第八十三話 常識(9)
「わたしはスワスティカの一員だよ。彼らの仲間だった……」
「それは違う。あいつらは幼いお前を洗脳して仲間に加えただけだ。それで責め続けられなければならない謂われはない」
「いくら幼くてもやったことは消えないよ。いまも夜になると……考えてしまう……ハウザーに捕まったときもそうだったんだ……これは君には言ってなかったね」
ルナは項垂れた。
「悩むな。今度から夜はあたしがずっと一緒にいてやるから!」
ズデンカはルナの手を握った。
「冷たい」
ルナは呟いた。
「我慢しろ」
「あたしはお前にハウザーを憎めと言っているんだ。そうしたら幾らか気分は楽になる。奴のせいにしろ!」
「ルナは憎まないよ。そういうやつだ」
大蟻喰が静かに言った。
――ああ。わかり過ぎるほどわかってるぜ。
ズデンカは心のなかで返した。
「ハウザーは……あの人はもう死んだよ。憎んでも仕方ない」
「クソっ、だから舐められるんだ!」
ズデンカは怒鳴った。籠もった声がガス室に響いた。
「怒るべき時には、怒らないとダメだ。そしないと舐められる。ハウザーは死んでもやつと似たことをやっているやつはいるだろうがよ。そいつらに怒れよ」
「カミーユと戦うことになっても?」
「それは……」
ズデンカは黙った。
カミーユ・ボレルもまたカスパー・ハウザーの轍を踏もうとしているように見える。
人を化け物の姿に変えるなど、やってることはまるで同じだ。
殺し合いになるのは、眼に見えていた。
「殺さなければならないね。ルナが生きている限りは」
大蟻喰は不吉な言葉を吐いた。
――こいつ、ルナを思いやっているのか、よくわからないことをたまに言う。
「そうだね。だから、わたしはいつ君に食べられてもいいよ。もしもこの世が嫌になったら」
ズデンカは思い出した。
ルナは大蟻喰にいつか食べられるという約束をしていたことを。
「ルナは絶対に食べさせねえ」
ズデンカは大蟻喰の前に立ち塞がった。
「でも、ルナはああ言ってくれてるじゃないか」
大蟻喰は舌舐めずりをした。
「いくら約束しても絶対にダメだ」
「ふん、キミだってルナを吸血鬼にしたいと願ってるに違いない!」
「何だと!」
自分でも驚くぐらいズデンカは激昂していた。
――お前が心から愛する人間を決して吸血鬼にはできない。
ヴルダラクの始祖、ピョートルにかつてそう言われたことがある。
その時はなんでそんなことを言い出すのだこのジジイはとズデンカは思った。
だがだんだんとわかってきたことがある。
――自分はどうやらルナを吸血鬼にしたいと思っているらしい。
すなわち、ルナを愛していると認めることになるのだが、ズデンカはまだそこまでははっきり断言したくなかった。
「だってルナの命は限られている。キミの命ははるかに長い。ルナが死ねば、これからずっと独りだ。だからルナを吸血鬼にすれば、長く一緒に暮らしていける。隣りにいる小娘みたいにね。そんなことに想像が及ばないほどボクはバカじゃないよ」
小娘と言われたジナイーダは眼を光らせて歯を見せ、大蟻喰を睨み付けていた。




