第八十三話 常識(8)
「いや、お前は加害者であるかも知れないがまず被害者だ」
「同時に」とは言わなかった。ルナは誰よりも被害を受けた。
とても苦しい思いをしてきたはずだ。
それなのに自分を加害者だという。
理由はある。
実際ルナはビビッシェ・ベーハイムとして多くの人を殺したのだ。
でも、それはカスパー・ハウザーに操られたものだったはず。
ハウザーは最期に至るまでルナを執拗に追いかけ回して捕らえようとし、暗示を使ってビビッシェに戻し、殺しをさせようとした。
ハウザーのせいにしてしまえばたやすいのだ。
ズデンカだったら是が非でもせいにする。
だが、ルナは引き受ける。
意地でも引き受けようとする。背負おうとする。
――弱いお前が、何で。
ズデンカは嫌な気分になる。ルナは泣き虫で、弱虫だ。
寂しがり屋だ。
なのに全てを背負おうとする。
ルナは正しくない。血を見てもなんとも思わないどころか、どこか恍惚とした感情を覚えるようだし、人を殺してもいる。
なのに、変なところで誰かを守りたがる。人が傷付くのをとても恐れる。
――矛盾だ。どうしようもねえ矛盾だ。
だが、そんな相矛盾したルナをズデンカは好きだった。
本来なら早いうちに、見捨ててしまっていれば良かったのに、好きになった以上、最期まで一緒にいたくなる。
――ルナが死ぬ日まで。
「それじゃあ一緒にいこうよ、さ」
大蟻喰が案内役とばかりに先に動いた。
ズデンカも素直に従った。
このあたりの地理は疎いからだ。
ルナも道のりは知っているのだろうが、喰った人間の数だけ知識量の多いできる大蟻喰のほうが、適格だった。
山を越えないでも、道は続いていた。
――昔は列車で人を運んできていたんだからな。
景色は、霞が経ったように見え辛くなってきた。
奥へ、奥へ線路だけが続いている。
もはや、列車が走ることはない線路。
やがて――と言うには長すぎる時間が経って。
茶褐色の煉瓦の建物が遠く姿を現した。
ルナは身震いした。
ギュッと身体を抱きすくめて、歯の根が合わないほどだ。
「やっぱり来たのは間違いだった」
ズデンカは言った。
「間違いなんかじゃない。わたしは、ここへ帰るべきだったんだ」
「だが……」
「行かせて」
ルナが言い張るので、ズデンカは拒めなかった。
門を越えて、中へ入る。
しいんとしていた。
管理している人はいるという話だが、出払っているようだ。
「お前はなぜ、こんな場所に戻った? ここにはもう何もない。残されていないんだ。過去だけだ、過去の残骸だけだ」
ルナはズデンカの言葉を聞かず建物の奥へと歩き始めた。
「ここで、みんな死んだんだ。わたしとビビッシェ以外は、みんな……」
ルナは狭い天井を潜ってなかへ入った。
「ひでえな」
まるで倉庫のようだ。人間が入れられて良い場所ではない。
全くの空洞にもかかわらず、そこは死の臭いで満ちていた。
「……」
ルナは俯いていた。
その顔は限りなく青い。なぜこんな自傷のようなことをするのか。
「何を考えているかは知らんが、お前に責任はない。ここでの死は全てスワスティカによって作り出されたものだ」
ズデンカは、ルナの耳元に必死に語り掛けた。




