第八十三話 常識(12)
「……ふふん。興味深いね」
大蟻喰はぴょんとルナの隣に横たわった。ズデンカがこっそりやろうと考えても出来なかったことだ。
「ルナもズデ公もお互いを苦しめたんだ。これでおあいこじゃないかい?」
大蟻喰はニヤリと笑った。
「おあいこじゃねえよ」
ズデンカは元気が戻って言い返した。
「ルナが苦しむとズデ公も苦しむ。面白いな、永久機関だ」
大蟻喰の指摘は簡潔にして要を得ていた。 ルナとズデンカは互いに苦しんでいても、お互いの苦しみを完全に理解することは出来ない。
お互いが、別の苦しみを苦しみ合うだけだ。
ただ苦しみだけが続くだけだ。
大蟻喰は己の常識で、そのさまをからかいと憐れみを込めて風刺したのだ。
「あたしが苦しむのを止めたら、ルナも苦しむのを止めるか?」
ズデンカは訊いた。もちろん大蟻喰にではない。
ルナにだ。
「やめたい。もう苦しむのはやめにしたい」
ルナは答えた。
「なら止めろ」
ズデンカは言った。声を荒げないように精一杯努力しながら。
「ルナは止められないのさ。だからルナなんだよ」
大蟻喰は横たわるルナの肩に顎を置いた。
ズデンカははっきりと妬いていた。
出来るだけルナの近くにいたい、抱きしめていたいと思っているのに。
「ボクは苦しむならずっと苦しみ続ければ良いと思う。気が済むまで。ないことにして置く必要なんてないよ。いずれは痛みも消える。消えなくてもボクに食べられればいい」
大蟻喰は眼を細めた。
ズデンカは実験台の上に乗り、ルナを抱え上げて自分のほうに引き寄せた。
「お前は近づいてくんな!」
顎を打ちつけそうになった大蟻喰は恨みがましそうな目でズデンカを睨む。
ルナを強く抱きしめる。
「君……どうしたの……なんか変だよ……」
ルナは戸惑っているようだ。ズデンカも自分の感情がわからなかった。
なぜか、大蟻喰から無理にでも奪ってやりたいと思って、その通りにしたのだ。
普段のズデンカならルナの身の安全を守るときぐらいしかそんなことはしない。
急に身体が動いていた。
衝動のままに。
ズデンカは怖くなった。もしルナを殺したい衝動が急に生まれて、その通りにしてしまったら。
己が吸血鬼である以上、そうならないとは断言できない。
――心から愛する人間を決して吸血鬼にはできない。
始祖ピョートルの言葉が思い出される。それはルナを殺してしまうから、という意味なのかも知れないのだ。
――あたしがルナを殺してしまう? それともあたしがルナの敵になる? そんなことが起こりうるのだろうか……。
全身が震えるのを感じた。
「ルナ……ルナ」
ズデンカはルナの頬に自分の頬を擦り付けていた。たぶん、泣いていたのだろう。
「冷たい……すごく冷たいよ」
ルナが答える。
「まったく、ここまで来てやることはいちゃこらか。ざまあないね」
大蟻喰は大きく伸びをし、実験台から飛び下りてバルトロメウスのところへ言った。
ジナイーダは優しい表情で億から二人を見詰めていた。
――まるであいつが大人みたいだ。今のあたしは情けない、みっともない。
ズデンカは思った。
「冷たい、冷たいよお」
ルナがあえぐ。




