第八十三話 常識(10)
「まあまあ。次の場所も見て歩こう。こんな調子じゃ一日経っても出られない」
バルトロメウスが言った。
「そうだね」
ルナは言って素直に歩き出した。
ズデンカは黙ってついていく。
暗い、暗い、暗い。
だがしかし、ズデンカの――吸血鬼の眼は、すっかり全てを見通してしまう。
ルナは歩行困難だ。よろよろと後ろを動いている。
――カンテラでも持ってくればよかった。
道は長い。
どれほどたくさんの人間が詰め込まれていたのだろうか。
奈落の底へ落ちて行くような気分になる。 吸血鬼は死んだ後、地獄で生まれ変わると言うが、その時の気分はこんな風だろうか?
「ルナ、捕まってろ。お前じゃ何も見えないだろ?」
ズデンカは手を差し出す。
「冷たいから」
ルナは断った。
「いいから! 大蟻喰なんぞの手は掴むなよ。食べようとしてくるぞ」
「やいやい、なんだよ。ボクだってすぐには食べないよ!」
大蟻喰も歩きにくそうではあった。それでも全身体感覚を研ぎ澄ませているのか、よろめく様子はなく、遅々として歩いている。
バルトロメウスは虎の力を持っているためか、難なく歩けているようだ。
ジナイーダもそうだった。
もう吸血鬼としての能力に自身が持ててきたのか。
すぐにズデンカの横に列ぶ。
「だから、安心してなって」
片目をつぶって先へと急ぐ。
ジナイーダは吸血鬼になってまだ一ヶ月も経っていない。
ズデンカは己の場合を顧みて、あまりにも適応が早いのに驚いた。
なってから、一年ぐらいはまともに暮らしていける自信がなかった。
それなのにジナイーダはやすやすとこなしている。
充分な戦力として期待できるようになるまで、そう時間は掛からないのかも知れない。
――思ったより、こいつが役に立ってくれるのかも知れない。
そうした期待をしたすぐ後で、調子の良いことだと思い直した。
「いや、そんな選択は考えられない」
ズデンカは他の誰をも犠牲にしてはならないのだ。犠牲になって良いのは己の身体一つだけだ。
どれほど焼けようと砕かれようと元に戻り走り続けられる身体だ。
――世界が敵になろうがあたしが独りで戦ってやる。
目的地は時期についた。
奥の棟にあった。一度建物の外に出て、回り込まなければ行けない場所だった。
ハウザーの実験室だ。
ここは特に強い血の臭いがしていた。一見机も椅子も実験台も、綺麗に拭き浄められているのだが、消せない臭いだった。
「ここだ、ここではいつも悲鳴が響いていた。わたしは耳を塞いだんだ」
思わずルナは言葉の通りにしていた。
「過去のことを思い出すんじゃねえ――ったく、何でこんなところに行きたいといったんだ」
「ここで、『鐘楼の悪魔』の元となった力がわたしから抽出されたんだ――たぶん……どう言う手術かは覚えていないけど」
ルナは青い顔でしどろもどろになりながら、なお語ろうとした。
「だから、思い出すな!」
ズデンカは怒鳴っていた。
「『鐘楼の悪魔』は恐ろしい本だ。ハウザーがいなくなって、あの本は何の効果もなくなったはずだけど……でも……ハウザーは何らかの手であの本を持った所有者の心のなかに入り込んでいたはずだ……その方法を他のスワスティカ残党が知っていたら……また同じことが繰り返されるかも」
ルナは呟き続ける。




