第八十四話 告げ口心臓(14)
「そうだ。あの蛇のような女……あいつのせいで……エルヴィラは……」
伯爵は背筋を正した。赤く炎が燃えさかっている。怒っているのだ。
やはり、推測は当たった。
単に煽っただけでカミーユは本来はエルヴィラとアグニシュカは愛し合って駈け落ちしたのだと考えている。
それは、事実だろう。
ところが伯爵はそう思わず、アグニシュカがエルヴィラを誘惑したと考えたのだ。
これは興味深い。
もし、二人のうちどちらかが男ならばどうだろう?
家を出ても数年後には子供とともに戻ってきて、家督を継ぐ選択はあるかも知れない。
だが女同士の二人ならまずそうはならない。世界は二人に牙を剥く。
そう、ここには明白な差異がある。
とはいえカミーユは二人とは何ら関係がないのだし、同時に誰かを好きと言う感情も湧かないのだから――いや、ルナ・ペルッツやズデンカへの執着をそう呼ぶことも不可能ではないのだろうが――わからない話だった。
もう一つの人格のほうは、長いサーカスでの旅の間に一方的に好きになった相手もいたのだが……。
「なるほど、『蛇』。うまい形容です……でも、蛇にも小蛇と大蛇がいますうお。アグニシュカさんが小蛇とすれば、エルヴィラさんはもう一人、大きな毒蛇に見込まれたようです」
カミーユは相手の比喩を拾いながら、少しずつ憎悪を誘っていった。
ここまで上手く出来るとは我ながら感心してしまう。
くだらない会話に付き合うのは退屈だが、人を陥れる会話、壊す会話、破滅させる会話なら大好きだ。
「誰のことだ!」
伯爵は怒鳴った。
「ルナ・ペルッツ――あなたもご存じでしょう。あの綺譚蒐集者の」
「ああ知ってる。男の格好をした忌々しい、女だ……やつが、エルヴィラを……」
どうやら顔がどす黒く染まったらしい。
らしい、というのはカミーユには表情がよくわからないのだったが、色彩的には変化があったからだ。
「ええ。エルヴィラさんからいろいろとお話を訊いているようでしたよ」
これは嘘ではない。
伯爵は答えなかった。赤い炎は相変わらず燃えていたが。
「仕込みは完了ですね」
そう思ったカミーユは『告げ口心臓』を机の上に置いた。
『ルナ・ペルッツが憎いか?』
ジムプリチウスは訊いた。
「憎い……娘を……あんな優しい娘を……」
伯爵は呻いた。ジムプリチウスに対して何者か訊きすらしなかった。
『お前の怒りは正しい。やつは生きているだけで多くを不幸にし、不幸にしてきた……。あいつは何れこのトルタニア大陸を恐怖のどん底にたたき落とすだろう。その前に何とかしなければならない』
『心臓』は語り続けた。
「そうだ……長い年月頑張ってきて……貧しい領地を守ってきたのに……こんな仕打ち……あんまりだ……」
『ならば、この眼の前にあるこの『告げ口心臓』を領民皆に配れ、俺は真実を告げる。真実しか言わない。俺に協力すれば、もしかしたら娘が戻るかも知れない。保証はしないがな』
「『告げ口心臓』……」
伯爵は恐れもせず、心臓を手に取った。
『俺の名前はジムプリチウス。スワスティカ元宣伝宰相だ。お前らは俺を蛇蠍のように嫌っているかもしれないが。不思議と生きながらえた』




