第八十三話 常識(6)
「ボクは望んで今の身体になったんだ。キミのせいじゃないさ」
大蟻喰はきっぱりと言った。
ズデンカにとって、それだけはありがたかった。
ルナは自分を責めている。自分の過去を責めている。
多くの人を不幸にしているのではないかという不安は、苦しみの奥底にあるに違いない。
――ルナを責めないことだけは、褒めてやろう。
こっそりと思った。
「全部ハウザーにやらされたことじゃない。わたしだって望んでやっていた。そう思うように誘導されていたにしろ、やったことに変わりはない。だからもし……」
「それ以上はやめ」
大蟻喰はルナの唇に指で蓋をした。
「もう、変なことを考えるのはよしなよ。ルナは誰を殺しても許されるし、むしろそうすべきだ。罪悪感なんかクソ食らえさ。ルナは好きなことを好きなようにしていいんだ」
「わたしは……そこまで強くなれないよ」
「ルナに殺させはしない。これからはやるときは全てあたしがやる」
ズデンカは強く言った。
「それは君を苦しませることになる」
「あたしは苦しまねえよ。もともと人じゃない」
苦しみを感じないかと言えば嘘だった。戦っている最中は平気でも、ずっと後で……殺した感覚が蘇ってくることはある。
だが既に多くの人間の血を吸ってきたこともあり、ルナが感じる苦しみよりはましだとは言えた。
「ズデンカ、もしズデンカがやれないときは私が代わりにやるよ」
突然、ジナイーダが口を挟んだ。
「ジナは戦えない」
ズデンカはつい口走ってしまった。
ジナイーダに甘えて、第一には考えないようにしてはいたが、自分から戦うなどといわれては、まるで同意出来なかった。
幼い吸血鬼は簡単に死んでしまうことがある。
何回も何回も殺し尽くされれば、無になり戻ってこない。他の殺し方もある、実際ズデンカも過去に何体か葬った。
「どうしてもの時は、だよ」
ジナイーダはしかし臆することなく答えた。
「そんな時は……来ないことを願うが……」
「きっとくる」
ジナイーダは強く言った。
「じゃあ、頼む」
ズデンカは押し切られるかたちで答えた。
「ズデ公より頼もしいじゃないか。ホントにこんなんで長旅をやっていけるんかい?」
大蟻喰に痛いところを突かれた。
――やはりこいつは案外、常識人だ。
ズデンカはそう思った。
よく考えれば自分の生き方のほうがずいぶん非常識なのかもしれない。
終わりも知らない旅などに付き従ったりして。
「オルランドに返っても、旅にはすぐ出るさ一つところにはおさまりたくないんだ」
ルナは答えた。少し顔の青みが引いている。
「ルナがしたいようにすればいい。でも世界は滅びるからね。ボクによって」
大蟻喰は片目をつぶった。
――もし、そんなことでもしようものなら、あたしが潰してやる。
ズデンカは心の中で誓った。
大蟻喰とも何れ殺し合わなければならなくなるかも知れない。だとしたら、バルトロメウスも敵に回るだろう。
――カミーユだけじゃない。
本当に信頼できるのはルナと、ジナイーダしかいない。
もし、世界と戦うようなことになれば、ルナを助けられるだろうか?




