第八十六話 究極の責め苦(9)
ズデンカはそう考えてしまう自分の妙に冷静な部分が憎かった。
「何も心配するな。あたしが守ってやる」
ズデンカはジナイーダを抱きしめ、耳元で囁いた。
「別にボクを警戒する必要は無いじゃないか。一応旅をしてるんだしさ」
大蟻喰はヘラヘラしながらズデンカに近付いてくる。
ズデンカは避けた。
「お前はこれまで何をやってきた? 人を殺してばかりだろ」
「それはお互いさまだよ」
さすがに言い返せない。前も似たやりとりをした覚えすらある。
だが、大蟻喰は自分の楽しみのために多くの人間を殺してきた。それはよく考えればカミーユ・ボレルと同じだ。
――こう言う輩と旅をするのは本質的に危険だ。
ズデンカは大蟻喰を睨んだ。
「過去に何をやってこようと、ステラと旅が出来てわたしは楽しいよ」
ルナは朗らかに笑った。
すっかり上機嫌になっている。
ズデンカは安心した。
何と言ってもルナは暢気だ。あまり苦しいことは考えられないように、根が出来ているのかも知れない。
しかし、カミーユを明確に拒絶した前の言動とは明らかに矛盾がある。
大蟻喰もルナの眼の前で多くの人間を殺したことがあった。
その時、ルナはむしろヘラヘラと笑っていた。
大蟻喰の件、以外でも多くの血を見てルナは恍惚としていた。
ルナも旅のなかで色々成長したのかも知れない。でも何か釈然としない重いがズデンカのなかにはあった。
カミーユの場合、妖精を召喚するトランプを警戒したのかも知れない。あれはスワスティカの技術によって作られたものだと思われた。
――なら、あいつもちょっと話し合ってみれば残ってくれたんじゃないか?
人の物語をメチャクチャにねじ曲げて、不幸にしてしまう旅がしたいカミーユは許されない存在だろう。
だが、よく考えればルナもズデンカも大蟻喰も人を裁ける立場にはない。だから、本来なら仲良くしていても不思議ではないのだ。
たぶん、そのあたりのモヤモヤした感情が集まってもカミーユに対する愚痴を言いたくなっていたのだろう。
大蟻喰と睨み合うことでその答えが見つかったのは意外だった。
「先へ急ごう」
バルトロメウスが大蟻喰に声を掛けた。
「仕方ないな。ルナもああ言ってくれてるしね」
大蟻喰は歩き出した。
ズデンカは尾いていく。今度はジナイーダの手を曳いて。
今は尾いていくしかない。
「本当にグラシャボラスさんは究極の責め苦から抜けられたのかな」
後ろでルナが小さく呟いていた。
「どういうことだ」
ズデンカは振り返らずに訊いた。
「だってその苦しみは常住坐臥どこにいても訪れてくるんだよ。例え向こうの世界に行ったってそれは続くかも知れない。わたしはちゃんとその願いを叶えてあげられた自信がない」
ルナの声は掠れていた。
ズデンカは振り返えれなかった。ルナがどんな顔をしているか見たくなかったからだ。
「変なことを考えるな」
「たぶん、おそらく、きっと、わたしもその究極の責め苦の一端を知っている。これから、その全てを知るかも知れない」
「だとしてもあたしが守ってやる。絶対にお前を守る」
ズデンカは先ほどと同じように、それを繰り返すしかなかった。




