第八十二話 三つの願い(7)
ズデンカは反射的に空を飛んでいた。
始祖ピョートルから与えられた力を使ったのだ。
車窓からは物凄い数の人々が、パン粉のようにこぼれ落ちていく。
そこへ物凄い勢いでナイフの白刃が乱れ飛んだ。
いずれも外さず額や首筋を狙って、貫くように投げられていた。
カミーユだ。
宙には羊の頭と背骨と肋骨からなる妖精――ヴェサリウスというらしい――が浮かび、そこへ寛ぐように両足を開いて腰掛けていた。
「ルナさん、ズデンカさん。これでやっと三つの願いが叶いましたよ。パチパチ」
カミーユは鮮やかに手を叩いた。そして抜く手を見せずナイフを放っている。
ズデンカたちを攻撃する様子は見えなかった。
「君は、何がしたいんだ」
ルナの声は震えていた。
「何をって、願いを叶えてあげたんですよ。ルナさんがやっているように」
カミーユはきょとんとした顔になってルナを見た。
「わたしは、そんなことやってない!」
ルナはズデンカに縋り付きながら悲痛に叫んだ。
「やってますよ。誰かのお話を聞くってことは、誰かを変えるってことなんです。だから私もルナさんもやってることは同じだ」
「んな訳ねえ! お前のやってるのはただの殺しだ……これまでだって、ずっと本当は続いていくはずの命を殺してきただろうがよ!」
ズデンカは叫んだ。
「これまでだって?」
ルナは見る見る青ざめていった。
「ああ、お前が騒がないように言わないでいたが、こいつはクシュシュトフもレギナも殺している。人の物語を改変しているんだ」
「そんな……」
ルナは黙して震え始めた。
「お前は絶対に止めてやる」
ズデンカはカミーユを睨んだ。
「止められなかったのに?」
カミーユは笑った。
まったくもって殺意を感じない。戦う気はないようだ。
「次からは止めてやる。お前がどこに逃げてもだ」
「ふうん。逃げる気はないので、ご随意にしてください」
パスロが川の水面から頭を突き出した。その歯には無数の人の身体が噛みちぎられて濁った血の花を咲かせていた。
と、その腹部が異常なほど膨れ上がり、一気に破裂した。
「ふざけんじゃねえよ!」
飛び出したのは大蟻喰と青い毛並みの虎に変じたバルトロメウスだった。
「お前、ボクを喰うとか、ここまで虚仮にし腐っていい加減にしろよ?」
大蟻喰の身体は臓物の血ですっかり汚れていた。額には青筋が浮きたち、カミーユを睨み付けている。
だが恐らく、パスロの胃のなかに入り込んだせいで、大蟻喰たちは落下で潰れるのを免れたのだ。
「皆さんに喜んで頂けたようで、ほんと嬉しいです!」
カミーユは満面の笑みとなって大蟻喰を見た。パスロが死んでも構わないとでも言うように。
実際破裂した肉塊はやがてまた修復をはじめ、パスロは元の姿に戻った。だがやや身体は縮んでいるようだった。
――あいつは不死身じゃねえな。
「お前、降りてこい! ここで泣かせてやるから!」
大蟻喰は激昂していた。
「残念ですが、私はやることがあるんです。また人からお話を聞いて、願いを叶えてあげないとだめなんです。だから、一緒に旅をしましょう。ルナさん、ズデンカさん」
カミーユはルナの眼を見て言った。
ズデンカは恐怖を覚えた。
――この後に及んで、こいつ、一緒に旅をするつもりでいるのか。




