第八十七話 酒宴(9)
「待ってよ」
ルナはしばらく足跡の墓碑の前に佇んでいた。
「何をしてる?」
ズデンカは訊いた。
「祈ってるんだ」
「そうか」
ズデンカは待った。
「行こう」
ルナは歩き出した。
ズデンカは従う。
まだ明るい。ズデンカはジナイーダたちに合図して、路地を抜けることにした。
「さすがにあの家は入れなかったよ。なかはどうだった?」
ジナイーダは怖々言った。しかし多少興味を引かれているようだった。
「酔っ払ったおっさんがいただけだ。一人死んで、埋葬した」
ズデンカは事実を告げた。
「あ、そう言えば二人泡食って私たちと逆の方向へ走っていったよ。こんなに細いのにずいぶん慣れた動きだった」
ジナイーダは答えた。人が死ぬことは慣れているか、特に驚いてもいない。
「気にしないでいい。どうしようもないやつらだ。ともかくチャペックから早く出よう。そこまで心配はないと思うが長居はしないほうがいい」
「うん。わかった」
ジナイーダは心配そうな顔をしていたが、詳しく訊きはせず頷いた。
行きより時間は掛かったが、細い路地を通り抜けて町の北側を目指す。
ズデンカは独り先を急ぐルナと並んで歩くことにした。
「時間を取らせちゃったね」
ルナがいきなり呟いた。
「どうした? いつものことだろ」
ズデンカは答えた。
いつものこと。
そう。いつも過ぎるくらいいつものことだ。だがルナはいつになく浮かない顔をしている。
たぶん、話を訊いた相手が死んでしまったからだろう。
「気にすんな。お前のせいじゃない」
「でも、わたしのせいで人が不幸になるのはこれが最初じゃない」
「不幸だったか? 本当にヨナーシュは不幸だったか? 呑みたかった酒を呑んで死ねて幸せそうな顔をしていただろ?」
ズデンカはルナに向かって食ってかかるように言った。
「でも、わたしと出会わなければもっと長生きしていたかも知れない」
「天命だって言っただろ」
ズデンカもこれ以上は何も言い返せない。結局堂々巡りだからだ。
ルナはこれまでさまざまな人間(あるいはそれ以外とも)と出会ってきた。
でも、幸せになった人間は少なかった。
実際のところ、ルナは他人の人生にそれほど介入できていないのかもしれない。
「あんなに酒を呑みたいって言ってたのに、酔いもすっかりさめてるじゃねえか」
ズデンカは話をずらした。
「そうだね。飲み直したい」
ルナは答えた。
「次の街に着いたらちょうど夜だろう。呑める場所を探そうぜ。もっとも、あたしは呑めないがな」
「うん」
結局、ルナは孤独なのだろう。
酒宴を望んでも同席してくれる者はいなかった。
皆逃去り、あるいは死んでしまった。
ズデンカも人間だったなら、ルナと一緒に呑んでやりたいと思った。
「お酒はいいよ~。いやなことをぜんぶ忘れられる。でも浴びるように呑まなきゃね。瓶一つぐらいじゃとてもとても」
ルナは朗らかに言った。
「忘れろ忘れろ。だがあまり呑み過ぎるなよ」
「うん」
ルナは寂しそうに呟いた。ズデンカは益々心配になる。
今夜はルナが呑み疲れたと言うまでさんざん呑ませてやろうと、ズデンカは考えていた。




