第八十四話 告げ口心臓(2)
「ズデンカさんをすっかり私の好みに変えてしまうのは、時間が掛かるかも知れないけど、ルナさんなら簡単だよね」
ルナ・ペルッツはあんがい脆い。
寂しがり屋だし、酒好きの煙草喫みですぐ人を頼ってしまう。
そんな人間を壊すのは簡単だ。
壊して、作り直せればいい。
カミーユは過去、何度か試みて失敗してしまったことがある。
最後まで最後まで自尊心を削って、抵抗を奪って空っぽにしても、どこか人という存在は抗う心を残しているらしい。
すべて、自殺された。
カミーユは自分には人の心がわからないのだと悟ってしまう。
だから、もう一つの人格を作ってみる実験を己で試したのだ。
でも、元に戻ればやはり人の心はわからない。
こうすれば炎が揺らぐ、こうすれば燃え上がる。
そんなことぐらいはわかる。
だが、その炎の動きを――感情を自分のものとして経験するのが難しい。
そして、どうやら、そんな経験の積み重ねこそが、この不合理な世界で生き残っていくために重要なものであるらしいのだ。
同時に、共感から身を滅ぼす者だっているにはいるが。
だが、ルナを改造するとしても、それは自分一人ではどだい無理な話だ。
常人以上の戦闘力を身につけているカミーユだが、それでもズデンカには勝てない。
パヴィッチで遭遇したフランツ・シュルツやメアリーを含む集団も、ズデンカを足止めしようとしているようだった。
そうしないとルナ・ペルッツと接触出来ないからだろう。
結果はへっぽこに終わったが。
もう少しまともな手練を用いて、ルナとズデンカを引き離す必要がある。
カミーユは一考した。
「どうしても他の人の手を借りる必要があるな。でも誰に?」
カミーユに頼れそうな相手はいない。
もう一つの人格は友人が多かったようだが、それは今の人格の存在を知りもしない「善良な」人々だ。
より悪党に頼むとしても、うまく折衝するだけの会話能力をカミーユは持たない。また娘の言うことを誰も信用しないだろう。
襲われるかもしれない。今のカミーユは成人の男でも容易に殺せるが、時間の浪費には違いない。
「となると、やっぱりこれか」
と言ってカミーユはヴェサリウスの脊椎に手を突っ込んで『鐘楼の悪魔』を取り出した。
カミーユは旧スワスティカにより改造された妖精を封じ込めたトランプを持っている。妖精たちはそれぞれ身体を連結させていて、他の妖精が身体のなかに取り入れたものを他へと移すことが出来る。
パスロが吸い込んだ本をすかさずカミーユはヴェサリウスへ移動させていた。大蟻喰やズデンカに内部からパスロが喰い破られる可能性は充分にありえたからだ。
ページをめくってみる。文字のような模様のような、よくわからないものが幾つも幾つも綴られていた。
「読めない。こんなんじゃ使い道がないよ」
カスパー・ハウザーはこの本を介して多くの人間に話し掛け、精神に介入していたという。
しかし、今カミーユには何の変化もない。変化するとして、カミーユにとっては楽しみでしかないのだったが。
「そもそも、本なんか読まない人もいるんだし、そんなかたちで世界に広めても、関われる人間は少数だよね」




