第八十四話 告げ口心臓(15)
「その名前は知っている。だが直接は何ら繋がりもない。この地を占領していたのは、お前とは違う者だった。シエラフィータ族の摘発にも協力した……戦後は……戦後はもっと酷い……戦争で被害も被ったのに、なんら保証すらなされなかった」
伯爵もまた、戦後社会を「クソったれ」だと感じて生きている者だったのだ。
ジムプリチウスは己の獲物になりそうなやつをなぜだかうまく見つけ出すのが上手い。
しかも常人なら思わず隠したり偽るような情報を全て明かして、その上で話し掛けていくのだ。
『それが正義の正体だ。口先では綺麗事ばかり言いやがるが、実際には誰も助けちゃくれないだろ? 俺は伯爵閣下だけじゃなく、お前ら全員に言っている。お前らに少しでも何かしてくれたか? 何か直接、物資を、職を斡旋してくれたか? 口では優しげなことを言いながら、誰もお前らのことなんか助けてくれなかっただろ? そりゃ、お前らに立ち直られたら困るからな。やつらはお前らの血を啜って生きている。だから、お前らではなくシエラフィータ族のような都合のいい弱者を見つけ出し、守るべきだと言い立てる。お前らは守ってくれないのに、なんであんなやつらを守らなければいけないんだ? いい加減にしろと思わないか?』
ジムプリチウスは演説した。
『そうだ』
『ほんとうだ。ずっと、生活が苦しい……なのに、シエラフィータ族の連中だけが金を持っている。とくに金持ちのやつらはシエラレオーネ国で楽しく暮らしている……』
応じる声が上がった。さまざまな国に暮らす『告げ口心臓』をこっそり隠し持つ人々の声が。
『殺しきっていれば良かったと思わないか? 戦争中に。そしたら、お前ら苦しみもなかった。シエラフィータ族を。全ての弱者を。そのなかでもっとも邪悪な、戦後の矛盾の最たるものがルナ・ペルッツだ!』
そこに答えを繋ぐか、とカミーユは思った。
『本を出して名前を売り、無尽蔵に金が湧いてくる。お前らが毎日働いてやっと生活のなかで、自分勝手に世界各地を旅して回っている。お前らの苦しみなど、歯牙にもかけない最低のクズだ』
どこからこれほどまでにルナに対するう憎しみがジムプリチウスに湧いてくるのかよくわからなかった。
理由はあるのかも知れないし、ないのかも知れない。
憎しみという感情もカミーユはよくわからないのだ。
「憎い……憎いぞ。ルナ・ペルッツ!」
伯爵は叫んでいた。
「会ったこともないのに」
カミーユは小さな声で呟いた。
おそらくジムプリチウスに熱狂している人々は、ルナに直接会ったことも見たこともほとんどないに違いない。
著名な人物として名前を知っているぐらいだろう。
だが、著名な人物――金持ちという存在はどこか恨まれている。
とは言え、普通に暮らしている限りはそんな人間と接点を持つことは少ないし、無視していられる。
遙か高みにいる存在なのだから。
でも、何かの調子で「こいつは叩いても良い相手」となったら?
恐らく一斉に憎悪は向くだろう。
おそらくルナはそういう憎悪の格好のターゲットだ。




