第八十四話 告げ口心臓(10)
「へえ、私にはよくわからない世界のことですね。いままで、そんなこと考えたことありませんでした。スワスティカの支配を抜けられて皆さん、ほっとしているかと思っていたんですが……」
『お前が思うほど多くの人は、戦争の結果にいい思いをしていないからな』
ジムプリチウスは冷たく言った。
「そうなんですか。戦争中、トゥールーズはスワスティカの支配下になりましたが、私の観測範囲だと負けが込んでくると食事が貧しくなったぐらいでしたね。もっと色んなところに出向いたら危ない目にも合ったんでしょうけど」
カミーユは答えた。
それでも、ヴィトカツイに滞留していた旧スワスティカ領の人々が、退却時に酷い目にあったという話は聞いていた。
だからむしろスワスティカの連中は嫌われており、ジムプリチウスがその宣伝宰相だと名乗ったら眼を向いて襲ってくる、ぐらいの推測はしていた。
カミーユにしても全く人の好悪の感情が読みとれないわけではない。
好かれている人は何となく好かれていると思うし、ならそれをどう利用しようかと思う。嫌われている場合もすぐに察知しどう利用しようかと思う。
ジムプリチウスの考えは面白かった。この人物は自分が受け入れられると信じているのだろうか。
「あなたはスワスティカの元宣伝相だったことを明かすんですか?」
『もちろん。それがなきゃ話が始まらないだろ?』
「でも、スワスティカを皆さん憎んでいるのでは?」
『いい思いをしていた奴もいる。それに、誰しも自分の生活が苦しいときは為政者がどんな不埒な行いをしているなどは気にしないものだ。自分たちの生活をよくしてくれる方に賭けようとする。それは決して悪いことじゃない。生物的に正しい、まっとうな考えだ』
「わあ。すごい。視野が広がります!」
戦後に現れて来た政治家たちは口先では清廉潔白さを強調し、スワスティカの失政をなじり続けた。
だが、社会はよくなる印象がまったくない。年々息苦しくなるいっぽうだった。
物価は上がり、賃金は少ない。
そんななかで政治など意に介さず、ルナ・ペルッツは奔放に生きてきた。
嫌われるのは、そう言うところなのだろうか?
と、ここでカミーユはジムプリチウス歯自分だけではなく、『告げ口心臓』を拾った人々全てに語り掛けていることに気付いた。
実際、『告げ口心臓』に耳をあててみると、微かにざわめきの音が聞こえる。
さすが、元政治家だっただけのことはある。
この世のどこかには確実にある声、そしてカミーユ自身も隠していた声を、ジムプリチウスは探り当てて語り始めたのだ。
『聞き心地の良い言葉を唱える連中を信じて、お前らは何か変わったか? このクソッたれな時代を変えるには、キラキラ輝く綺麗言なんぞ、幾ら繰り返していても仕方がない。身も蓋もない事実こそ、お前らが求めているものじゃないか?』
『そうだ』
『そうだ』
小さな声だったが、確実に唱和していた。ジムプリチウスは既に人心を掴み始めているのだ。
カミーユは感動した。
自分には理解しがたい人の心をかくまで巧みに掴んでしまう存在に。
しかも特別混み入った言葉を使っていないのだ。




