第八十九話 警官の魂(3)
「それは大変! うちで休んでお行きよ!」
カーリンは心配そうに叫んだ。
「いや、それはさすがに……」
ニコラスはステファン夫妻と面識はない。
「ベッドを借りちゃいましょう! ニコラスさんかなり疲れてますよ」
オドラデクが言った。
それも正論だ。傍から見てもニコラスの疲労は深刻だ。
目の下に深い隈ができていた。車内のためほとんど睡眠が取れなかったのだろう。
フランツも眠くはあったが宿で休めばいいかと思っていた。
「泊まっていってもいいぜ……と言いたいところだが生憎部屋が手狭でな。息子二人の部屋は開いてるから、そこで寝て貰っても構わないが、お嬢ちゃんらも一緒って訳にはいかんしなあ」
ステファンは言った。
「いや、俺は余所で泊まるよ。宿代は俺が出す。もちろん、車の修理代もだ」
「いいや、お前から金なんか貰えねえよ」
とステファンは頑ななまでに断った。
「じゃあ、ニコラスだけでも頼む」
フランツは仕方なく言った。
ニコラスは困惑している。だがその足は震えていた。長らく車に乗ってからだろう。
「さあさあ、まず一眠りしな。料理が出来たら呼びにいくよ。運んでいってあげてもいいから」
カーリンは元気よくニコラスを廊下へと追い立て、息子たちのものだった寝室へと送った。
そして、すぐにまた戻ってきて台所へ入り料理の仕度に取りかかる。
「悪いな、手間を掛けさせて」
フランツは謝った。
「いいってことよ。もともと今日も客を持てなす予定だったんだが、急に来れなくなってな。そこにお前らが来たんだから、こりゃもう神様に感謝しなけりゃならねえ」
準備は出来ていたのか、すぐにいい匂いが台所から漂ってくる。
「うわあああああ、早く食べたいなあ!」
オドラデクはまた飛び跳ねる。
皆でテーブルを囲んで腰掛ける。
「お前らが来てくれて本当にありがたかった。二人だけの食卓は寂しいからな。ついついあいつらがいた時のこと思い出しちまってよ……」
戦前も戦後も収容所にいた時期を除いてはこの家で暮らし商売をしている。
夫妻が多くの人々を持てなすのは、寂しさを紛らわすためなのだろうとフランツは思っていた。
フランツは二人の息子たちより少し年齢が下なのだが、会う度にいつも子供のように接してくれるので、ついつい甘えてしまうのだった。
「カーリンの料理はますます上手くなってるぞ。この家に来るやつは皆褒めてくれる」
カーリンはシエラフィータ族ではなかったため収容所には送られなかった。そのため戦中はずっとミュノーナで夫が帰るのを待ち続けた。
当時、ステファンはひたすら妻の料理の思い出を話していた。そのためだけに一日でも生き延びたいと語っていた。
ステファンは今のように太っておらず、とても痩せており今にも死にそうだった。
それなのに子供の命が何よりも大事だとパンを多めにわけてくれていた。
幼いフランツはあまりよくわかっていなかったが、今ならありがたさがよくわかる。
――自分一人だけ生きるだけでも大変だったろうに。
「それでよ……なんかあまり言いたくないんだが……あのお前の知り合いの男装の姉ちゃん……ルナ・ペルッツについてだがよ」
ステファンは決まり悪そうに言い始めた。




