第九十話 消えちゃった(4)
「何がわかっただよ。ボクは聞いてないぞ。勝手に話を進めんな」
「はあ」
ハロスの笑みはより嘲りを含んだものになっていった。
「何がはあだよ!」
大蟻喰は激怒した。
「人間に用はない」
「お前こそ吸血鬼のくせに偉そうだぞ!」
「喧嘩をしていても仕方ない。大蟻喰、ここは矛を収めろ」
ズデンカは諭した。正直大蟻喰がここで収まるとは思われない。
ルナが頼みの綱になるかと思ったが今はこんな状態だ。
「勝手に決めんなよズデ公が。お前ボクの拳をへし折ってきただろさっき? 言うこと聞いて貰える立場だと思ってんのかよ? このボケが」
「お前弱いんじゃないのか」
ハロスは一言ぽつりと漏らした。
その次の瞬間、大蟻喰は拳を大砲のように巨大化させて、ハロスを壁に向かって吹き飛ばしていた。
だが、ハロスは涼しい顔で立ち上がる。
「やっぱり人間はこの程度だな」
パンパンと混凝土片を払いながら、立ち上がる。
「何度でも殴ってやるよ!」
大蟻喰は腕を振るうが、ハロスは掌で止めた。
「前は二人がかりでやられたから負けたけどなあ!」
ぐるりと、大蟻喰の全身が逆転して頭が屋上の床に打ちつけられる。
「弱い弱い。言葉通りに弱い」
物凄いスピードで接近し、大蟻喰の頭を踏みつけた。
「吸血鬼に逆らえると思うな、人間」
「くそったれ」
大蟻喰は血反吐を吐く。
「やめろ」
ズデンカはハロスの襟首を掴んだ。さすがに黙っていられなかった。
「ああ、ズデンカ。わかるぞ、わかる。お前は前逢ったときより格段に強くなっている。やっぱり俺が見込んだ女だ」
ハロスはズデンカをうっとりと見つめながら言った。
「お前をこの場で細切れにすることもできる」
ズデンカは告げた。言葉に嘘はなかった。吸血鬼は何となく接触すれば相手の格がわかることもある。
これまでズデンカが殺した連中はそれがわからず死んでいったが、ハロス程度に腐れ縁があればそれはわかる。
「はあ、いいぞ。存分に切り刻んでくれ。お前にメチャクチャにされたら……本望だ」
ハロスの表情は歪んでいる。
――こんな奴だったのか……。
ズデンカは驚いていた。もちろん、ハロスの感情のなかに自分に対する執着が見えるのは当然知っていた。
だが、あくまで普通の恋愛感情あるいは行き過ぎた友情程度で収まるものだと考えていた。
しかし、そうではなかった。
まあよく考えれば当たり前な話かも知れない。
長く生きていると、多くは妙な感情に囚われるようになる。
ズデンカ自身もそうだ。
今は落ち着いているがヴルダラクになって百年目ぐらいに絶え間ない妄想に囚われていた時期があった。
人間であればとっくに老衰して死んでいるような長い時間を生きているのだ。それぐらいの反動は来るのかも知れない。
ヴルダラクは他の吸血鬼と比べて思考能力が劣るとされている。ズデンカは自分が荘とは思わなかったが、他から見下されてきたことは感じる。
だが、他の支族だって、それなりに狂った感情を飼い慣らしながら存在し続けているに違いない。
ハロスもまたそうなのだ。




