりにいろんな物を作って生計をたてる。そして君をお嫁さんにする。もし男になってたら性転換の薬飲ませてお嫁さんにする」
「怖い怖い怖い怖い!!!」
淡々と述べる口調がさらに恐怖をかき立てる。我慢できずに私は白旗をあげると、許してくれたのか手を離してくれた。
「痛かったよ……身長縮んじゃうかと思った」
私はへこんだ頭を触って確認する。当たり前だがこれと言って外傷はない。
「嘘だよ。音琴と世界中を回りながら漫才してたい」
「それはそれでどうしてそんな発想になったんだ」
彼はゆっくりと隣の席に座って、私が読んでいたミステリー小説を開き、そのまま黙々と読み始めた。
「しおり取らないでよ」
私の言葉にうなずいているが、これは聞き流している合図だと言うことは分かっていた。
私たちは今通っている高校で知り合った友達だった。
だけど夏休みに入る前、幼なじみの女友達がニヤニヤしながら図書室まで呼び出し、そこに彼が罰ゲームと言うことで冗談めいた告白をしたのだ。
あの時の私は冗談だと分かっていたつもりだったのに、自然と口から「私のときめきを返してください」と言ってしまったものだから、本当のカップルになってしまったのだ。
ちなみに全然実感が沸いてこない。今でもあの時のことはなかったことになって、友達のままなのではないかと思ってしまう。
特に何も進展がないまま夏休み最後の週になってしまった。
お互いだらだらと図書館で過ごす日々はまあ悪くはなかったし、宿題も去年より早く終わった。彼は宿題が終わった今でも自分で勉強しているが、その分私はいろんな本が読めた。
きっと夏休み最終日になっても、学校が終わっても、こうして日が暮れるまで過ごしているだろうと思いを巡らせながら別の本を読んでいるうち、図書館が閉まる時間になってしまった。
「ああああぁ、あと四日で夏休みが終わるぅ、休日がおわるうううぅううっんじゃあ……」
建物の中とは正反対の、蒸し暑く気怠い西日をあびながら、私は駐輪場で通学自転車のロックを外す。
「そうだねー、おわるねー」
「なんだその感情のこもってない声は」
私の様子をまじまじと見ながら彼はカーキのリュックを背負い直す。
私は自転車を押して図書館の敷地内から出ると、気怠い西日を背に歩道に向かった。
「あんまり面白くなかったよあの本」
隣でライトノベルを読みながら彼は呟く。
「酷いな。まあ気持ちは分からなくもないけど」
私がそう苦笑してから話題が出ず、ただひたすらに彼の家までまっすぐ向かった。
「じゃあ、またね」
本当に、あっという間に着いてしまった。私はいつも通り、必要最低限の短い別れの言葉を伝えた。
すると普段は無言で家の中に入るはずの彼が、名残惜しそうに口をもごつかせた。
「……音琴」
「何?」
「あ、明日夏祭りがあるけど、音琴が嫌じゃなかったら一緒に行かない?」
少し早口で、小さな声で彼は確かにそう言った。
私の聞き間違いなのではないかと一瞬疑ったが、彼の額にじっとりと浮かぶ汗と、恥ずかしそうに伏せる眼が赤く潤んでいた様子をみてやっと理解した。
「……うん、いいよ」
私はどんな顔をしていたのだろうか? 鏡があったら確認したかった。変な顔をしていないか、冷たいまなざしを向けてしまっていないか。
だけど彼の表情は緊張からほぐれたように優しく朗らかになり、私の汗ばんだ髪を愛おしそうになでた。
「じゃあまた明日、いつも通りに過ごしてからいこっか」
彼はいつもは見せない、嬉しそうな笑顔を向け、私に別れを告げて、玄関の中へ吸い込まれていった。
私の心臓はずっと、ドクドクと波打っていた。
急いで自転車に乗り、いつもより速いスピードが出た。
スカートがめくれるとか、髪の毛がバサバサになるとか、そんなの気にしていられなかった。
嬉しいだとか、恥ずかしいだとか、不安だとかいろいろな感情が交ざっていた。
無事に自分の家に帰れたことが奇跡みたいだった。
自転車を母が手入れしている庭に停め、姉の「おかえり」という言葉も無視して、一直線に自分の部屋に向かう。
学習机の上には、私のお小遣いで買ったシルバーの大ぶりイヤリングが置いてある。それを手に取り、自分の耳にあてがって鏡を見る。
「変じゃないかな?大丈夫かなってやつですね?」
突然声が聞こえたので、つい私は肩をびくつかせた。
「びっくりした……なあにお姉ちゃん?」
「何度もいってるのに全然聞いてない感じだったんだもん。五百里、お姉ちゃん今から用事があって出かけるんだけど、おばあちゃんちに忘れ物してきたから代わりに取ってきてくれない?」
「自分で行けばいいでしょ?面倒臭い」
「お父さんとお母さん、カラオケ行ってて頼めないし、お小遣いとご飯代も出すよ?」
姉は手に持っていた紙封筒をちらつかせた。仕方がないから私はしぶしぶとそれを受けとる。
「何忘れてきたの?」
「ノートパソコン。ごめんね無理言っちゃって、明日講義でどうしても必要なんだけど、ずっと計画していた『ひたすらチューハイを飲みまくる会』が今月今日しかできなくてさ」
なかなか予定が合わない昔の級友の集いだ。
実際姉はチューハイではなくカルーアコーラ一杯しか飲まないし、ほかのみんなもアルコール類を取らないが、大人になった気がすると言うことでつけたらしい。
その会を楽しみに今を生きている姉だ。仕方ない。それにおばあちゃんと一緒にご飯を食べるのも1人よりかはいい。
「今日だけだよ。バスってまだ出てるよね?」
私は慣れない手つきでイヤリングをつけ、ずっと持っていた肩掛けバックの中に紙封筒を入れる。
足早に玄関に戻り、また学校指定の白いスニーカーを履く。
「行き帰り含めて全然行ける。ホントごめんね? 気をつけて」
姉は玄関で申し訳ない様子で私を見送った。
バス停に着くと、いいタイミングでバスがエンジンを吹かせてやって来た。私は走って乗り込み、窓側の席に座る。
流れる景色に時折写る私は、イヤリングをつけているからなのかいつもと違って見えた。
「セーラー服と似合わないな……」
なんだか場違いな組み合わせのような気がして、私はため息をつく。明日はどんな服を着ていこう? 部活はないし、ワンピースで行くのもいいかもしれない。でも夏祭りだから浴衣にしようかな……。
自然と出てくる考えに身を任せながら私はバスに揺られ、急な坂道を下り始める。
少し違和感を感じた。いつもよりスピードが速い気がする。
「おい! おい運転手さん!!」
近くで男の人が叫んだ。周りがざわつく。私も運転席の方をみる。
バスのスピードはみるみるうちに速くなり、急カーブの道を大きく外れてガードレールをぶち破る。
聞いたことのない大きな音と、ジェットコースターで体験できる浮遊感に、私は何かを諦め、後悔した。
それから先のことは覚えていない。彼との帰り道みたいに、本当にあっという間に私は死んだ。